甘口辛口

教育される日本人

2006/12/31(日) 午後 4:14

今日の新聞に、処刑される直前のサダム・フセインの写真が載っていた。首に絞首刑に使うロープが巻かれた写真である。現地のテレビでは、サダムの刑が執行され、彼が絶命するまでの実写映像も放映されたらしい。

敗戦後、しばらくの間は日本の映画館でも、戦犯処刑の映像がニュース映画で上映されていた。絞首刑の場面、銃殺の場面がナマのまま銀幕上に映し出されたのだ。絞首刑はアメリカの西部劇に出てくる通りの手順で行われた。処刑台に上った戦犯は、黒い袋で顔を覆われ、輪になったロープを首にかけられる。と思うまもなく、戦犯の足下の床が開き、その穴から体が下にストンと落ちて宙づりになるのだ。

銃殺刑を受ける男たちも、柱に縛り付けられ、顔に黒い布をかぶせられる。銃撃を受けると体は前方に倒れかかるが、縛られている身体は斜めに傾いたまま動かなくなる。

私たちは、これらの残酷なニュース映画を息をのんで見守っていた。占領軍がこうした映画をどんどん民間に流したのは、敗戦国民に反省を求め、二度と無謀な戦争をしないように教育するためだった。

GHQはこれ以外にも、日本人を教育するためにいろいろ手を打っていた。

ある日、父が勤め先から英文の週刊誌「Newsweek」を持ち帰ったことがある。近所の書店では、そんな週刊誌を売っていなかったし、第一、父には英文の雑誌を読むほどの語学力がないのである。何となく腑に落ちないものを感じ、「Newsweek」を開いてみて、父の手に雑誌のある理由が分かった。

「Newsweek」は、一ページをまるまる使ってマッカーサーを訪問した昭和天皇の写真を載せていたのである。天皇とマッカーサーが二人並んで立っているその写真を眺めると、マッカーサーの方は両手を腰に回し、平服でリラックスした様子で立っているのに、天皇は燕尾服に縞のズボンという正装をしている。天皇はマッカーサーの肩ほどの高さしかない上に、あろうことか痴呆のように口を半分開いているのである。

その後、私は同じ写真を別の本で見たけれども、天皇は口を開けてはいなかった。とすると、カメラマンはこのとき、何枚かの写真を撮り、その中に口を開けた写真も混じっていたのだ。

マッカーサーは、占領行政をスムースに進めるために天皇を頂点とする日本の官僚組織を温存する方針を採用した。だから、彼は他の連合国が天皇制の廃止を求めたのに対し、天皇制を擁護し続けたのである。その一方で、彼は天皇の神格性を盲信する日本人を教育する必要も感じていた。

マッカーサーの意を受けたGHQは、「Newsweek」誌へ天皇が痴呆に見える写真を提供し、この雑誌を教育効果を狙って各方面に頒布流したのではないか──私はそのように推測したのである。父は、その頃、地方でごくささやかな役職に就いていたから、その関係で「Newsweek」の頒布を受けるメンバーの一人に選ばれたのだろう。

もしGHQがこんな小細工をしたとしたら、彼らは日本人を見くびっていたのである。ノンフィクション作家の工藤美代子は、昭和天皇が初めてアメリカ大使館を訪問したとき、マッカーサーが大使館に勤務する日本人従業員全員を台所に移し、天皇と顔を合わせないようにしたことを記している。彼は、日本人従業員が「生きている神」である天皇に会ったら、気絶するのではないかと心配したのだった。

マッカーサーとその夫人が、日本人にあまり敬意を払っていなかったことは、夫妻が日本人の友人を持とうとしなかったことでも分かる。夫人は、はっきりと、「日本人の友人を持とうとは全く思わなかった」と語っている。その点は、夫も同じで、天皇は合計11回マッカーサーを訪問しているけれども、二人の間に友情が芽生えたとは到底思われない。皇后は、マッカーサー夫人を訪問したいと思っていたが、夫人の方で同意しなかったといわれる。

マッカーサーは、日本および日本国民を十何歳かの子供だと考え、いわば教育者としての矜持をもって日本人に臨んだのである。

アメリカの高官が、日本人を子供扱いするのはいいとしても、そのアメリカ人と結婚した日本人女性が日本人に権高な態度を取るのは感心しない。ライシャワー大使夫人のハルは、アメリの大学に進むまで日本で暮らしていた生粋の日本人だが、大使夫人になって日本にやってくると、欧米の友人と親しくしても、日本の友人は寄せ付けなかったという。夫人から格式張った英語で応対されたのでは、いくら忍耐強い日本人の友人も、二度と相手を訪問する気にはなれなかっただろう。

日本人が、アメリカ人から相応の敬意を払って貰おうと思ったら、誇りをもって行動することだ。小泉前首相のようにブッシュの言うことなら何でもOKという態度を取っていたら、腹の中で軽蔑されるのがオチである。