甘口辛口

西村せつ子「歌集」(その2)

2007/3/6(火) 午後 7:41
少し先を急ぎすぎたようだから、作品に即して、彼女の深まり行く孤立の様相を追ってみよう。

「友は去り」というときの友は、全共闘系の友人達を意味している。具体的には、高校時代の仲間や東京女子大時代の同志、あるいは信大農学部の学生を意味しているが、これらの仲間達が、全共闘運動の退潮と共に相継いで運動から離れはじめ、気がついたら反逆の姿勢をとり続けているのは西村せつ子だけになっていたのだ。この頃、彼女は、「友達がみんな変わってしまった」という嘆きの手紙をよこしている。

時代に対する絶望感が、若い男女をその場限りの恋愛に走らせる点は、昔も今も変わりはない。


<おみなごよおん身二十歳の罪ふかき
         身にふりそそぐ蕭々の雨>

<遊ばれて遊びつかれて雨は降る
         かなしかるべしうたかたの恋>


遊びのつもりで始めた恋愛も、いつの間にか自分をとらえて放さなくなる。


<目を閉じてきみを想えば谷川の
        水さらさらとたえることなく>

<ぬらぬらと深海魚のこころして
         ひそかひとまちわれは息つむ>


その思い詰めた恋も、やがて砂山のようにはかなく崩れて行く。それは反体制の情熱で結びついた仲間達との友情が崩れて行くのと同じだった。


<ゆくことも退くこともうつつ世の
          逢瀬ならばやちりぢりとひと>


西村せつ子は、にがい気持ちで昔の恋を思い返す。彼女のようなタイプの女は、愛する喜びより、愛によって受ける苦悩のほうが何時でも深く大きいのである。


<ふりむけばきみと離(せか)れる遠つ日の
           地獄血めぐり賽の河波>


愛によって傷つき、したたかに血を流して来た西村せつ子にも、年貢の納め時がやって来る。結婚することに決めたときの彼女の手紙は、喜びに溢れていた。夫となる男性ばかりでなく、姑になるその母親のことまで賛美した手紙だった。

だが、彼女にとって結婚するということは、これまで彼女が体験してきた愛の喜びと苦しみを、改めて反復することにほかならなかった。家庭という場での愛憎は、舞台が小さくなっただけに、一層圧縮され、爆発力を増していた。

二人の間に子どもが生まれた頃から、西村せつ子はよく電話をかけてくるようになった。手紙を書くのがもどかしくなったらしかった。


<放蕩の男ひとりも殺せずに
        同じ厨で飯食っている>

<ひとの死を願う心の悽愴に
        あけてあなたは今日も嘘つく>

<死んでくれ死んで欲しいと叫ぶ日の
         そこよりきみは一匹の修羅>

<できるならあなた殺して私も
         実母の家に今日も帰り来>


西村せつ子が本格的に短歌を作り始めたのは、夫婦仲が険悪になった頃からで、彼女はしばしば歌稿をまとめて私のところに送ってくるようになった。それらを読んでみると、彼女が旧来の観照的な短歌に飽きたらず、屈折した内面をナマのまま表現しようとしていることが分かった。だが、原色の絵の具をぶちまけたような、例えば「紅蓮の泪」というような表現を満載した作品には、とてもついて行けなかった。

だが、今度歌集に目を通してみて、私は西村せつ子の才能を見誤っていたことに気がついた。彼女はめくるめく原色の世界の他に、感情をセーブした沈静な世界や、人間実存の層まで錘をおろした謎めいた世界も歌にしているのだ。

彼女は、毎日切った張ったの夫婦喧嘩をしている訳ではなかった。今度の歌集には、こんなしみじみとした短歌も載っている。


<舌平目鰈(かれい)ひらひら俎板に
          のせて腹裂くわれまたひとり>

<鳥かえるひとそれぞれの孤独かな
          鍋は夕餉の汁こぼしつつ>


そして悲哀や苦悩を歌うにも、大袈裟な言葉を使わないで押さえた表現を心がけるようになった。


<地に降りてしきりわれ呼ぶ末の子も
          わが青春の夢の残酷>

<このひともあのひともまた過去となれ
          さればくれないしるべなき愛>

<ああそしてただうろうろと生きてゆく
          この一生を耐え難くおり>

<様々に空にみだれてゆく雲よ
           神は何処に住みたまうらむ>

20年ほど前になるだろうか、西村せつ子が夫君を伴って訪ねてきたことがある。夫妻は幼い子どもを一人連れて来ていたのだが、その子の世話を夫君が一手に引き受けていた。西村せつ子の方は、子どもを旦那に任せきりにしていた。あとで家内などは、「西村さんのご主人は、本当によくできた人ね」と感心していたけれども、これが西村家の実像だったのである。

彼女の歌集を読めば、10代で社会変革の情熱に燃えた少女が、54歳になる今日まで、何を思い、何に悩んで生きてきたか、ありありと分かるような気がする。この歌集「風に語りて」は洋々社から出版されている。