甘口辛口

世界市民から宇宙市民へ

2007/1/11(木) 午後 5:06
私たちは、一定の年齢に達すれば「天命を知る」ことによって、「一視同仁」の見方をするようになる──こう言われても、「本当かね」と眉に唾をつける向きもあるかもしれない。だが、これは本当の話なのである。人間、年を取ると、世にときめく成功者も、うだつの上がらぬ落伍者も、みんな同じに見えてくるものなのだ。従って、若い頃のように成功者を羨むこともなくなるし、落伍者を軽蔑することもなくなる。

それどころか、老人は、老いてなお権力に執着し、金銭欲にとらわれている仲間を、憐れみの目で眺めるようになる。ところが、ここに困ったことがあって、こういう権力亡者や物欲亡者を憐れんでいるうちはいいけれども、そのうちに腹が立ってきて彼らを憎みはじめたりするのだ。

たとえば、経団連の会長をしている某氏は、キャノンの会長か何かをしているらしいのだが、この男が国旗と国歌を尊重せよ、愛国心を涵養せよ、と言い始めたのである。

キャノンというのは、正規雇用者以外の従業員を低賃金で酷使していることで悪名高い企業だ。そのやり方があまりあくどいので監督官庁から警告を受けているほどなのだ。会社でそういうことをやっている男が、口をぬぐって国民に愛国心を持てと説教をする。

大企業は、空前の利益を生み出しながら、それを株式配当・役員報酬の引き上げに振り向けている。なぜ企業が空前の利益をあげているかといえば、従業員をリストラし、残った社員の賃金水準を固定して、現場の労働者を犠牲にして来たからだ。にもかかわらず、好況になっても働く者たちへの利益還元は無きに等しいのである。

今や、日本は小泉・竹中路線以後、富裕層にだけ奉仕する片面国家になり、経営者のための天国になってしまった。豊かな階層がこういう日本を愛する気持ちはよく分かる。だから、彼らが仲間内でいくら愛国談義にふけったとしても、それをとやかくいう積もりはない。しかし、彼らが自分たちとは裏腹に、国からことごとに邪険に扱われている弱者に向かって、この日本を愛せと説教するのはいささか図々しすぎると思うのである。

「論語」に、こういう一節がある。

   邦に道有るときに貧しくして且つ賤しきは、恥なり、
   邦に道無きときに富みて且つ貴きは、恥なり。

経団連会長の厚顔ぶりは、本来、憐れまれてしかるべきなのに憎んでしまう。これは精神衛生上もよろしくない。では、どうしたら彼らの所業を見て腹を立てないでいることができるだろうか。

方法の一つは、世界市民の立場に自分を置くことかもしれない。
世界の歴史は、緩やかではあるけれども、確実に人間解放の方向に向かって進んでいる。こうした世界史の動向を頭に置いて眺めると、国を滅ぼしてきたのは愛国心を説く人間だったという冷厳な事実が見えてくる。

政治家は、自国が人間解放に向かって進む世界史の動向から取り残されつつあると感じたときに、間違っているのは自分たちではなく世界の方だと強弁する。そのために「世界に冠たる国体」やら「誇るべき自国の伝統」を吹聴するのである。その結果、世界と自国の間のギャップはますます大きくなり、最後に世界から袋叩きされて自滅して行くことになる。

われわれは、世界市民として生きている限り、夜郎自大の自国絶対主義に巻き込まれることはない。だが、世界市民主義はヒューマニズムに依拠し、一定の価値判断に基づいて態度を決める。ということになれば、どうしても問題に対して感情的な反応を見せてしまうことになる。

このような感情的反応を回避する方法として石川三四郎が推奨するのは、世界市民を超えて宇宙市民の立場に立つことだった。第一次世界大戦と第二次世界大戦を体験した彼は、戦後に平和を誓い合いながら、すぐさま世界各国が再度大戦を起こしてしまう現象を潮の干満にたとえている。

革命家を自認する石川三四郎が、世界史の流れを冷静に眺めることの出来たのは、彼が宇宙市民として人間の営為を芸術品を鑑賞するように眺め得たからだった。

石川の著書には、「社会美学としての無政府主義」「幻影の美学」など、「美学」と題したものが多い。彼は書いている。

──「宇宙は一つの芸術体である。春夏秋冬、花鳥風月、自然の奏づる交響楽でないものはない。社会もその宇宙の一部分であり、また特殊の芸術体である。その芸術体の構成者である民衆は芸術家であり同時に鑑賞家である」(「社会美学としての無政府主義」)

アナーキストだった石川は、倫理的判断を超えた鑑賞的な態度で時代に対処することが出来た。これは、彼が人類の未来を楽観していたからだと思う。人間は原罪を負う身であり、エゴイズムの権化だから、理想的な社会に到達するには長い時間がかかるかもしれない。だが、人は何時かは目標を実現する。この確信があったから、彼はファシズムの荒れ狂う戦前の日本にあって、権力に屈することなく淡々と生きることができたのだ。