甘口辛口

退職してから──その3

2007/2/9(金) 午後 2:18
シングルライフのいい所は、他人に煩わされることなく、食べた
い時に食べ寝たい時に寝られる事だという。しかし食べる時間、寝
る時間を感興の赴くままに随時変更するブラウン運動的生活は、解
放感を与えるどころか当人に混乱と苦痛を与えるだけである。私達
のエネルギーは「日常性」を求め、日常の慣習に従ってきまった流
路をたどることを求めているからだ。

行動主義心理学の見方に従うと、人間は習慣の束であって、生活
のどんな断片をとってみても、個々の行動を一定の順序で組み合わ
せた文節構造になっているという。

退職前の私は、目覚時計で朝七時に起きた。顔を洗ってから冷水
をコツプに一杯飲み(腸内活動を活発にするため)、階下に降りて
行って朝食を取った。そのあと体操をして(痔病対策)、それが
済むと新聞を持って二階に上がり、タバコを一本喫いながら出勤まで
15分程新聞を読んだ。

この順序は固定していて変わらず一日の生活は朝のこの習慣的行動
連鎖の上に成り立っていた。慌ただしい気分とか、落ち着かない気
持ちとかいうものは習慣的手順のテンポを普段より早めたり、手順
の一っを省略した時に生まれる。

生活を愛するとは、実はこの手順を愛することにほかならず、この
手順を少しずつ磨きあげていくことが生活を深めるということなの
である。

 「不生庵」に移って一人で暮らし始めた時、十数年間もつずけ
てきた生活習慣が崩れ、個々の行動が縄の解けた筏のようにバラバ
ラになった。これまでの習慣は、勤め先の学校の勤務条件に合わせ
て作られた「外発的」なものだったから、「定時出勤」という外か
らの強制がなくなると、途端に崩壊してしまうのだ。

私が為さねばならぬ最初の仕事は、バラバラになった行動を組み合
わせてエネルギーが無理なく流れるような新しい習慣を作り上げる
ことだった。ところが、これがなかなかうまく行かないのである。

 「外的強制力」の象徴としての目覚時計の使用をやめると、朝の
起床時間が定まらなくなったのだ。

目覚時計の使用を止めるということは、私にとって一種の解放だった
から夜は眠くなるまで本を読んでいて、朝、自然に目覚めるまで寝
ている。午前10時、11時近くまで寝ていることが当たり前になっ
た。すると、奇妙な現象が起きた。

5〜6日に一度、布団に入っても全く眠れない夜がやって来たのだ。
何か体内に睡眠必要量に関する計器のようなものがあって、毎日た
っぷり寝ていると睡眠必要量を充たしてしまい、眠ろうと思っても
眠れない時期が到来するのである。

「睡眠必要量」という問題で思い出すのは、灘尾弘吉という代議士
話である。彼は政局が波乱含みになると、不眠不休で一ヶ月過ごし
一段落すると帰宅して眠り始める。家人に定期的に枕元に握り飯を
補充しておくように命じ、目が醒めれば枕元の握り飯を食べ、こうし
て数日間、死んだように眠り続けたそうである。

私は不眠の夜には朝まで本を読んでいるか、深夜テレビを見てい
た。すると、夜が明けてからの日程がすべて狂い、丸一日が台なし
になってしまう。

私は少なくとも毎朝九時までには起きることにしたいと思った。そ
う考えた時が就寝時間を自ら規制しはじめた瞬間であった。とどの
つまり、私は就寝時間を午後11時から12時の間にするという退職
前と変わらぬ方式に戻ったのであった。

寝る時間が決まると、起床時間もそれに伴って決まってきて、私
は毎朝八時頓に起きるようになった。ここまでは固まってきたが、
ではその後をどうするかが定まらないのである。

日課が決まらないのは自宅から運んできて、書庫や納戸に山積みに
なっている蔵書の整理に追われたからだった。蔵書の整理は時間をか
けて慎重にやるべきだと考えていながら、いざ取り掛かると気が急
いて、つい自分を制御できなくなるのだ。知らぬ間に私は昼夜兼行
で仕事をしていた。

蔵書の中で一番多いのは、「古事類苑」全巻をはじめとする歴史
書で、高校で社会科を担当していた私は授業で歴史を教えることが
多く、職業的な必要から自然にこうなったのだ。次ぎに多いのが文
学・哲学・宗教書、それから心理学・社会科学・自然科学関係の本
という順序になる。

蔵書の整理には一週間程かかった。すべての本を分野別に区分し
て書架に収納し書庫内に設置した机に向かって座ると、あたりは薄
暗く静かで、母胎の中に入ったような気がする。南向きの健康的な
部屋ばかり並んだ「不生庵」には、こういう北窓の下の暗い一画も
必要なのだ、これからゆっくりと鴎外・漱石を読むためにも。

 机の近くに森鴎外・夏目漱石関係の文献を揃えた書架が配置され
ている。退職の挨拶状に「もう一勉強したい」と書いたのは、この
二人に関する考察を試みることを意味していた。

「シラーは闘い、ゲーテは育つ」という言葉がある。鴎外と漱石の
間には、シラーとゲーテを思わせる「心性」上の対比があるように
思われ、これを退職後に勉強する最初のテーマにしたかったのであ
る。

 世の読書家は、若い頃漱石を読み、それから鴎外に移るけれど
も、やがて又漱石に戻って来るそうである。
私自身のコースもこれと同じで、学生時代には漱石をよく読んだ
のに社会に出ると再びこれを手にすることはなくなった。「心」な
どは深刻めかした外見とは裏腹に内実は意外に手薄だと思うように
なっていた。

そして漱石の思いつめた誠実さよりも、鴎外の現世を見下ろすよう
な余裕のある態度や闊達自在な文章に魅かれはじめた。鴎外の作品
は質の高さという点で、漱石とは格が違うという気がしたのだ。

しかし鴎外に本当に魅かれはじめたのは、私が四〇代に入って彼の
素顔を発見したと思った時からであった。鴎外は何時も微笑して
いる。だが、これは瀕死の重病人が自分の味わっている苦痛を人に
告げても分かりはしないと思って「苦しくはない」と言って微笑し
てみせるような笑顔なのであった。

鴎外は生きることを業苦と感じるようなタチの人だった。彼はいわ
ば自分自身に読ませる為の精神療法用のテキストとしてあの特異な
現代小説を書いたのである。
(つづく)