甘口辛口

頑張りすぎた人々

2006/11/22(水) 午後 4:14

お昼のテレビ番組「ピンポン!」をつけてみたら、「真相報道バンキシャ」で顔見知りになった福沢朗が総合司会者になっていた。「ピンポン!」を見ているうちに、福沢朗が「報道ステーション」の古舘伊知郎と兄弟のように似ていることに気がついた。こんなことに今頃気がつくとは、何ともうかつな話であった。

二人は顔型といい、体型といい、実によく似ているのだが、私が「兄弟のように似ている」と思ったのは、そうしたことよりも二人が感情表現を誇張して俗受けを狙っていることだった。知事の談合関与、官僚の天下りなどを報道するときに、彼らはいかにも嘆かわしいという顔になり、語気を強めて怒りの感情を表現してみせるのだ。

それがイジメ問題やそれに基づく自殺を報道するとなると、一転して何オクターブか声を落とし、目を潤ませて悲痛な表情をしてみせる。とにかく、思い入れ過剰、演出オーバーなのである。あまり派手な感情表現を見せつけられると、視聴者はかえって白々しい気持ちになる。


二人はしゃべりの専門家であり、特殊技能の所有者だから、立て板に水のようにしゃべる。本当に感情の豊かな人間は、口をきくとき、ためらったり、言いよどんだり、黙り込んだりするから、話をしても立て板に水というわけにはいかない。立て板に水のしゃべり方をするには、余計な感情を持っていてはならないのである。とすると、古舘・福沢は、もともと感情が希薄だから、自らの内部をからにして能弁になりうるのだということになる。

もう一度言うけれども、しゃべりの専門家は、自己中心的なのである。だから、いったん口を開けばたちまち自己陶酔に陥り、一方的にしゃべりまくることができる。流れの速い川が浅いように、ぺらぺらしゃべる人間の内面はあまり深くない。しゃべりの専門家は、その人間的なマイナス面を逆手にとることで職業的な成功を収めているのだ。

ところが、ニュース番組の総合司会者として成功するには、立て板に水という調子でしゃべっているだけでは足りない。人間的な魅力に富み、視聴者に好感をもって迎えられなければならない。古舘伊知郎も福沢朗も、そのためには感情表現を豊かにしようと考えた。だが、もともと、感情生活が未熟だったとしたら、その表現はどうしてもオーバーになってしまうのである。

感情表現を誇張し、オーバーアクションを続ければ、視聴者に歓迎されると思いこむところに彼らの人間理解の浅さがある。彼らの思い入れ過剰な司会を喜ぶ視聴者も中にはいるかもしれない。だが、「過ぎたるは及ばざるがごとし」なのだ。視聴者の多くは、二人が力めば力むほど、そっぽを向くようになる。

「頑張りすぎ」によって逆効果を招いているのは、一部のタレントばかりではない。文筆業者にも、肩に力が入りすぎて本来の味わいを失ってしまう例が多々あるのだ。

「サラダ記念日」によって一世を風靡した俵万智の作る短歌が、年を追って輝きを失っていくのはなぜだろうか。最初、彼女は気取らず、繕わず、感じたことをそのまま歌にしていたから、その飾らない自然体が人を惹き付けたのだった。普通の若い女性というものは、こんな風に感じ、こんな風に生きているのかと、歌われている内容が日常的で平凡だっただけに、逆に新鮮な驚きをもって読者に迎えられたのである。

名声を得た俵万智は、その後意識して歌を作るようになった。平凡で単純な短歌ではなく、より複雑な味わいのある作品を作ろうと努力するようになったのだ。すると、彼女の作品を魅力あるものにしていた素朴な感じが消え失せ、その短歌に大学卒の元高校教師という地金が見え隠れするようになってしまった。

人間は絶え間なく成長し変化して行くから、彼女がいずれ「サラダ記念日」の世界を出て行かねばならぬことは分かる。としたら、彼女はサラダ記念日調のスタイルを捨て、新たな形式でその後の自己世界を作品化して行かなければならない。

彼女は40歳で未婚の母になったという。彼女はこの間、女としての苦悩や喜びをたっぷり味わったはずだが、近作にはサラダ記念日調が未練気に残り、実存主義的な世界を中途半端に描くにとどまっている。

しかし、私が頑張りすぎによって駄目になった作家として第一にあげたいのは、鴎外の娘小堀杏奴なのだ。

戦前に出版された小堀杏奴の「晩年の父」は、純金のように美しい本であった。彼女も俵万智と同じように、第一作を書いたときには飾らず、繕わず、自然体の素直さで父の思い出を書いていた。だから、当時の読書家に、あれほどの感動を呼んだのである。彼女の余光は戦後になっても消えず、人々から推挙されて文部省か何かの政府審議会の委員になっている。

大作家を父に持った娘が、父の思い出を書いて評判になり、文壇から注目される存在になったのは小堀杏奴だけではない。彼女の姉の森茉莉もそうだし、幸田露伴を父に持つ幸田文もそうだ。そして、森茉莉と幸田文は、その後作家として大成しているが、小堀杏奴だけはぱっとしないのである。

私は戦後になって彼女が著した「不遇の人 鴎外」などを購入して読んだが、これが小堀杏奴の書いたものかと思うほど粗雑な文章でつづられていた。彼女は父が不当に低く評価されていると考え、鴎外を評価する者以外を認めないという立場を頑固に守っている。

彼女がいかに苛立っているかは、地の文章の中に感嘆符号「!」を入れていることでも分かる。強調したいことがあっても、言葉で表現できず、符号を使っているのだ。娘の頃にあれほど繊細で美しい文章を書いていた小堀杏奴が、まるで出来の悪い中学生のような「作文」をしている。彼女が戦前に書いた本と、戦後に書いた本を比べると、純金と錆びたブリキほどの差があるのだ。

私は彼女の本を読み、鴎外のために、そして小堀杏奴のために、涙せざるを得なかった。
(写真は最近のテレビから収録──俵万智)