甘口辛口

ヘンな国(3)

2006/9/11(月) 午後 2:48
戦争末期に声高に叫ばれたのが、「一億玉砕」というスローガンだった。国民はこのスローガンを素直に受け入れ、間近に迫った日本人の全滅死を覚悟したのだった。

国民の多くは、まわりの皆が死ぬ気でいると思ったから、自分も死を覚悟したのであり、自発的に玉砕することを選び取った者は皆無に近かった。欧米で流行しているジョークに「日本人を海に飛び込ませるには、皆が飛び込んでいるといえばいい」というのがある。戦争末期の日本人は、自分以外の他の国民全員が海に飛び込む気でいるという「共同幻想」にとりつかれ、皆が玉砕するなら自分も行動を共にするしかないと考えたのである。

ところが、戦争が終わり、蓋を開けてみたら、本気になって玉砕の決意を固めていたものなど僅かしかいなかったという事実が明らかになった。事情は天皇=現人神信仰についても同じで、国民の多くは内心、病気で死ぬような神があるものかと思いながら、皆が現人神と考えているなら自分もそうすることにしようと割り切ったのだ。

日本人は、個人としては社会現象の万般についてリアルな判断を下しながら、国民としてはそれらを括弧に入れて、「共同幻想」の合唱に加わっていたのである。敗戦によって、これら背理に充ちた集団幻想は消滅したように見える。だが、東条英機・岸信介などA級戦犯の孫達が、「大東亜戦争は自衛戦争だった」「自虐史観に立つ戦後の歴史教育はけしからん」などと息巻いて戦争中の「共同幻想」を復活させようとすると、それに同調する者が出てくる。

日本人が今もなお非現実的な共同幻想の虜になるのは、この幻想の背後に日本人特有の「世間」観があるからだろう。われわれ日本人は、世間というものが住民の意志と感情を体現する一種の生命体であるかのような錯覚にとらわれている。昔の親たちは、社会に出て行く子供達に、「世間様に可愛がれるようにするんだよ」と訓戒を与えたものだが、今でも世間に逆らったら破滅するという恐怖感を抱いて生きている日本人が少なくないのだ。
こうした世間観が生まれたのは、日本人が山だらけの島国に過密状態で押し込まれているからだった。単位面積当たりの米の人口扶養力は、小麦などよりはるかに高い。だからアジアの米作地帯は、欧米のようなパン食地域に比較して自然に過密社会になってしまうのだが、とりわけ日本人はほぼ同一民族によって構成され、均質文化を発展させているから、同種同質の人間が寄り集まった満員電車のような過密社会になってしまっている。

僅かな平野、多数の盆地、山間の谷間などに、過密状態で押し込まれた日本人は、互いに傷つけ合うことなく平和に暮らしていくためには、情意共同体としての世間というものを仮想して、全員がそれに合わせて暮らしていくしかない。未成年者が事件を起こしたりすると、近所の主婦が「ちゃんと挨拶もするし、いい子だったのにねえ」と、まるで挨拶するかしないかが決定的な判断基準になるような意見を述べたりする。世間に自分を合わせる第一歩は、隣人との挨拶を欠かさないという習慣にあるらしいのだ。

世間と同調しなければ敬遠され、世間に恭順の姿勢を示せば評価される。山本周五郎は、「食い詰めた若者でも、毎朝、町内を黙って掃除していれば、年寄り達が相談して適当な仕事を見つけてくれる、それが世間というものだ」という趣旨のことをいっていたけれども、昔は小うるさい世間にも、こんな功徳があったのである。

教員社会を例に取れば、毎日、チョークにまみれて授業をしているのだから、大抵の人間はスポーツシャツ姿で出勤してくる。ところが、30を過ぎると、ネクタイ・背広で出勤し、授業中もネクタイをはずさない教員が現れてくる。そして、こうした教員が「世間への恭順の姿勢」を教育委員会などから評価されて管理職に登用されて行くのである。

世間が目に見えないところでこうした力を見せつけるから、成功を望む人間は自分の個人的意見を無かったものとして押し隠し、世間の風に合わせて生きることになる。彼等は「ハンカチ王子」や安倍晋三を好きになり、秋篠宮妃の出産をわがことのように喜んでみせる。こうした風潮がマスコミの世界にも浸透しているから、TVや新聞雑誌には世間受けする情報ばかりが溢れ、辛口の意見は姿を消してしまうのだ。

日本が置かれている人口過密な島国という現実が変わらない限り、大勢に順応する「国民性」は今後も変わらないかも知れない。とはいっても、皆が海に飛び込むと聞いて、われもわれも海に飛び込むような日本的光景は、あまり目にしたくないのである。