甘口辛口

ヘンな国(1)

2006/9/9(土) 午前 11:29
自分の生まれた国を「ヘンな国」だなと思うようになったのは、中学3年頃からだったような気がする。その頃、日中戦争は泥沼に入り込み、何時戦争が終わるのか全く見通しがつかなくなっていた。地域でも、学校でも、「戦意高揚」のための集まりがしょっちゅう開かれ、その度に新聞記事をまるごと反覆したような演説や訓辞を聞かされた。

訓辞をする面々は、演説の途中で、「かしこくも陛下は」「畏れ多くも上御一人におかせられては」という具合に、「畏れ多くも」とか「かしこくも」という言葉を枕詞にして天皇の名前を持ち出すのである。演説する相手が壇上で、「畏れ多くも」といいながら大仰な格好で姿勢をただすと、聞いている方も、一斉に「不動の姿勢(両足の踵を八の字に揃え、両手を両腿の側面に下ろした直立不動の姿勢)」を取らなければならない。芸のない演説者ほど、盛んに天皇の名を持ち出すので、聞いている方はその都度、不動の姿勢と休めの姿勢の間を行ったり来たりしなければならなかった。

だが、やたらに天皇を持ち上げると、反動が起きる。
天皇を現人神(生きている神)だと仰ぎ見る一方で、「大正天皇はバカだった」という噂が密かに民間に流布していた。天皇は東京帝大の卒業式に臨席して勅語を読み上げるのを例としていたが、大正天皇はこの勅語を記した巻紙を望遠鏡にして場内を興ありげに見回したというのである。事実は勅語を読み上げる前に、手にした紙筒をちょっと見通してみたに過ぎなかったらしいが、これが誇大に伝えられたのだ。

大正天皇は、バカどころではなかった。彼の作る短歌は、歴代の天皇のなかでも指折りの出来栄えを示しているし、筆を取って書をかかせたら、やはり代々の天皇が及ばないほどの腕前を発揮している。大正天皇に多少おかしな所があったとしても、それは、「うんと優秀な人間がああいうつまらない商売をさせられれば、おかしくなるのは当たり前だ」(某大学教授の評言)というウラ事情ががあったからだろう。

つまらぬ人間がやたらに演説をしたがったり、バカな人間ほど威張っていたのが戦時下の日本だった。日本の軍隊は「皇軍」で、日中戦争は「聖戦」だということになっていたけれども、日本の軍隊が新兵イジメの横行する地獄のようなひどいところだったことや、その軍隊が中国に行って捕虜や住民を試し切りにしたり、度胸試しのため銃剣で刺殺したりしていたことは、当時においてすら公然の秘密になっていたのだ。

とにかく、あの時代でも、天皇に対する国民の評価、戦争に対する国民の評価には表と裏があったのである。にもかかわらず、表だけがやたらに喧伝され、裏側の話はちっとも表面に出てこなかった。これには、政府による言論弾圧の影響もあった。わが国の政府は、自由民権運動を弾圧したのを手始めに、社会主義からデモクラシー運動に至るまで、すべての進歩的な運動を過酷なやり方で弾圧してきたのだ。

戦前・戦中の日本は、汚れた部分、醜い部分に目をつぶって、自らを「神の国」と美化していた。日本は桜の咲く、世界で一番美しい国で、米英は鬼畜の国だった。中学生の私は、陰で自国を批判している大人達が、表に出れば口をぬぐって神妙な顔をしているのが不思議でならなかった。(日本というのは、ヘンな国だな)という感じは、この時からずっと消えずに残るようになった。
(つづく)