甘口辛口

秋葉原通り魔弟の告白

2008/6/18(水) 午後 2:22
<秋葉原通り魔弟の告白>


「秋葉原通り魔弟の告白」というタイトルの記事を、週刊誌で読んだ。
この週刊誌をわざわざ買いに出かけたのは、新聞やテレビでは犯人のパーソナリティーが掴めないからだった。

これまでのところ犯人について印象に残っていたのは、彼が携帯に書き込んだ「一番殺したいのは母、二番目に殺したいのは父」という言葉であり、もう一つは、ナイフを買いに出かけた彼がレジの前で見せた不思議な所作だった。彼はその場を立ち去ると見えて直ぐ戻ってきたり、愛想笑いをしながらしきりに手を口にやったり、ひどく奇妙な態度を見せたのである。

彼は母親に叱咤されて中学を終えるまでは、優等生だった。だが、母親は中学段階まで子供の学習を見てやったが、それから先はもう能力的に無理になって子供から目を離してしまった。犯人の加藤智大は、どうやら、そのことを恨んでいたらしい。書き込みには、「中学を終えるまではうるさく干渉しておいて、高校に入ったら勝手にやれと突き放してしまうのか」という意味のものがあった。

すると彼は自分を支配してロボットのように扱っていた過剰介入の母を憎むと同時に、自分を突き放して見向きもしなくなった冷淡な母を憎んでいたことになる。世の母親は子供の勉強を見てやれるのは小学校5年くらいまでだと言われる。それに比べたら加藤智大は、中学修了まで母親に勉強を見てもらっていたのだから、親を恨むのは筋違いというものではないか。

加藤智大のように現実を深く嫌悪し、自分にも絶望した人間は、攻撃欲を自分自身に振り向けて自殺するのが普通なのだ。年間3万人といわれる自殺者の半数は、そうしたメカニズムで死んでいると想定されるのだが、加藤智大は自殺もせず、一番恨んでいた母親を殺すこともしないで、無差別殺人に突走ったのである。こうした飛躍を敢えてさせたものは何だろう。

「弟の告白」を読むと、加藤智大が母を恨んだのには、弟への嫉妬も絡んでいたと思われる。弟は、兄が「母は自分よりも成績のいい弟の方を可愛がっていた」と供述していると知って、確かにその通りだと認めている。そして、堂々と自分は兄より成績優秀だったと公言しているのだ。

                      
 母の期待は私
 に移ったんだと思います。
 私への愛情の移行を犯人(注:兄のこと)
 は敏感に嗅ぎとり、自分は必
 要のない人間だと誤解した
 んだと思います。

 母に、
 「俺より弟を優先して、俺
 を見放すのか! 弟だけに
 したいんだろう」
 と詰め寄っている姿を目
 撃したことがあります。
 

事実は、高校段階の学習レベルについて行けなくなった母親が、自分の能力でカバーできる弟の方に注意を移したに過ぎなかったのだ。それを兄は弟に見返られたと恨み、弟は自分の方が成績優秀だったからだと胸を張る。

「弟の告白」を読んでびっくりしたのは、弟がこの手記の中で兄をアレと呼んでいることだった。彼は、兄のことを「アレは、アレは」と、まるで目下の者に対するように呼び捨てにしているのだ。そこには、兄弟らしい情愛がかけらもない。

弟が冷淡な態度を示すのは、兄に対してだけではない。自分以外の家族のすべてを冷たい目で見ている。母は子供が作文や絵を提出するとき、そのテーマや構図をいちいち指示していたが、その狙いは「先生ウケ」だったと冷たく切り捨てている。

母は子供の勉強の邪魔になるものは、家の中に一切持ち込ませなかった。加藤家ではテレビを見る習慣はなく、ゲームは土曜日の一時間だけに制限されていた。弟はマンガや雑誌も読んだことがないから、今でもそれらを手にする習慣はない。

母が最も嫌ったのは、子供らが女の子とつきあうことだった。加藤智大が中学生だったとき、彼宛てにクラスの女生徒から年賀状が来た。すると、母はそのハガキを見せしめのため冷蔵庫に貼り付けた。母は「男女交際は、一切許さないからね」と宣言していた。

弟は、母が食事中逆上して兄に罰を与える場面を記憶している。廊下に新聞紙を敷き、その上に当日の食事を全部ばらまいて、「そこで食べなさい」と命じたのだ。兄は泣きながら新聞紙の上の食べ物を口に運び始めた。──注目すべきは、これに続く次の部分である。
「私は食卓の上の食事を食べながらそれを横目で見ていました。そのときも父は黙っていました」

加藤家では、専制的に振る舞う母に抵抗する者は一人もなかった。父も母を制止することはなく、黙って見ているだけだった。だが、その父は自分の借金の穴埋めに、母の貯金を勝手に引き出して使っていたし、兄も成長して体力に自信が出来てくると、母に暴力を振るっている(といっても、弟は兄に殴られて泣いている母を一度見たことがあるだけである)。弟自身も、高校に入学して三ヶ月後に退学し、実家の部屋に閉じこもっている。母の専制的支配は、いたるところでほころびを見せ始めていたのである。

こうした家庭で毎日を過ごしているうちに、兄も弟もキレやすい性格になった。

怒り
を溜め込むということをし
なくなり、瞬発的に暴力が
出るようになりました。同
じ環境で育ったせいか、私
自身も壁を蹴ったり殴った
りすることがくせになった
んです。恥ずかしい話です
が、私が引き払ったアパー
トの部屋の壁は少しへこん
でいます。

この家族は、一人一人がバラバラで孤立していた。それを裏付けるように家族は一人ずつ部屋を持ち、母は階下に、父・兄・弟は二階で暮らしていたのだった。兄が母に暴行を働いたときも、弟は二階の自室にこもっていて、争いが終わってから初めて階下に様子を見に行っている。

どうして家族は、こんなにも相互に冷淡になっていったのだろうか。

父・兄・弟にとって、積極的に意味のある人間関係は母との関係だけで、それが圧倒的に大きかったから、それ以外の人間関係には無関心になったのだ。そして、その母に失望させられると、もはや家の中に愛情の持てる者はいなくなる。

誰とも親しい関係を結べなくなった加藤智大は、ナイフを買いに行ってレジの娘と対話するときに不思議な態度を見せた。話を終えてその場を立ち去ってから、また戻ってくるのだ。もっと相手と話していたいが、嫌われることを恐れて立ち去り、その後、未練があるので又戻ってくるのである。手を口にやるのも、相手に自分の全部を見せたいけれど、同時に自分を隠したくもあるという矛盾した感情のあらわれなのだ。

私は弟の手記を読んで、いくぶんか、加藤智大の人間像に近づき得たような気がした。けれども、まだ肝心の所が掴めないでいる。自殺する代わりに、大量無差別殺人に走ったのは、異性を知らない彼の内部で、性的リビドーが蓄積されたからだという気がするし、ワーキング・プアをもたらした社会への怒りによるとも思えるのだが。