甘口辛口

青島幸男の失速

2006/12/21(木) 午後 7:22

2006/12/21(木) 午後 7:22 雑感 練習用 Yahoo!ブックマークに登録
青島幸男がTVで活躍していた頃、こちらは長い病気中でそれらの番組を見る機会がなかった。だから、「意地悪ばあさん」のことも知らないし、彼が直木賞を取ったという小説を読んだこともない。

しかし、彼が政界に登場してからの行動は、新聞で読んで大体のことは知っている。一番印象に残っているのは、ある年の選挙期間中、彼は同僚議員が目の色を変えて選挙区を飛び回っているのを尻目に、家族を連れて海外旅行に出かけたことだった。旅行を終えて帰国してみると、彼はちゃんと上位で当選果たしていたのである。

こんなふうに世俗の慣習を小馬鹿にしたり、佐藤首相を財界の男メカケと罵って反権力の姿勢を誇示するのが、青島の政治スタイルだった。彼はどうせこんな世の中、深刻な顔をして生きるに値しないよ、と軽ろやかに生きて見せた。そして、その軽い生き方のなかに、ほどよく反俗・反権力の味をきかせて庶民の人気者になったのであった。

だが、彼は軽薄そうに見せながら、実は筋金入りの人道主義者だったのである。その点では、年齢も同じで似たような経歴をたどった石原慎太郎とは全く違っていた。石原は生まれながらのアンチヒューマニストなのだ。

その青島が東京都知事になってから、急に失速したのであった。知事を一期で辞めた後で参議院議員に立候補したが落選し、タレントとしてテレビ業界に復帰したが、最早昔日の人気は戻ってこなかった。

私は青島幸男がどうして失速したのか、その理由をつかみかねていた。彼は都知事として何かやってくれそうだと期待されていながら、世界都市博覧会を中止した以外に目立ったことは何もしなかった。これが青島人気凋落の原因とされているけれども、では彼は何故知事として無能だったのだろうか。

今日の新聞やテレビは青島の訃報を大きく取り上げ、いろいろな人物が彼の死についてコメントしている。私は青島が失速した理由を知ろうとして、それらのコメントを読んでみた。

彼と親しかった友人たちは、異口同音という感じで、青島が神経質で、まじめで、シャイな人間だったと証言している。彼らが言外にいいたがっているのは、青島が自らの弱気を過剰に補償しようとして強気な態度を取っていたということなのだ。こういう彼らの説に従えば、青島の失速は、都知事就任後、彼が本来の弱気を見せたからだということになる。

政党の援護なしに、単身で議会と戦わなければならなかった青島は同情に値する。だが、政党の援護がなかったという点では石原慎太郎も、大阪府知事だった横山ノックも同じなのだ。が、ここで注意しなければならないのは、青島が人道主義に基盤を置くハト派だったということだ。都議会や府議会の空気は、国会に比較すればさらに泥臭く、青島を見る目は石原慎太郎や横山ノックに対するよりも数段厳しかったのである。

都議会の批判に青島が嫌気を覚えるようになったのを、弱気と強気で説明するよりも、ハレとケで説明した方がいいのではないかと思う。ハレは非日常の祭りなどを意味し、ケは平凡な日常を指すのだが、青島幸男は本当は「ケ」型の人間だったという観察も多いのである。彼はお祭り騒ぎが大好きだと思われているにもかかわらず、実際は家族との水入らずの日常を愛していたというのだ。

都知事を去るとき、彼は「(東京都という船には)1200万人が乗っているわけで、タイタニックにはできない」と語ったという。青島は芯はまじめな人間だっただけに、都政を預かる当事者として無用な混乱を招いてはならないと考えていた。だから、彼は都の職員とも、都議会とも協調して、円満に事を進める方針をとった。

家庭人間だった彼は、テレビタレントだった頃、いざとなればお祭り人間の考え及ばないような斬新なアイデアを提案できた。これが彼のテレビ界で成功した理由だった。しかし、彼は寄る年波もあって、ハレの都政よりケの都政を選ぶようになったのである。

青島幸男は、波瀾万丈の政治を避け、平穏無事の都政を求めた。その結果、彼が失速したとしたら、それは彼が人間として成長したからではなかろうか。