甘口辛口

お茶の水女子大学の卒業生

2006/12/10(日) 午後 1:15
私の出た学校とお茶の水女子大学は、目と鼻の近くにあった。
この二つの学校は、戦前、旧制中学校や高等女学校の教師を養成する目的で設立されたから、両校に学ぶ学生の気風に多少似通ったところがあったかもしれない。戦後に学生運動が盛んになると、両校の学生はコンビを作って活動するようになったのだ。

5月1日のメーデーにも、二つの学校の学生は一緒にプラカードを作って、一団となって参加した。だから学生運動に首をつっこんだばかりの私も、お茶の水大の学生と腕を組んで、メーデー当日、都大路を練り歩くことになったのだ。重要な闘争の前には、私たちは合同で会議を開き、運動方針を相談して決めた。私たちにとって、お茶の水大の学生は行動を共にする「同志」だったのである。ついでにいえば、私の初恋の相手も同大学の学生だった。

卒業後も、お茶の水大出身者との縁は切れなかった。病院に入院中に親しくなった詩人谷敬の夫人しま・ようこはお茶の水大を出ていたし、故郷の高校に就職してみると、先輩の奥さんもお茶の水大の卒業生だった。そしてお茶の水女子大学に進んだ生徒とは、何故か知らないけれども師弟の枠を超えて個人的に長く交流するようになるのである。

学生時代には、他の女子大の学生とも「闘争」場面で何度か行動を共にする機会があったが、お茶の水大の学生には他の大学の女子学生には見られない特徴があるようだった。ケレン味のない質実な感じの学生が多いのである。

事実、谷敬夫人のしま・ようこは小学生の頃から浮華なものを嫌い、手仕事を愛していた。彼女は手元にある布で自分の服を作り、セーター・マフラー・手袋・靴下などをすべて自分の手で編んだ。毛糸は古いセーターをほどいて湯通しをして再生したものを使った。新しい毛糸を買ったことは一度もなかった。

洗濯も粉石けんを使って、自分で洗った。こうした手仕事を彼女は成人してからも続けている。端布を縫い合わせて作った衣服を今も着て、洗濯機を使用しないで手洗いを続けている。彼女が所持していないのは洗濯機ばかりではない。しま・ようこは、未だにTVもパソコンも持っていないのである。

40代の頃、私が週に2時間倫理社会を担当したクラスにK・Kという生徒がいた。小柄で目がぱっちりして、ほっぺたの赤い、可愛らしい生徒だった。彼女はお茶の水大の国文科を卒業して教師になり、一時期、私と同じ高校に勤務していたこともある。

安藤昌益に傾倒していたこのK・Kが、定年を待たずに退職したと思ったら、「直耕・直織」の生活を始めたのだ。安藤昌益は、他人が作った食物を食べ、他人の織った衣服を着るのは盗賊の行為にほかならないという猛烈な思想の持ち主で、すべての人間は自ら耕し、自ら織る生活をすべきだと主張している。K・Kもこの考え方に賛同して、自ら耕し自ら織る生き方を実践するため教師を辞めたのである。

K・Kには、実家の母が残してくれた2アールの畑があった。この畑のすべてを耕して野菜を作付けするのは手に余ったが、彼女は焦らずに農作業を続けた。シロウトが百姓仕事を始めるに当たって最初に戸惑うのは、それぞれの野菜の蒔き時と収穫の時期を何時にしたらいいかということだ。それが分からないままに、自分の判断で適当と思う時期に種をまいたり苗を植え付けたりするから、思うような成果が得られない。

K・Kは失敗を繰り返しながら徐々に腕を上げ、今では2アールの畑の他に7アールの田を耕して大豆などを栽培している。この大豆は、親戚から借りた足踏み脱穀機で脱穀した後に、自家製の豆腐や味噌に姿を変えている。このほかに彼女は田んぼで収穫した小麦を製粉してパンやうどんを作り、日々の食膳に供しているのだ。

秋になると、畑の整理・庭の片づけをして農作業を終える。夕暮れ時に、庭先に枯れ枝や栗のイガを集めて焼いていると、夕闇と共に炎の色が赤く濃くなる。栗のイガがその形を保持したまま、炎の中で燃え輝くのを見ていると、穏やかな幸福感に包まれるのである。

彼女は、信州の冬が寒くて長いことも気に入っているという。農作業から解放された冬の閑暇を、織機を動かしたり本を読んで過ごすことが出来るからだ。K・Kは布を織ることでも腕を上げて、娘の結婚式に間に合わせようと目下紬の帯を織っている。

お茶の水女子大学の卒業生には、しま・ようこやK・Kのようなタイプの女性がいるのだ。私は母が存命の頃、東京見物のお供をして歌舞伎座に行ったことがあった。そこで偶然、一緒に学生運動をしたお茶の水大の「同志」と再会した。かつての女闘士は、古典芸能にこっているということだった。これも悪くはないけれども、私は今では彼女にK・Kのような生き方もあることを教えてやりたいと思っている。

都会に住むインテリ女性に欠落しているのは、農作業や機織りなどの「労働体験」なのだ。人間、一度は謙遜な気持ちになって土を耕したり、手仕事に打ち込んだりする必要があるのである。