甘口辛口

才女の行く末・曾野綾子(その1)

2008/7/16(水) 午後 5:11

<才女の行く末・曾野綾子>


前回のブログを書いたときには、中期頃までの曾野綾子についてしか知らなかった。処女作の「遠来の客たち」にはちょっと感心したが、その後の彼女の作品は大体において通俗小説ばかりで、あまり感心しなかったからだ。

小説はダメだが、エッセーには見るべきものがある、そう思ったのは、曾野の「誰のために愛するか」を読んだときだった。その後も彼女が池田大作の文章を辛辣にこき下ろしているのを見て、その勇気に感心した。私は高校の図書館係だった頃に、創価学会がこれだけ大きくなっている以上、池田大作の本も図書館に置いておくべきではないかと思い、参考のために彼の自伝風の本を読んだことがある。

それは実に不思議な本だった。読んでいるはしから、内容をどんどん忘れてしまうような文章で書かれていて、あとで思い出そうとしても頭に何も残っていないのである。原因はその本が新聞記事風の無個性な文体で書かれ、内容に知性のかけらも感じられないからだった。当時、池田大作には、大作ではなくて「代作」ではないかという風評が流れていたから、この本もお抱えのライターが書いたのかもしれない。しかし、こんな無惨としかいいようのない空っぽな本を、自分の名前を冠して出版している池田氏の気持ちが分からなかった。

その後、曾野綾子のエッセーをいくつか読んでみると、反俗的であろうとして右傾化したり、カトリックに肩入れしすぎてバランスを失ったりしたものが目についた。彼女の「遠来の客」は、ルース・ベネディクトの『菊と刀』を下敷きにしている。彼女には、日本の風俗慣習や伝統的文化に違和を感じるようなところがあり、その型破りなエッセーもこの違和感を母体にして書かれているように思えた。つまり、曾野綾子のエッセーには、バター臭い家庭で育った令嬢による怖い者知らずの放言集といった感じがあるのである。

曾野のライバルだった有吉佐和子は、反俗的なエッセーを書いて敵を増やすような愚かなことをしないで、着々と実績を積み上げて曾野との差を大きくしていった。有吉の評判は、功成り名遂げた文壇の大家の間でことさら高く、そのため彼女は、「ジジイ殺し」といわれていた。文壇の大家を籠絡するような有吉の世才に対抗するためにも、曾野は反俗的な孤高路線を突き進むしかなかったのだ。

こうして私は曾野の小説につづいてエッセーも読まないようになったから、彼女がその後何を書いているか知らずにいた。彼女が自邸にペルーのフジモリ元大統領を引き取っていることは、新聞で読んで知っていたが、曾野に対する興味を失ってしまった身には、彼女が何をしようと特段の感想は浮かばなかった。

曾野綾子について興味を呼び覚まされたのは、前回に触れたように三浦朱門の手記によって彼女の鬱の症状が雅子妃のそれに酷似していることを知らされたからだった。前回のブログを書いたあとで、思い立ってグーグルの検索で曾野綾子について調べたら、彼女の右傾化はとどまるところを知らず、無知蒙昧なスキンヘッドのレベルまで落ち込んでいた。

例えば、griechische_heiterkeitさんの要約によれば彼女は産経新聞にこんなことを書いている。

<いまや「自称弱者」が、弱いことを盾にして
他者を攻撃している。「加藤智大」は、その最たる
者だ・・・・・ホームレスは、彼らだけが『眺めの良い川辺で
生活で出来る(!)』のに、社会が悪いと不平を述べる。
こんなものは、すべて甘えである。『貧しい国の国民は、生きるか死ぬか
の世界にいる。彼らに、そんな「甘えの論理は通用しない」』>

頭の悪い保守主義者は、いつでもこうした「弱者の脅迫」理論を持ち出して社会保障政策に反対している。アフリカの難民などと比較して、飢え死にしないだけでも幸福だと思えと説くのも、彼らのオハコである。産経新聞の保守的な読者を相手に、こんなパターン化した主張をしているうちはいいけれども、チリのピノチェト軍事独裁政権を擁護するに至っては、国際的な犯罪に手を貸すことになる。

