甘口辛口

田中前知事の受難

2007/3/2(金) 午後 10:19
かなり前の話になるが、朝日ニュースターの「噂の真相」という番組を見ていたら、評論家たちが集まって政治の内幕を語りあっていた。信じられないような実例がいろいろ語られているうちに、長野県民である私には、ちょっと信じられないような話が飛び出して来た。長野県前知事田中康夫にかかわる話である。

その番組に出席していたある評論家が田中県政の実態を探るべく、県庁記者室を訪ねたら、そこにいた新聞記者が、「われわれは田中県政のいい面はネグレクトして、悪いところだけを報道するようにしている」と語ったというのだ。私は、まさかと思った。ところが、最近、問題の発言を裏書きするような事実が浮上してきたのである。

田中知事の在任中、知事と激しく対立していた県議会は知事を問責するための調査特別委員会(百条委員会)を発足させた。田中知事が自分に不利な公文書を破棄するように部下に命じたというのである。委員会に出席してその命令を受けたと証言したのが県経営戦略局参事だったから大騒ぎになり、県紙の「信濃毎日新聞」も連日のように関連記事を大きく報道したのだった。

田中知事が選挙で敗北したのは、この百条委員会問題がかなり響いていた。私なども、この問題で知事への信頼感を失ったのだが、昨日、突然、今は保健施設所長になっている証言者の元参事が、「百条委員会での自分の証言は嘘だった」といい出したのだ。元参事が証言を翻したのは、公文書破棄の責任を問われて自分が捜査の対象になったからであるし、また、田中知事を落選させたことで自分の役割が終わったと考えたからでもあった。

元参事の証言撤回で、一番怒らなければならないのは、百条委員会の委員たちであり、これを連日のように大きく報道した新聞のはずだった。ところが、この両者が、まるで人ごとのようにケロッとしているのである。

県会議長は百条委員会の正副委員長と対策を協議し、「百条委員会はすでに解散しているので、証言者の元参事を審査するための場が消失している」という意味のことを語っている。元参事を呼び出して真相を究明する意志はないというのである。彼らには、藪をつついて蛇を出す愚をおかすつもりはないのだ。

では普段、リベラルな論調で記事を書いている信濃毎日新聞は、元参事の爆弾発言をどう報じているのだろうか。興味を持って今日の新聞を開いたが、最初はどこにも関連記事が見あたらなず、改めて紙面をくまなくさがしたていたら、3面の左下隅に、目立たないような短い記事になって、そのニュースがひっそり掲載されているのを発見することができた。新聞も、藪をつつくことを避けているのである。

これら一連の動きを見ていると、「噂の真相」で語られた話も嘘ではないと思われてくるのだ。

元参事の爆弾発言が事実だったとしたら、田中康夫前知事は受難者だったのである。そしてこの種の受難者は、田中前知事だけにとどまらないことに思い当たるのだ。

民主党代表時代の菅直人は、政府要人の年金未納問題を舌鋒鋭く追求した。だが、自身の年金未納が明らかになるに及んで、彼は党代表の地位を去らなければならなかった。その後菅直人の年金未納は社会保険庁の事務的ミスによることが明らかになったにもかかわらず、彼は再びその政治的地位を回復することができなかった。

菅直人が党代表の地位を去ってから、民主党の右傾化が始まる。そして、田中康夫が去ってから、長野県政の反動化が始まったのである。

田中前知事の功績は、全国の都道府県のなかで有数の赤字県になっていた県の財政を立ち直らせたことだった。彼は県職員の給与を削減し、脱ダム宣言によって土木費を圧縮し、入札制度を厳格化して談合を阻止した。お陰で県の負債の償還が進み、県財政再建のメドがついてきたのだ。

ところが、新しい長野県知事は「積極財政」に転じて、公金を惜しみなく土木工事に振り向け始めた。脱ダム宣言は廃止され、入札制度も従来型に戻され、露骨公然と既成勢力に奉仕する県政を開始したのである。

国や地方が受難者を生み出せば、その後には腐敗と堕落の泥道が続くのである。