甘口辛口

幸福への道(その3)

2007/3/19(月) 午後 0:58
学校の事務室で感じた「透体」が、それ以前に遭遇した「イルミネーション体験」と同質のものではないか、そう気づいたのは宗教体験を本にした後からだった。この両者の相似について記す前に、まず「イルミネーション体験」に関する説明からはじめたい。

イルミネーション体験をした場所は実家の二階で、肺の摘出手術を済ませて帰郷し、地元の高校で時間講師をしていた時だった(参照http://www.asahi-net.or.jp/~VS6H-OOND/hikari.html

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──何もすることがないと、気持が自然に暗い方向に流れて行くのがその頃の癖だった。私は、ハイミスが室内で猫を飼うように、心の中に自己嫌悪を飼って暮していたのであった。

この夜は、さすがに自分でもそうした心の動きがやり切れなくなって嫌悪感を振り切って、暗いところから明るいところへ浮揚しようとした。そして、東京の療養所で知りあったTの顔を思い浮べた。

五年前、Tと私は結核療養所の外科病棟で起居を共にしていた。Tは東京の私立高校に勤務する現職の教師であり、私も数年前退職するまで、都内の私立高校の教師だった。経歴に共通点のあったことから私達は親しくなったが、私がこの時Tの顔を思い浮べたのは、単なる懐旧の情からではない。彼が当時一種の「安心」の雰囲気を漂わせており、私がその時、痛切にその種の「安心」を必要としていたからだった。

彼の教えている生徒の中には、おとなしすぎるTを歯痒ゆがって、見舞いに来る時サルトルの戯曲集を持参し、この次に読後の感想を聞かせてくれと言い残して行く者もあった。すると、Tは苦笑しながら、言われた通りその本を読んでみるのである。

「あの生徒は、僕を教育しようとしているんですよ」

とTは笑いながら、私に教えてくれた。

まわりの人間が、自分をどう遇しようと、彼はそれらをすべて穏やかに受け入れ、人が牛と言えば牛、馬と言えば馬になって生きて行くのだ。私は目を天井に向けて、そんなTの行動を次々に思い浮かべた。

(しかし、あれは一体どういう男だったのだろう)

私は、目の前のTのイメージに向って問いかけた。ベットに静かに寝て、何時迄も窓の外を眺めているTの頭には、一体何があったのだろうか。だが、私は、風来れば動くという風なTの所作の背後に、特定の信条や、哲学のようなものを想定することができなかった。強いて仮定すれば「虚」とか「空」とかいう言葉しか思い当らない。私が目前に作り上げたTの映像は、表皮だけを残して中味を失った鋳型のようなものになった。

私は暫く自分の作り上げたTの塑像を眺めていた。なにか釈然としないものがあった。衝動にかられて、私は思わずこの鋳型の中に自分を押し込もうとした。その直後に、驚くようなこと起ったのである。

──私は、いきなり炸烈する至福感情の真只中にほうり込まれたのだ。「一大光明」と呼んだらいいような内的な輝きの奔出が突発したのである。一挙に何かが爆発し、私自身がその爆心部の透明な静寂の中に取り残されたような感じだった。

天文学によれば、宇宙のはじまりに超高密度の「宇宙卵」,が爆発し、次の瞬間、数分間にわたって宇宙は光で充たされたという。天文学者はこの爆発を「ビック・バン」と呼んでいる。私の内部にも、このビック・バンが突発したのである。

奔出する光の海のただなかで、私は茫然となっていた。「絶頂感覚」、これであった。私の四辺のいたるところに溶岩流のような歓喜の光があった。

自分というものを完全に忘失していた時間は、それほど長くはなかった。やがて私は自分を取り戻した。最初に現前した歓喜は言語的表現を超えていた。いくら言葉を尽して説明しようとしても不可能なのである。それが拡がり展開して、時間の過程の中に入ると、ようやく頭が働きだしたのだ。時間の感覚とともに、自己感もそれに伴って生じて来たのだ。

気がついたときには、私は「大朗」というような気分の中にいた。広々とした海洋のような喜び。法悦といってもいいかもしれない。それは、これまでに私が知っていたよろこびや幸福感とは別種の、それとは比較を絶して巨大な歓喜だった。

私は光り輝くものの只中にあって、それがさかんに湧出するさまを声もなく見守っていた。浄光は、早朝の温泉場の湯が広い浴槽のへりからこほれ落ちるように、私のまわりに豊かに溢れ出ていた。それは八帖間を充たし、四辺の隅々まで行きわたっていた。

光の湧き口は、明らかに私の内部にあったが、体内という意味ではない。私達が普段喜んだり悲しんだりする時、それらの情動は確かに私達の体内にあるのだ。しかし、私はこの時完全な「身心脱落」の状態にあって、自我をいれる容器としての身体も、そして心も持っていなかった。

だから、この時、私が自己の内部と感じたものは、これまで知っている内面とはまるで違ったものだった。私は虚体であり、がらんどうのハリボテであり、光はそのがらんどうの中枢から湧いてくるのだ。

私は八畳間の襖や本棚、その他のあれこれをちゃんと肉眼で見ており、しかも同時に、もう一つの目で、この部屋を充して隅々まで行きわたった浄光を眺めている。九月初旬の夜十時という日常的な時間の上に、この未聞の現象が音もなく進行しているのだ。

三十分ほどして光の湧出は終った。だが、光の残照のようなものはあたりに立ちこめ、四通八達したよろこびの感情はそのまま続いていた。その頃から、私の思考力は動きはじめ、なおも続く至福感に包まれたまま、「光」に向けて感謝の言葉を捧げはじめた。

私が思い出したのは、「朝に道を聴けば、夕に死すとも可なり」という論語の一節だった。私が三十二年間生きて来たのは、この絶頂に達するためだった。これが、私の人生のゴールなのだ。私はもう自分の存在目的を達したのだから、今ここで死んでもいい。

光の湧出が終る少し前に、私は光の泉が、その上に降り積った落葉やワラ屑を軽々と押し流して行くイメージをはっきりと見た。落葉・ワラ屑は、古い私の残骸、死せる自我の断片であった。

「光の泉」の語る意味が、この時の私には実によくわかり、まるで解説つきの科学読物のイラストを見るようだった。私の本体は、無限に湧出する光なのだ。何者もこれをさまたげることはできない。何者もこれに危害を加えることはできない。私は、これ迄必死になって自分を守ろうとして来たが、そんな必要はどこにもなかったのだ。

誰が光を奪い取ることができるか。人間には、本来、守るべきものなどないのである。私は既に与えられ、充されている。これ以上、一体何を求める必要があるか。泉が押流した落葉は、これまで私が守ろうとして来たエゴにほかならなかった。今迄、自分だと思ったものは、棄て去るべき残骸だったのである。古きものを脱ぎ棄てよ。死者をして死者を葬らしめよ。私はただ、絶体肯定の光体となり、この世界を無条件で包容して行けばよいのだ。

更に時間がたって、私はようやく自分の身体感覚が戻って来たことに気づいた。恍惚感の下から、あぶり出しの文字のように身体感覚が浮び出て来たのである。

その夜、私は出産をおえだ妊婦のように安らかな気分で自然に眠ってしまっていた。世界と、そこに生きるすべての人々に対する愛と肯定の気持を抱きながら、知らぬ間に眠ってしまっていた。
(つづく)