甘口辛口

右翼のローカル論理

2006/8/23(水) 午後 0:04
自民党の加藤紘一宅が放火されたというニュースを聞いて、「とうとう、始まったか」と思った。右翼によるテロが盛んだった戦前の政治風土を思い出したからだ。戦前は、「一人一殺」をスローガンにする井上日の「血盟団」などが、公然と活動していた時代だった。

あの頃と同じように書店には、右傾雑誌が山積みになり、若者達がそれらを好んで買っていく。こういう風潮を育てた責任の一端は小泉純一郎にある。男女共同参画社会に反対してきた安倍晋三も、憲法改正・教育改革を公約に掲げ、小泉の右翼路線を踏襲する構えを見せている。

困るのは、右翼思想に頭をつっこんでしまった相手とは、まともな議論が出来なくなることなのだ。私はパソコン通信時代に、右翼の皆さんとよく議論をしたが、一度たりともちゃんとした「論争」に発展したことがなかった。こちらが人類普遍の論理にしたがって議論しているつもりでも、相手がローカルの論理を持ち出して、それを普遍的論理より上位に置き、一方的に独断を押し通してくるからだ。

例えば、日中戦争中の「南京虐殺」が話題になったとき、議論をしていた右翼学生は通州における日本人虐殺の話を持ち出して、中国人だって日本人の大量虐殺を行ったのだからどっちもどっちだ、所詮あいこだと言い出すのである。百歩譲って、通州での日本人死者が南京における中国人の死者と同数だったとしても、両事件とも中国本土内の事件だったことを考えれば黒白は自ずから明らかになる筈なのだ。だが、相手は頑として引き下がらない。

この二つの虐殺事件が、両国とは無関係な第三国で起きた事件ならどっちもどっちという理屈は成り立つかも知れない。しかし、事は中国国内での出来事だったのである。その点をこちらが汗を流して説得しても、相手は通州での事件がいかに残酷なものだったかを言い募るばかりで、議論が一向に噛み合わない。

何人もの右翼と議論してみて分かったことは、彼等が日本には独自の倫理や伝統があり、日本人であるからには、先ずこれを優先させて思考し、そしてこれに基づいて行動すべきだと信じ込んでいることだった。彼等は人類普遍の論理を一応承認する、だが、結局、われわれは日本人なのだから、日本的論理に従い、日本のために行動すべきだという愛国論・国粋論を優先させてしまう。

石原慎太郎や安倍晋三が教育改革を口にするのは、人類普遍の論理やヒューマニズムの倫理に脅威を感じているからなのだ。世界共通の普遍的真理が浸透したら、彼等の支持基盤であるウルトラ保守層が弱体化すると心配しているのである。

だが、ローカルな論理は一時は勝利しても、やがては普遍的真理の前に姿を消すことになる。靖国問題に関連して、「今日の日本の繁栄は、英霊たちの死のたまものである。日本人であるからには、英霊に感謝の祈りを捧げる義務がある」というのは、ローカルな理論なのだ。だが、公正で普遍的な目で眺めたら、こういう結論になるのではないか──「戦死者達は、侵略戦争に狩り出されて無惨な死を遂げたのだ。その証拠に戦死者の大部分は外地で死んでいる。もし、日本が侵略戦争をせず、無用な戦死者を出すことがなかったら、日本は今よりもっと繁栄していただろう。われわれは、悪政の犠牲者になった同胞に哀悼の祈りを捧げよう」。

最後に、パックイン・ジャーナルで知った話も紹介しておきたい。加藤紘一宅の被害を聞いて、以前の盟友山崎拓は早速加藤紘一に見舞いの電話を入れたそうだが、小泉純一郎からは今もって、何の音沙汰もないという。彼は保守票目当てに靖国参拝をして近隣諸国との友好関係をメチャメチャにしてしまった。国益を損なっても平然としている彼の独善と冷酷は、加藤紘一に対する態度にそのままあらわれている。