甘口辛口

芥川龍之介の死(その2)

2007/9/9(日) 午前 11:53
芥川龍之介が自殺した原因について、体調悪化とか、義兄の自殺を含む近親者の相継ぐ不幸とか、プロレタリア文学の勃興を前にして作家としての将来に不安を感じ始めたとか、いろいろな理由があげられている。だが、それらはすべて二次的な原因でしかないのではあるまいか。

以前に私は、芥川が中国旅行の折りに、性病を背負い込んだことが自殺の原因ではないかと考えていた。自殺する前の芥川は、子どもが、「お化けだ」と怯えるまでに衰えていた。見るも無惨に衰弱していたのである。こういう衰え方は、外国で性病に罹患した患者によく見られたものらしい。シベリア出兵でロシアに乗り込んだ兵士達のうち、ロシア人娼婦を買って梅毒になったものたちは極めて激烈な症状を呈し、中国に渡って現地で性病にかかった者たちの衰弱ぶりも「ロシア梅毒」と同様だったといわれる。

芥川龍之介は、内地にいた頃から、仲間の作家達を驚かすほどの「発展家」だった。芥川の悪所通いについては、作家仲間達による証言がある。中国に渡って同じようなことを繰り返した芥川が、そこで不運にも病魔に犯されたとしても不思議はない。

しかし、松本清張は、芥川の死の原因を別のところに求めている。彼を巡る複雑な家族関係に原因があったというのである。死の直前、芥川は自身の一家だけでなく、義兄の家族や、実家の家族の面倒を見なければならなかった。義兄が自殺し、実家の当主(異母弟)が病死したため、彼は三つの家族を支えねばならなくなったのである。

だが、松本清張はそれが直接の原因ではなく、芥川にとって養父の存在が大きな負担になっていたのではないかと推測する。

< 養父道章は芥川の第一回河童忌(七月二十四日だが、暑
いので参会者の迷惑を考えて六月二十四日にくりあげた)
の翌朝、庭を掃除しているうちに急に気分が悪くなり、床
についた二日後に死んだ。

こんなことを書くのはどうかと
思われるが、若し、(という仮定が宥されるとすれば)養
父の死が一年早かったなら、芥川の自殺は無かったかもし
れないとも思われる。孝養を尽くした芥川ではあるが、養父
 の死によって、彼の上にのしかかっていた重苦しいものが
除れ、頭上の一角に窓が開いたような「自由な」空気が吸
えたのではないか。

養父に先に死なれることで後の「ぼん やりした不安」の
要因が消えるわけではないが、少くとも 自殺の決行をもっと
先に延ばしたのではなかろうか。その間にその死を制める
ことが出来たのではなかろうか。
(「昭和史発掘・芥川龍之介の死」)>

芥川家の老人たちは、なぜ彼を追いつめるほどのヒステリーを起こしたのか。
もちろん、肝心なことは部外者には分からない。

芥川の伝記には、死の直前、彼が自家の老人達のヒステリーに悩んでいたことが記されている。主治医の下島勲が龍之介の健康を心配していろいろ助言しているのに対し、彼は「こちらのことは御心配なく。それよりもどうか老人たちのヒステリーをお鎮め下さい」と手紙で頼んでいる。彼はまた別のところで、「老人のヒステリーに対抗するには、こちらもヒステリーになるがいいと教えられたので、今それを実践中です」というような手紙も書いている。

芥川は結婚後、養父母と伯母という三人の老人と同居していたが、はじめそのことを取り立てて苦にはしていなかった。彼は一日中、二階に腰を据えて原稿を書くか、訪ねてくる編集者や友人と会うかしており、同じ家にいても老人達と言葉を交わすことがほとんどなかったからだ。彼が痔疾を悪化させるほどに二階の書斎にこもりきりだったのは、一つには扶養する老人達との交渉を避けるためだったと思われる。

だが、義兄や異母弟が亡くなって、芥川家が一族の中心になると、彼は老人達と腹を割って話さなければならなくなった。彼は老人達と相談して親族会を開き、親戚らの意見をとりまとめる必要に迫られた。彼は、あらかじめ養父母の意見も聞いておかなければならなかったのだ。

龍之介が一族の中心になるにつれて、養父母と伯母の力関係も微妙に変わってきたに違いない。それまで兄夫婦の厄介になって肩身の狭い思いをしてきた伯母は、龍之介が一家の主になったことで、兄夫婦より優位に立つようになり、それがトラブルの背景になったとも考えられる。

しかし、芥川の体調悪化も、老人達のヒステリーも、所詮は二次的な原因でしかない。まわりにどんな悪条件があっても、執筆意欲があるうちは、作家が自死することはない。人間は、やりたいことがあるかぎり、自分から死のうなどとは考えないものだ。

明治以降、わが国では前途有望な作家の自殺するケースが多かった。そして、その理由として、通例作家としての行き詰まりがあげられるけれども、これをもっと端的にいえば彼らは書くことに興味や喜びを感じなくなったのである。では、なぜ書くことに喜びを感じなくなるのか。

自殺する作家には、世評に敏感なものが多い。自分の作品が編集者や読者から歓迎されなくなったと感じたとき、世評を執筆動機にしている作家は書くことに興味を失う。趣味でも道楽でも何でもよい、生の先導役をつとめる興味があるうちは人は死なない。が、世評重視型の作家は、執筆に興味を失うと同時に、もぬけの殻のようになって人生のすべてに興味を失ってしまうのである。

芥川龍之介や三島由紀夫は、世評に敏感な作家だった。彼らが書くことに興味を失って自死したとしたら、その対極にある作家は森鴎外ではなかろうか。鴎外は世評に頓着しないで、一般の読者にとっては退屈極まる史伝や「元号考」を死ぬまで営々と書き続けた。

芥川の死を理解するには、生きていく上で先導的な役割を果たした興味が何であったか、彼について、その質を分析しなければならないと思う。人間本来の先導的な興味は、趣味や道楽などを含め、大いなる自然や普遍的な真実を志向している。だが、その興味の方向が本来的なものからそれて文章の彫琢や人工美の構築に向かったりすると、やがて興味は色あせてきて「娑婆苦」がひしひしと身に迫って来るのである。