甘口辛口

貴乃花と石原慎太郎

2006/12/19(火) 午後 1:38
週刊誌の広告を見ていると、「石原包囲網に出口なし」とか、「親ばか子バカ」などの文字が躍っていて、権勢を極めた石原慎太郎も今やピンチに立っているらしいことが分かる。

しかし私が気にしているのは石原一家のことよりも貴乃花部屋の惨状で、九州場所後に元十両の五剣山が引退したため、部屋からは関取経験者が一人もいなくなったというのである。その結果、貴乃花部屋の所属力士は僅かに7人になってしまった。

貴乃花の父親二子山が部屋を経営していた頃には、所属力士が55人もおり、幕内力士は10人を数えていた。相撲協会には同じ部屋の力士を戦わせないという内規があるため、審判部が「これでは取組表を作製できない」と悲鳴を上げていたほどだった。それが貴乃花が部屋を引き継いでから2年10ヶ月の間に、力士は7人までに減少し、週刊誌の見出しに、「そして誰もいなくなった」と書かれるまでのていたらくになったのだ。

こうなったのは、弟子たちに対する貴乃花の態度に問題があったからだろう。
私は彼がテレビ番組に出て、「親方は、弟子たちの前で気高くしていなければならない」と語るのを聞いて、オイ、オイと思った。これでは貴乃花部屋の前途も楽観できないなと感じたのだ。相撲部屋の親方は、工事場の現場監督のようなものである。自分は崇高な存在だからと、弟子たちとの間に距離を設け、お高くとまっていたら仕事にならないのだ。

私がそんな感想を持ってから何日かして、ふと思い当ることがあった。
貴乃花も相撲部屋の親方の何たるかは知っている。だが、彼は兄の若乃花への対抗意識からああしたことを口にしたのではないか。兄若乃花は「お兄ちゃん」と呼ばれて、その親しみやすい人柄を万人から愛されていた。相撲の実力は自分より遙かに劣るくせに、愛嬌のある笑顔をふりまいたり、冗談を言って人を笑わせたり、自分を卑しくするような行動を取ることによって浮ついた人気を集め、両親からも特別扱いされている、そして、ついには二子部屋の後継者と目されるに至った、と貴乃花は考えていたのである。

貴乃花には、いいところを兄が皆持って行ってしまうという不満があり、その兄への対抗意識から、「親方は毅然としていなければならぬ」と言い出したのだ。そして、相続問題で兄や親族と争った末に部屋の継承者になると、自らの言葉を行動に移して弟子や部屋付きの親方に君臨する姿勢を示し始めた。かつて貴乃花に稽古をつけたことのある安芸ノ島などは、こういう貴乃花の態度に憤慨して部屋を飛び出してしまう。

貴乃花が態度を改めない限り、貴乃花部屋の将来は暗いと言わなければならない。聖書にも、「おのれを高くする者は、低くされる」という言葉があるのだ。

聖書の言葉が意味するところを、貴乃花同様、胸に手を当ててよくよく考えてみなければならないのが石原慎太郎である。彼は息子二人を国会議員にして、わが世の春を謳歌している。以前に二子部屋親方の一家が日本中から注目されたように、今は石原慎太郎の家族が日本で最も注目される「噂の一家」になっているのだ。

デビュー以来、石原慎太郎は世の良識派に反旗を翻してみせることで人気を得てきた。彼は、愛と平和の小市民生活を侮蔑して暴力を賛美し、「名もなく貧しく美しく」生きる男女の純愛路線に対抗して金持ちのお坊ちゃんの性的乱倫の世界を描いた。彼はきれいごとの世界の裏に本音の世界があることを知っており、きれいごとの世界に反発する読者を目当てに小説を書いたのである。

彼は又、アメリカ一辺倒の社会に反発する読者層を標的に、米国に対してノーといえる日本になるべきだと唱え、ウーマンリブに反対する男たちに向かって父権復活を訴え、日中友好ムードを嫌う保守層に迎合して反中国のパフォーマンスを演じて見せた。彼の行動の裏には、常にポピュリストとしての狡猾な計算がひそんでいる。

時流に抗する国士という看板を掛け、反権力のポーズを取っていた石原慎太郎が国会議員から都知事になり、権力の一端を担うようになると、今度は権力を擁護する側にまわり、青少年の堕落を責めるようになった。彼は近頃の若者は勝手気ままで統一行動を取ることが出来ないと非難する。

「太陽の季節」で芥川賞を取った男が、ネオナチばりの「統一行動」を推奨するようになったのである。そして、彼は、学校教育の現場に権力支配を持ち込んで恬として恥じない厚顔ぶりを示すようになった。その時々に主義主張を変えるカメレオンのような本性が、ここに明らかになったのだ。

だが、カメレオンのように態度を変える石原の言説にも首尾一貫したところが一つだけある。それは彼の言動のすべてにアンチヒューマニズムの思想が刻印されていることなのだ。彼が口にすることは、すべてヒューマニズムに反することばかりだ。彼はポピュリストであると同時に、アンチヒューマニストであり、人間の内部の歪んだ性情につけ込んでくる危険な政治家なのである。

そんな石原が都政を私物化していたことや、水谷建設との関係を暴露されて、ピンチに立たされている。彼が国士を気取って高姿勢になればなるほど、世間の指弾は厳しくなるだろう。石原人気が凋落すれば、東京都民もこれほど高慢で節操のない知事はなかったと気づく筈である。

二子山親方一家は崩壊してバラバラになってしまった。石原都知事が傲慢無礼な態度を続けるなら、石原家も二子山親方一家の轍を踏むことになりかねない。おおいに戒心して、心がけを改めるように祈りたいものだ。