甘口辛口

曾野綾子・雅子妃・紀子妃

2008/7/14(月) 午後 3:05

(「文藝春秋」8月号より)


<曾野綾子・雅子妃・紀子妃>


曾野綾子が何時だったか、「私はショウ(賞)もない女だ」といっていたことがある。彼女は、一度芥川賞の候補になったことがあるだけで、その後、何の賞も得ていないからだ。確かに、彼女には代表作といえるようなものはない。

ただし、彼女のエッセーには一つだけいいものがある。「誰のために愛するか」というベストセラーになった本で、このなかで彼女は、恋愛にしろ親子の愛情にしろ相手のために自己犠牲を敢えてするような愛はほとんどなくて、たいていは自分のための愛、利己的な愛にすぎないと書いていたのである。

曾野綾子のデビューは、大変華々しかった。彼女は有吉佐和子とならんで才女の双璧とされ、その育ちのよさと美貌とで世の注目を集めた。その上、作家の三浦朱門と結婚して「おしどり夫婦」と評されたのだから、デビュー後もマスコミが放っておく筈はなかった。曾野は現在に至るまで、人気作家の地位を守り続けたのである。

その彼女が長らく鬱状態にあったと、夫の三浦朱門が証言しているのだ(「文藝春秋」8月号)。その記事を読んでみると、曾野綾子の症状は雅子妃のそれと驚くほど似ているのである。

才女として脚光を浴びつづけていた曾野綾子が、何でまた鬱になったのだろうか。三浦朱門の語るところによれば、こうである。

<(曾野綾子は)若い女流作家として世に出
たため、広告に大きな写真が出たり、テ
レビに出演したりして顔がよく知られて
しまった。

街を歩いていても、本にサインして
ください、と声をかけられたりす
る。マスコミからも世間からも、一挙手
一投足が見られているような気がして、
身動きがとれない。

つまり彼女にとって、日本という国そ
れ自体が、いつも身構えていないといけ
ない世界だったのです。>

名声を得た途端に曾野綾子にとって、日本の全体が自分を注視し、自分を監視する息苦しい世界に変わってしまったのだ。彼女には、安心して息をつける場所が何処にもなくなった。

そういう彼女にとって唯一の救いは、この日本を出て外国で暮らすことだった。三浦夫妻は、ある年、ブラジルで開かれたペンクラブ国際大会に夫婦で出席したあと、アメリカ縦断のドライブ旅行をしたことがある。夫婦交代で自動車を運転しながらのアメリカ縦断であった。

<このアメリカ縦断ドライブ旅行が、
彼女にとっては完全な解放でした。初めての
外国。道行く人は誰も自分を知らない>

これ以後、曾野綾子は外国旅行を渇望するようになったのだ。

この二年後、彼女の身に再び外国旅行をするチャンスが訪れた(当時の日本は、外貨割当制度を取っていて、民間人が自由に外遊するのは不可能だった)。ウイーンで日本文化に関する国際会議が開かれ、これに招聘されていた三島由紀夫が、自分の代わりに出席してくれないかと三浦朱門に頼んできたのだ。

だが、三浦朱門がオーストリア大使館に出かけて打ち合わせをしてみると、相手側は出席者が三島でないことに不満を持っているらしかった。それで、三浦朱門は会議に参加することを断って帰宅した。そして、妻に「ウイーン行きは止めたよ」と何気なく告げたところ、曾野綾子が、ウワッと大声を上げて泣き出したというのである。彼女は泣きながらこう言った。

「外国に行きたかったのに」

三浦は、妻のこんなに激しい感情表現を見たことがなかった。曾野綾子は外国旅行をそれほどに渇望していたのである。裏返して言えば、日本での日々がそれほど苦痛だったのだ。

曾野綾子は鋭敏な頭脳と繊細な感受性を持っていたから、常住注視の的になっている生活に耐えられなかったのである。雅子妃は曾野綾子を上回るほどの才知と感受性を持っていたから、他者の注視を浴びることに曾野以上に強い痛みを感じているのだ。