曾野綾子は、ピノチェト政権を擁護するという大失態を犯しただけでなく、沖縄集団自決問題でも軍の関与はなかったという趣旨の発言をして、高校の歴史教科書の記述を書き換えさせている。

こうした重大な失言を繰り返しているから、曾野への風当たりは極めて強く、ちゃんねる2にも彼女を非難する発言がたくさん載っている。だが、彼女を応援する書き込みもかなりあり、曾野のファンクラブも出来ている。割合からすると、曾野否定が三分の二、肯定が三分の一くらいであろうか。そこで、次に否定論を二本、肯定論を一本引用する。

<16 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 01/11/28 14:28 ID:VzFp/p5z

彼女は今までずっと挫折もなく“勝ち組”で生きてきたから
思考が男性の右翼のようになってる。
同じ女性としてああはなりたくない人間のひとりになっちゃった。

昔彼女のエッセイを読んでて大嫌いになった。
そのエッセイには
「フーテンの寅さんは人気があるけどとんでもない!
ああいう性格破綻者を家族にもったなら、家族は悲惨!
とうてい映画のように笑ってられない。」
というようなことを書いていた。
寅さんのように変っているけど、ちゃんと自分の稼ぎで
生活している人を「性格破綻者」と断じているのは
彼女のモノの見方を象徴していると思う。>

<6 名前: 教科書が教えない曾野綾子 投稿日: 01/11/29 02:29 ID:R8U2zgy7

 フジモリ氏は日本で曾野綾子さんの別邸、ついで田園調布にある彼女の自宅に匿われています。曾野さんは周知のように、日本の非常に保守的なカトリック教徒として、これまで政治的な発言を繰り返してきました。

彼女は73年のチリ軍部クーデタの直後にチリを訪れて、クーデタ支持派のキリスト教民主党を取材し、クーデタの正当性を声高に語ったという経歴を持っています(確か『諸君!』に彼女のルポが掲載されたはずです)。もっとも、軍部による虐殺や拷問が国際的な非難の的になり、また、キリスト教民主党が軍部からうとまれるようになってからは、チリについて発言はしていないようです。

 曾野さんがフジモリ氏に「亡命」先を提供したうらには、オプス・デイの影があるのではないでしょうか。彼女はチリで軍部クーデタを公然と支持することで、おそらくラテンアメリカのオプス・デイにはよく知られた名前になっています。そのオプス・デイと深いかかわりを持っているアルベルト・フジモリ氏の日本「亡命」に力を貸したのですから、なんらかの関係をそこに見て取ることが可能です。

 なお、オプス・デイは各国で「神の御業」を推進するさいに、資金的にはさまざまな財団や公的資金に頼ることが多いようです。曾野さんは日本財団(笹川一族の競艇商売の隠れ蓑)の会長でもあります。日本財団はフジモリ氏が大統領になってから、驚くほどペルーに対する援助金を増やしています。このあたりも、もっと調べるとなにか出てきそうです。>

<21 名前: 文責:名無しさん 投稿日: 01/11/28 15:20 ID:tfYZgxsd

産経新聞で曽野さんの文を読むが、時たま「あっ」と思う新鮮さがある。
この方は財団の資金で世界の未開地区に援助をされているが、ご自身で
未開地区へ行き援助の実態を見て、援助の評価をされている。
「未開地区へ行くのが苦痛でなくなったら援助を止めよう」東京の事務所で座って 援助するとか、大名視察になってしまえばこの仕事から手を引くと言うこと。

緒方貞子さんと共に日本の女性の世界への顔と思っているが。
教育に関しても多くの執筆をされているが、1の文は本人の言葉でなく
引用であることから全面的に信頼することが出来ない。
曽野氏、三浦氏ともにゆとりの教育には反対のはず。>
(つづく)