甘口辛口

皇室に外人を

2006/10/29(日) 午前 10:37
去年ロッテが日本シリーズを制し、今度は日本ハムが日本シリーズを制した。これを見て、つくづく哀れに思うのは読売ジャイアンツの硬直した純血主義である。巨人軍はプロ野球の盟主だった過去に過剰なプライドを抱き、監督やコーチをOBから選ぶ。おまけに、社主のナベツネ氏は何かといえばチームの運営に口を出す。何から何までロッテや日本ハムとは違うのである。

日本ハムは本社の経営と球団の運営を完全に切り離し、球団統括本部長に全権を与えている。この本部長が日本では全く知名度のない、どこの馬とも知れないヒルマンを連れてきて監督にしたのだ。彼にはマイナーチームの監督という経歴しかなかったが、チームの指揮官としての手腕は一部では高く評価されていたのだった。

チームや会社を建て直すには、肩書きや知名度にとらわれることなく、本当に実力のある人間を連れてきてトップに据え、これにすべてを託す勇気が必要なのだ。たとえば、日本的経営方式なるものにどっぷり漬かって経営不振に陥っていた日産を立て直すには、合理主義者ゴーンを連れてこなければならなかったし、中国経済を立て直すには開放経済論者のケ小平の登場が必要だった。

ヒルマン監督・ゴーン・ケ小平の三人を並べて共通点を探れば、それぞれの組織体にこびりついている旧套墨守主義を打破したことがあげられる。「白い猫であろうが黒い猫であろうが、たくさんネズミを捕るのがいい猫だ」というケ小平の言葉は、外見にごまかされない実質主義と伝統に縛られない合理主義を貫いた三人の行動原理を端的に現す言葉になっている。

こういう実質主義と合理主義は、世界のどこに持って行っても通用するから、自国内でしか通用しない「伝統固守主義」に対抗する「世界主義」と命名してもいいかもしれない。わが国には、この「世界主義」によって内部を刷新しなければならない組織が数多くある。その必要度の最も高いのが皇室なのである。

邪馬台国の卑弥呼以来、天皇の主要な仕事は神主業務だった。天神地祇に祈って国内の悪を払い、毎年の豊作をもたらすのが天皇の職務だったのであり、その伝統が21世紀の今になっても続いているのである。皇居内で執り行われるこの種の宗教行事が数十に及ぶと聞けば、その時代錯誤に驚かぬものはいないだろう。

だが、生粋の皇族は、生まれたときからこうした中世的な世界で生きているから、宮廷内の慣行に疑問を持たない。悲惨なのは、外部から嫁いできて皇太子妃になった女性たちである。日本の皇室は、美智子皇后、雅子妃と、聡明な女性を二代にわたって精神疾患にするほど非人間的な要素を内包しているにもかかわらず、制度改革をしようとする動きはほとんどみられない。古い体制に利益を得ている勢力が存在するからだ。

皇室を近代化するには、次期天皇候補者(男でも女でも)を外国に留学させ、外人と結婚するチャンスを作ってやるしか手がないのではないか。皇太子が国内ですぐれた配偶者を得ることは困難になっているから(皇太子がお妃捜しに苦労したことを思い出してほしい)、国外に適当な異性を求めた方が早道なのだ。こうして外人が皇室に入り、彼ないし彼女がハッキリものを言ってくれれば、日本の天皇制も少しは人間的なものになるのである。

天皇の妻ないし夫が外人になれば、頭の固い右翼はカンカンになるにちがいない。だが、国民一般が大歓迎するだろうことは保証してもいい。日本人はこうした外人が大好きで、たちまち彼らをヨン様やベッカム以上のアイドルにしてしまうのだ。熱狂的な歓迎を受けた彼らが、記者会見で「世界主義」に基づく発言をしてくれれば、その教育的効果は計り知れないのである。