甘口辛口

隠居のアナキズム論議

2008/4/9(水) 午後 4:59
<隠居のアナキズム談義>

    登場人物 隠居
         熊さん

熊さん──驚いたね、ご隠居さんは、アナキストだそうじゃないか。

隠居──誰が、そんなことを言っていた?

熊さん──うちのカミさんだよ。アナキストといえば、テロをやる連中だろ。あんた、ほんとにアナキストかい? オレは、そんなことはとても信じられなかったんだが、カミさんが、「私のいうことを疑うなら、直接ご隠居に聞いてみろ」といやがるから、今日 こうしてやってきたんだ。

隠居──アナキストが、そんなに珍しいかねえ。作家、芸術家といわれる人間は、たいていアナキストだし、世間で苦労人と呼ばれている連中も実はアナキストなんだよ。

熊さん──そんな、バカな。ロシアでも日本でも、アナキストは何時だってテロ騒ぎを起こしているじゃないか。

隠居──それは、権力者が恐怖政治をやっていたからさ。アナキズムは帝政時代のロシアで生まれたが、当時、ロシアではロマノフ王朝が専制政治を行って「危険思想」の持ち 主を虐殺していたから、アナキストはテロで対抗せざるを得なかったんだ。戦前の日本も同じだよ。天皇制を護持するという名目のもとに、ひどい恐怖政治が行われていたからな。

熊さん──まさか。

隠居──政府は、大逆事件が起きると、無政府主義者だという理由で無実の人間を多数処刑した。そのくせ、大杉栄夫妻・子供の三人も絞め殺した犯人を僅か2年8ヶ月の懲役刑で釈放している。山本宣治代議士を刺殺した犯人なんかは、30円の保釈金を払っただけで釈放されているんだよ。特高警察は四六時中「危険思想」の持ち主を嗅ぎ回って、自由主義者でも何でも片っ端から逮捕していたしね。

熊さん──・・・・・

隠居──いいかい、テロに走る者が出て来たのは、恐怖政治の時代だったからなんだぜ。アナキストは元来穏和な人間なんだよ。人間すべて平等という社会を実現しようとしているだけなんだ。人間はすべて平等、だから、国王であろうが大統領であろうが、特別扱いされる人物を認めないんだ。

熊さん──うちのカミさんの話では、アナキストは「反権力・無支配」と言っているそうだけれど・・・・

隠居──権力や権威で守られている人間から、それらの付加価値を取り除けば、ただの人間になってしまう。でも、それが人間本来の姿なんだよ。だから、反権力というのは、お偉いさんたちが身に帯している付加価値を剥ぎ取って本来の裸の人間に戻そう、そして風通しのいい世の中を作ろうという運動なんだ。熊さんは、大正天皇の話を知っているかい?

熊さん──ああ、ひそひそ話で聞いたことがある。大正天皇は妾腹だったとか、バカだったとか・・・・

隠居──しかし、大正天皇は、歴代の天皇の中でも際立って古典文学に造詣が深く、文学的な才能にも恵まれていたそうだよ。それが、山田風太郎の推測によると若年性のアルツハイマー病になって実質的に退位に追い込まれた。宮内省は、天皇の死の4年前に次のような「天皇陛下御容態書」なるものを発表しているんだ。
 「近年に至り・・・・御脳力漸次御衰えさせられ、殊に御発語の御傷害あらせらるる為 、御意志の御  表現甚だ御困難に拝し奉るはまことに恐懼にに堪えざるところなり」

熊さん──持って回ったような言い方だなあ。

隠居──うん。天皇は外見上は健康体に見えたが、いつもボンヤリ考え込むような姿勢で、自分から口をきくことがなくなったらしい。最後には、一人で歩くことも出来ず、一日中ベットで寝ていたそうだ。こうした話を聞けば、天皇もただの人間だと分かる。そして、こうした天皇を神格化することで成り立っている政治機構全体への疑問がわいてくる。そうじゃないか?

