甘口辛口

聡明な教授と利口な娘

2007/2/13(火) 午前 9:47
昨日の新聞を読んでいて、さすがに大学教授の書いたものは違うなと思わせる記事を二つ見つけた。

一つ目は、東大教授の書いた、愛国心と「歴史認識」の関係を論じた記事だ。この人は、愛国者が自虐史観に反対し、皇国史観に立っていると考えるのは間違いだというのだ。

愛国者を自認する人間なら、大東亜戦争やアジア諸国を植民地化して来た歴史を支持しているのではないかと、我々は思う。だが、アンケート調査を見ると、自分は愛国心の持ち主だと考えている日本人は78パーセントもいて、そのうちの85パーセントの人々が、「日本はアジア諸国への侵略や植民地支配を反省すべきだ」と考えているという結果が出ている。つまり、愛国心の強い者ほど自国の過去を反省し、あやまちを再び繰り返すまいと自戒しているのである。

考えてみれば、これは当然のことではあるまいか。
日本を愛する気持ちが強い人間ほど、日本が本当の意味で「美しい国」になることを望んでいる。本当に美しい国とは、安倍首相の主張するような国ではなく、その逆の国家なのだ。夜郎自大の浅ましい国家観を捨て、謙虚な気持ちで世界平和のために献身する国こそが、本当に「美しい国」なのである。

マスコミは、この点を誤解している。愛国者イコールタカ派なのではないのだ。愛国者の圧倒的多数はハト派なのである。テレビのディレクターなどは、タカ派の方が多数派だと曲解して、排外的なタカ派に肩入れする過ちを犯している。

二つ目は、桐蔭横浜大教授による犯罪社会学に関する記事だった。
この人によると、最近、世人は凶悪な犯罪が増えていると嘆くけれども、実は殺人事件による死者数は70年代に比べて半減しているのである。バラバラ事件などのような刺激的な事件が相継いでいることに惑わされて、われわれは事態を見誤っているのだ。

凶悪な犯罪が増えたのではない。犯罪そのものが、稚拙化しているのだ。バラバラ事件なども、典型的な稚拙犯罪であって、犯人は人を殺してからマンションには死体を埋める庭も床下もないことに気づき、思いあまって死体を切り刻んだに過ぎない。犯人が残虐になったのではなく、彼らの知能が短絡的になって来ているのである。

こういう記事を読むと、読者の視界は幕を切って落としたように開ける。人々が見落としているデータを取り出して、子どもにも分かる万国共通の論理を使って、結論を導き出しているからだ。そして、その結果、われわれの手垢の付いた常識は自壊し、ありのままの世界が見えてくるのだ。

これに比べたら、何百万部も売れているベストセラー本の内容のお粗末さが目立つ。これらの本の筆者も大学教授が多いのだが、新しいことを書いているように見えても実際は習俗の見方を出ていない。それどころか、世間的な常識を補強する役割を果たしている。本が売れるのは、既製観念に執着する読者に対して、頭の古いエセ学者が常識を変えなくてもいいよと保証してくれるからなのだ。

昨日は、芥川賞の受賞作品が載っているというので「文藝春秋」を買ってきて読んだ。
偶然かどうか、私が購入する「文藝春秋」には、決まって皇室問題の特集があり、今度の号にも「天皇家の亀裂雅子妃の孤独」という座談会が載っている。

芥川賞受賞作は、23歳の女性が書いた「ひとり日和」という作品で、なかなかのものだった。最初のうちは、「もう少し文章に艶が出てくれば太宰治だな」と思っていたが、読み進むにつれて若い娘の内面がよく書き込まれていることに感心し、作者の力量を見直すような気持ちになった。

この作品は一人称で書かれている。「わたし」は、どうしたわけか永続的で深い人間関係を作ることが出来ない。女友達とも、母とも、恋人とも、その場限りの浅い関係しか作れないで、結局彼女は「ひとり」になり、「ひとり日和」を楽しむしかない日々を送っている。

そういう娘の空虚を補うのが盗癖であって、彼女は周辺の人間から消しゴムとか、仁丹のケースとか、タバコとか、ごく安価な小物を盗み、折りにふれてそれらを取り出して眺めている。つまり、彼女は深い対人関係を作れないために、小物を盗んで相手との繋がりを仮構しているのだ。

若い女性がその場限りの浅い人間関係しか作れないのは、自分を売り物と考え、まわりの同性を売り手市場での自分の競争相手と考えてしまうからだ。従って、若い女性の心には、自分を売り物と考えないでも済む老年へのあこがれが潜んでいる。だから、「わたし」は思わずつぶやいてしまうのだ、「なんか、お年寄りってずるいね。若者には何もいいことはないのに」と。

男には、何時になっても「青春志向」というようなものがあって、「生涯現役」と力んだりする。女は年を取ることを死ぬより恐れているように見えながら、心の底に、「老年志向」を眠らせている。この23歳の新進作家の作品を読むと、そうした事情がよく分かるのである。