甘口辛口

「鈴香の日記」と「麻原娘の手記」

2008/2/4(月) 午後 0:11
<「鈴香の日記」と「麻原娘の手記」>

週刊新潮には、世間から注目されている二人の女の手記が載っている。

畠山鈴香については、これまでに何度かホームページや当ブログに感想を記して来た。そのなかで彼女を知的な女だなどと書いたために、鈴香に好意を持っていると反発を買ったのだが、もし私が彼女になにがしかの好意を持っているとしたら、それは彼女が本を読む女だからだ。

私はいくつかの高校に勤務して、非行生徒たちをいろいろ見てきた。そこで知ったことは、非行を犯す女生徒たちは男生徒以上に愚かしく、読書など一度もしたことはないという事実だった。たとえば、非行グループのメンバーは、番長に対する悪口を聞き込むと、すぐにそれをリーダーたる番長に告げるのである。男の非行グループにはそうしたことがほとんどないのに、女の非行グループに限って、番長への悪口がたちまち大問題になる。番長が自分の個人的な評判を気にしていることを配下が知っており、ちょっとした悪口でも皆が競って番長に注進に及ぶからである。

女番長は自分の悪口を言っていたという生徒を、グループ全員のいるところに呼び出して詰問し、土下座して謝れという。そして、相手が土下座して謝ると、今度は土下座して謝ったことが癪にさわるといって、更に猛り狂うのだ。それからお決まりのコースをたどり、「謝っただけで済むと思うか。謝罪のシルシに金を持ってこい」ということになる。

新聞の社会面をにぎわす女の犯罪にも、この手の愚かしいものが多い。だから成人女性の犯罪は、すぐに底が割れるという特徴を持っている。そうした事例にうんざりして来たから、畑山鈴香のやり方が手の混んでいて一筋縄では行かないぶん、かえって「知的」に感じられるのである。

その鈴香が「心の闇」を綴った日記を書いているというのだから、見逃すわけにはいかなかった。しかし、週刊誌を読んでみたものの、私が疑問だと思っている点はほとんど解明されなかった。

誌上の冒頭に掲載された彼女の日記は、こうなっている。

(10月21日)(日)
 苛々する。泣きたいのに
泣けない。のどの奥に何か
っまる様な感じがする。苦
しい。・・・・・豪憲君に対
して後悔とか反省はしてい
るけれども悪い事をした。
罪悪感というものが彩香に
比べてほとんど無いのです。

御両親にしても何でそんな
に怒っているのか判らない。
まだ2人も子供がいるじや
ない。今まで何も無く幸せ
で生きて来てうらやましい。

私とは正反対だ。よかれと
思って何かしても裏目裏目
に出てしまった。正反対の
人生を歩いてうらやましい。
そう思ってしまうのは悪い
事なんだろうか?

私の疑問の一つは、鈴香が豪憲君への殺意をあっさり認めていながら、どうして娘の彩香を殺したことについてだけ頑強に否認するのかということなのだ。上記の日記でも、娘の彩香については罪悪感があるが、豪憲君についてはそれを感じないと書いている。彼女は、娘を橋から突き落とした場面のことは健忘症にかかったように全く覚えていないと言ったり、橋の欄干に立たせた娘がこわいといって抱きついてきたので、反射的に振り払ったと言ったり、筋の通らない弁解を繰り返しているのである。一体これはなぜだろうか。

事件を起こした頃、鈴香には恋人があり、彼と一緒に上京して所帯を持つことを夢見ていたらしい。この恋人への思いはかなり強かったらしく、日記にはこんな一節もある。

「多くの人が私の極刑を望んでいるのも知っています。でも弟と母さんは待っていてくれる。好きな人もいます」

彼女は世界中で自分の味方は、この三人だけだと思っているのである。

しかし鈴香は、この三人以外にも娘の彩香を愛していた。マスコミは、彼女が冷酷な母親で娘を苛酷に扱っていた「鬼母」だったと非難する。この点について、私は再三彼女を弁護してきた。鈴香は自己中心的な女だったが、それなりに精一杯娘を可愛がっていたのだ。