熊さん──天皇始め皇族がただの人だってエーことは、国民の誰もが知っているよ。だが、国家には中心になる人間が必要だから、バカでもちょんでも、真ん中に据える人間を捜して来なけりゃならない。その人間を選ぶのに、古い家柄のものにしたほうがすんなり行くから、天皇制が続いて来たんじゃないか。

隠居──つまり飾り物だから、誰でもいいというんだな。しかし、飾り物なんか必要としない社会にしたほうがいいと思わないかね。

熊さん──問題は、そこだね、ご隠居さん。日本人は、他の国の人間と違って、中心に据えるアイドルみたいなのがないと落ち着かないんだよ。

隠居──アナキズムを定義すれば、「国家をなくして、自由な個人による地域共同社会や中間的集団の連合体を作り、相互扶助体制を実現しようとする思想」ということになる 。国の真ん中にアイドル的な天皇がいた方がいいか、あるいは無位無冠の人間による自由連合社会の方がいいか、問題は日本人がそのどちらを選ぶかということだね。

熊さん──そりゃ、「自由連合社会」がうまくいくなら、そっちの方がいいに決まってるさ。でも、世の中がこんなに複雑になっちまったからね、国家が強い権力でもって全体をコントロールしていくしか手はなくなったのさ。

隠居──確かに、当面はそうするしかない。だから、物の分かった学者や権力嫌いの芸術家、それに酸いも甘いもかみ分けた苦労人たちも、当面、天皇を国家統合の象徴にすることに反対しないし、国家が違法行為を断罪することにも賛成している。つまり、強い国家を容認している。でも、それは国民が成熟して、やがて強権国家を必要としないようになるのを待っているからだよ。人類の進歩、日本人の英知に信頼しているからさ。

熊さん──そうかなあ。人間が理性的に行動するようになるには、千年も万年もかかるぜ。

隠居──わたしは楽観しているんだな。それほど遠くない未来に、人類は国家の廃絶に向かわざるを得なくなるよ。客観的条件がそうさせるんだ。

熊さん──それは是非聞きたいね。

隠居──簡単なことさ。中国やインドが先進国の仲間入りをしたことで、何が起きたと思う? 地球資源の枯渇だよ。今後、中国・インドに続いてイスラム世界や南アメリカ 諸国が近代化する。そしたら、石油資源・鉄資源・希少金属などがいよいよ枯渇して工業は立ちゆかなくなるだろう。

熊さん──そうだなあ。

隠居──そうなったら、サミットでも国連でも、資源の配分をめぐって国際会議を開かなければならなくなる。それだけじゃない、世界中が協力して資源の乱開発や浪費をコントロールする必要が出てくる。今、地球温暖化防止のために国際的な排ガス規制が話し合われているけれども、資源枯渇の問題はもっと深刻だよ。一国エゴイズムは許されなくなり、各国は国際的な規制に従うことを求められる。

熊さん──成る程、国家より国連の方が強力になるんだね。

隠居──国は国際協約を守るために、国内の産業活動から個人の消費支出まで、一切の経済活動に目を光らせていなければならなくなる。そのためにあらゆる取引、あらゆる決済をコンピューターを通して行うことが義務づけられる。こうなれば、国際協約に違反する行為は即座に摘発できる。そして経済政策もコンピュータの指示に基づいて行われるようになり、個人に権限や権力が集中することはなくなる。

熊さん──コンピュータが政府の役割、人間の仕事を代行するから、実質的に無政府社会になるわけか。テロも革命も必要なくなるね。

隠居──今のところは夢物語のように聞こえるかもしれない。だが、将来は日本もこういう方向に動いていくよ。これまでは、金さえあればどんなことでも出来た。だが、限られたパイを皆で分かつ時代になれば、金持ちも自制を要求されるようになる。

熊さん──何だかご隠居に騙されているような気もするが、オレも段々そうなればいいという気がしてきたよ。