甘口辛口

A級戦犯の遺族(2)

2006/8/13(日) 午前 9:49
合理主義者や無神論者、あるいはリベラリストの目で、靖国問題を眺めたらどうなるだろうか。朝日新聞の「地球防衛家のヒトビト」という4齣漫画が面白かった。絵柄は極めて単純、二人の少年が寝ころんで話をしている場面だけを描いた4齣の絵で、全体が構成されている。各齣の変わっているところといえば、吹き出しに書き込まれている少年の言葉だけなのだ。

1齣目=「亡くなった人のキモチとかわからないし」

2齣目=「分けられない いっしょくたの霊って どんなものかわからないし」

3齣目=「そもそも神社に霊が存在するかどうかもわからないし」

4齣目=「ボクらは ずいぶんあいまいなものに ふりまわされていないか?」

これらの言葉は、靖国問題の本質をズバリと言い当てているような気がする。大体、靖国神社というのは、明治の軍事リーダー達が「戦意高揚」のために作り出した政略的な造作物だがら、ここに戦死者の霊が集まるとか、天皇・大臣が参拝すれば英霊がよろこぶとかいうのはすべてフィクションなのだ。漫画の少年が語っているように、もう百年もしたら、後世の日本人は皆ありもしないものに振り回されて大騒ぎした靖国騒動を皮肉な目で眺めるようになるだろう──これが、合理主義者・無神論者・リベラリストの偽らざる感想なのである。

そして、こうした感想を抱いて靖国問題を眺めている日本人は、およそ3割はあるだろうと思われるのに、その発言が新聞紙上に現れることは絶えてない。この4齣漫画がはじめてといっていいくらいなのだ。

戦死者達は、本当のところ侵略戦争の道具に使われ、異境の地で恨みをのんで死んでいったのである。戦死者の大半は、餓死なのだ。だが、肉親を戦場で失った家族が、その死に何らかの意味を見出そうとする気持ちは理解できるし、靖国神社が国民全体の崇敬の対象になっていて欲しいと願う遺族の感情も理解できる。

現代の日本人に必要なのは、遺族のそうした感情に共感しながらも、他方で冷厳なリアリストの目で問題を直視することだろう。

別の問題で考えてみよう。肉親を殺された者が、犯人を死刑にしたいと思う気持ちは分かる。だからといって、死刑制度を肯定することは、人命尊重の立場に反し、世界の大勢に逆行することになる。としたら、われわれ部外者は、遺族の感情を尊重しつつも、死刑反対の姿勢を崩さないという態度を取るしかない。

個々の犠牲者への同情と共感、そして大局を見通す冷徹な眼識、この一見二重基準とも見える姿勢で現実に臨むことが、特にマスコミに対して望まれるのである。