だが、恋人と駆け落ちするために娘が邪魔になったという事情はあったにちがいない。衝動的に娘を川に突き落とし、突き落とした後で、彼女は失ったものの大きさに苦しむことになったのだ。鈴香は絶望し、自己呵責の念にたえられなくなった。それで、自分をごまかすためにも、娘は事故で川に流されたとか、変質者の手で殺されたという話をでっち上げなければならなかった。彼女は、わが手にかけて娘を殺してしまったという事実に堪えられなくなったのである。

しかし、こう考えるのは第三者の推測でしかない。日記には、この点を解明する手がかりが全くなかったのだ。

もう一つの疑問は、鈴香が自己破産するほどの借金を抱えていた理由が何かということだ。彼女は娘と二人だけで暮らしており、就職もしていたし、コールガールのようなこともしていた(らしい)。相当額の収入がちゃんとあったのである。それに彼女に浪費癖はなく、お洒落や家事に手を抜いていたから、むしろ平均よりも生活費はかからなかったはずなのだ。にもかかわらず、多額の借金をしていたというから、不可解というしかない。

依然として不明なことが多い中で、日記を読んで明らかになったことは、冒頭の日記にもあるように彼女が深い挫折感覚を抱いて生きていたことだ。鈴香は同年配の女性よりも、多彩な将来設計を描いて社会に乗り出した。彼女は本を読んでいた分だけ、高校時代の級友よりも個性的な夢をいろいろ持っていたのである。

しかし、故郷を捨てて夢の実現に乗り出してみたが、「よかれと思って何かしても」その結果は「裏目裏目に出て」挫折を繰り返すことになった。日記には、悲痛な言葉が次々に出てくる。

「つかれてしまった。もう十分生きた。決していい人生だとはいえないけれどこれ以上はもういい」

「重くて辛くて苦しくてたえられない」

「私は高校生位の時からそんなに長くは生きない。35才には死んでいるだろうと思っていました」

週刊誌に紹介されている鈴香の日記は、断片的で不十分なものだ。けれども、彼女の意識の底に暗い情念がよどんでいて、彼女はそれにどっぷり浸かりながら生きていたことが分かるのである。鈴香の「心の闇」を形成するのは、挫折感であり、自己嫌悪であり、絶望と結びついた倦怠感だった。彼女はドストエフスキーの小説の中に出てくる人物たちのように「苦悶する女」だったのである。

麻原彰晃の四女の書いた手記は、

「その瞬間、私は悟りました。父はやはり詐病だった、と」

というショッキングな文章で始まっている。

「その瞬間」とは、四女が不意に一人で面会に出かけたとき、家族の顔も知人の顔も分からなくなっているはずの父が、四女の名前を呼んだからだった。麻原彰晃はそれまでに入念に偽装して精神病者になりすましていたのだ。

四女によると、麻原彰晃は精神病者になりすますために、面会に来た三人の娘の前でオナニーをして見せたという。当時、四女は小さかったから、父がオムツを掻き分けて性器を取り出し、娘たちの前でしごき始めたときに痒くなったから掻いているのだと思った。

立ち会いの看守は、「やめなさい」といって中止させたが、暫くするとまたオムツを開いてまたやり始め、三回くらい繰り返したという。麻原彰晃はこれに類することをやって見せて周囲をだましていたのだが、不用意に娘の名前を口にしたことで詐病であることを暴露してしまったのだ。

彼女がこういう手記を書いたのは、今もなお父を教祖と仰ぐオウム真理教の信者たちに警告するためだという。そのために彼女は、現幹部たちを糾弾し、今の幹部たちも、父と同じことをしていると追求する。父が肉体関係を持った女性信者は100人を下らなかったのだ。

女性信者に自分の性器を
舐めさせたり、一緒に瞑想
しようと言って強姦したり、
信者の妻に手を出したり
……私の耳に入ってくる幹
部の行状は開くに耐えない
 ものばかりです。

四女のいうことが本当だとしたら、なんとも困ったことである。