雅子妃の経歴は恐るべきものだった。彼女はアメリカでハーバード大学を卒業し、イギリスのオックスフォード大にも留学している。そして帰国してから東大法学部に学士入学しているが、茂木健一郎によると、この学士入学試験は極めて難関で、百名以上の受験者のうち合格するのは僅か数名に過ぎないそうである。

世界最高水準の三つの大学に合格するには、世界性を持った知性と強靱な意志が必要である。そうした鋭敏な女性が、皇太子と結婚したことで生活が激変し、何処に行っても好奇の目で見られるようになったのだ。

人々の注視の的になることが、どうしてそれほど苦痛なのだろうか。曾野綾子や雅子妃の気持ちが理解できないという者も多いかもしれない。だが、それは内省的な生活に馴れていない人間の感想である。一人静かに勉強や思索を重ねてきた聡明な女性にとって、群衆の好奇的な視線のなかに投げ出されることは、耐え難いほどに苦痛なのである。

雅子妃にとって更に苦痛だっのは、「公務」をおえて東宮に戻ってくれば、今度はそこにも百名の役人がいて、その注視を浴びることになるからだった。妃が心を許せる場所は、何処にもないのである。加えて、宮中祭祀という問題があった。これに参加することも彼女には苦痛だった。

宮中祭祀については、右翼系の学者が一斉にその必要性を合唱している。彼らは天皇の必要性を論証しようとして苦慮し、宮中祭祀の執行者というところに天皇の存在理由を求めていたから、「雅子妃の神事忌避」が我慢ならなかったのだ。京都大学教授の中西輝政などは、そんな皇太子妃なんか離婚してしまえという趣旨の乱暴な記事を書いている。

私はこういう高慢ちきな右翼学者らに問いたいのである。そういうあなた方は、シャーマニズムを本当に信じているのですか。皆さんの自宅に神棚はあるのですか。神社の前を通るとき、立ち止まってちゃんと頭を下げていますか、と。

こう言い換えてもいい。諸君は、天皇が神事を執り行うことで五穀豊穣になり、天皇がそれを怠れば凶作になると本気で信じているのですか、と。

まともな思考能力を持っていたら、現代人がシャーマンの呪術力を信じられる訳はない。右翼の学者らは、自分では古神道を信じていないにもかかわらず、天皇にシャーマン的神事を忠実に行うことを求め、皇太子妃がそれに熱心でないから皇后になる資格はないなどと言い募るのである。

外国人は、高度な科学知識をそなえている日本人パイロットがジェット機の操縦席に成田山の札をぶら下げていることに奇異の目を向けている。そのパイロットも実は本気で成田山の効能を信じているわけではなく、操縦席にそれを置いておくのは単なる気休めに過ぎないのだ。だが、そうした気休め的行為に抵抗を感じる者もいるのである。

雅子妃が無神論者かどうかは知らないけれども、もし彼女が潔癖な合理主義者として神事に加わることに抵抗を感じているとしたら、その辺は大目に見てやるべきではなかろうか。自らは神道に無関心なくせに、雅子妃が神事に熱心でないからといって最大限の言葉で糾弾する学者らの厚顔には驚くほかはないのである。

曾野綾子や雅子妃にくらべると、紀子妃には少し鈍いところがある。彼女はいろいろ不合理なところのある皇族制度や宮廷のしきたりに疑問を感じる代わりに、そのシステムの上に乗って人々から賛美されることを楽しんでいる。曾野や雅子妃が内省的なインテリタイプとすれば、紀子妃は外向的なミーハータイプなのである。

だからといって、紀子妃が「妃殿下」という身分にふさわしくないと言っているのではない。皇族にも様々なタイプの人間がいるのは、当然のことだからである。皇室改革の第一歩は、多様なタイプの人間がそのなかで生きられるような寛容な体制に作りかえることではなかろうか。