甘口辛口

雑食のすすめ

2007/2/2(金) 午後 2:34
納豆問題が一段落したあとで、医学関係者の言として、納豆ばかり食べているとガンになるという話が新聞に載っていた。これも又、エセ情報ではあるまいか。いや、いや、こっちは、ある程度信用してもよさそうなのだ。既に江戸時代の昔、新井白石の父親は自身の体験として、いろいろなものを混ぜて食べていれば、食物が互いの毒を消し合って病気にならないようだと語っている。

実は、私は納豆ばかりを食べて二年間を過ごしたことがある。
中高一貫の私立学園に就職して東京で教師をしていた頃のことだった。私は、精米業者の物置をただで借りて自炊をしていた。今なら、自炊など片手間でやっていけるが、時代は何しろ昭和20年代半ばのことである。先ず、炊事をしようと思ったら火をおこすことから始めなければならない。

学校から帰ってくると、夕方、庭の片隅に七輪を持ち出して炭火をこしらえるのだ。新聞紙をぎりぎりにねじって薪のようにしたものに点火し、その上に炭を乗せる。団扇で煽って炭に火が移ったところで、米を入れた鍋をかけ飯を炊く。飯が炊きあがる頃には、あたりは暗くなるから、炊事はそこで中止しなければならない。

今時の独身者は、オカズを作るのが面倒なら、生卵をぶっかけて食事を済ますこともできる。だが、あの頃は卵が高価で安月給取りには手が出なかったから、手っ取り早くオカズを手に入れようと思ったら選択肢は納豆しかなかった。炊きたての熱い米飯に納豆をかけて夕食とし、翌朝は昨夜の残りの冷えた飯に納豆をかけて済ます。

そんな生活を続けているうちに、自分の体が糸を引いてくるんじゃないかと思われてきて、故郷の母親にその旨を書いてやったら、オフクロはこれをユーモアと取って「この間の手紙はとても面白かった。また、続きを書いてほしい」と言って来た。

そうやって一年を過ごし二年目に入ったら、意外な話が舞い込んできた。何時も納豆を買っている食料品店の主人が、人を介して私に養子にならないかと申し入れてきたのだ。キチンキチンと定期的に納豆を買って行く私が、世にもまれな真面目人間に見えたのである。

納豆一辺倒の酬いは、覿面にやってきた。既往症の結核が進行して、ついにダウンしてしまったのだ。それから長い長い療養生活に入ることになるのだが、「納豆時代」の痕跡は今も残っている。少し長い期間、自炊をするようなときにスーパーで買ってきた同じオカズをずっと食べ続けるのである、こうした食生活が危険なことは、過去の体験から私の身にしみているにもかかわらず。

食い物のはなしと、遺伝子の話を結びつけるのは乱暴かもしれない。けれども、近親結婚は、偏食と同じ理由から有害なのではないかと思うのだ。異なる遺伝子を持った男女が結婚すれば、個々の遺伝子の持つ「毒」が相互に消し合って尋常な子どもが生まれてくるが、同じ遺伝子を持った男女が結婚すれば、生まれてくる子供にその遺伝子の持つ欠陥が増幅されて現れてくる危険性がある。

日本の「国体」を信奉する右翼の先生方は、万世一系の伝統を守れという。そして、皇位は男系子孫が継ぐべきであり、天皇に男の子がいないときには、天皇周辺の皇族から適当な男子を選んで皇女にめあわせるべきだと主張する(桜井よし子など)。つまり近親結婚によって天皇家の神聖な血を守れというのだ。こんなことをしたら、生まれてくる子供がどうなるか、先生方も頭を冷やしてよくよく考えてみることだ。

幸いに、歴代の天皇や女帝は、その多くが皇族外から配偶者を選んでいるからあまり大きな問題は起きなかった。人間は、放っておけば同族の異性よりも、一族の外側にいる異性に惹かれるものなのだ。天皇制を守ろうと思ったら、人はこうした人間性の自然を尊重しなければならないだろう。

「交雑の有効性」という点は、教養や思想の問題で、より強調さるべきだ。
鴎外は医学と文学を交雑させていたし、漱石は最初建築家を志したほど科学に興味を持っていた。漱石は、科学的な方法論で文学を解明しようとして「文学論」を著したほどだった。だが、それよりもっと大事なことは、日本を近代化した福沢諭吉らの先人たちがほとんどすべて西洋と東洋を交雑させた世界観の持ち主だったことだ。鴎外・漱石も、西洋と東洋を融合させた人間だったのである。

これに比較すると、日本の伝統的思考法に執着する思想家や作家は、進めば進むほど独断の泥沼に落ち込み、世界を敵とする軍国主義の鼓吹者になる。偏食する人間が重篤な病に取り付かれるように、右翼の皆さんは頭と心に重い病気を宿すことになるのだ。

以上の事例から私たちが学ぶことは、食事におけると同様に、異性関係、人間関係、思想関係、教養関係のすべてにおいて、心を大きく開いて外にある多様な対象を内部に取り込むべきだということだ。外国文学を嫌い、江戸時代を題材に日本的な世界を描いた山本周五郎や藤沢周平を愛している時代小説愛好者たちは、山本・藤沢の二人がアメリカのミステリーを耽読し、そこから作品のモチーフを得ていたことを知った方がいいのではないか。われわれの心を打つよきものは、その底で広い世界に通じているのだ。