甘口辛口

羽生善治の将棋

2008/7/23(水) 午後 6:23

<羽生善治の将棋>


7冠を独占した頃の羽生善治は、自分がどんなに劣勢になっても粘りに粘ってがんばり続け、結局最後に勝っていた。その頃の彼は、対局中、時折相手を上目でじろっと眺め、それが「ハブ睨み」といわれて対局者を恐れさせたらしい。

25才で前人未踏の7タイトル制覇という偉業を成し遂げた彼は、その後、調子を落としてライバルの森内俊之に「名人」位を奪われるなどした。そして、危うく無冠になりかけたりしたが、最近は再び盛り返し、着々とタイトル数を取り戻しつつあるという。

将棋については全くの門外漢だが、将棋名人戦を取り上げた先日のNHKスペシャルは面白かった。自分の勝ち筋が見えてきたときに、羽生の指がふるえ始めるといわれている。私は今度、その場面をこの目で見ることが出来たのだ。彼はふるえる指で駒を打ち下ろし、近くの駒をはじき飛ばしてしまったのである。

──7冠独占時代の羽生は、日本人とは思えないような戦い方をしていたのだった。

囲碁のことなら少しは分かるが、囲碁界にも羽生善治のような人物がいるのである。韓国出身の張治勲は一時期、圧倒的な強さを示していた。彼は、囲碁界の三大タイトルを独占したため、「大三冠」と呼ばれていた時期がある。その戦いぶりは、最盛期の羽生のそれと似ていた。どんな窮地に陥っても彼は諦めることなく、最早相手のものになっている敵陣にも攻め込んで、敵の「地」をつぶしにかかったのである。そして、最後に微差で勝っていた。

囲碁の世界で日本人棋士が振るわないのは、こうした粘りと闘志を欠いているからなのだ。日本人の碁打ちに、羽生善治並みの闘志盛んな若手が出てくれば、韓国・中国・台湾出身の棋士に遅れを取ることはないのだが、日本人は形勢不利と見て取ると、あっさり投了してしまうのだ。

羽生が負け始めたのも、粘りを失ってギリギリまで戦い続けることをしなくなったためらしい。日本人並みの淡泊な打ち方をするようになったから負けが増えてきたのである。

考えてみると、そもそも、羽生善治が生まれつき外人並みの闘志を持っていたか疑問なのである。子供の頃の彼は、家族と将棋を指していると直ぐ勝負がついてしまうので、自分が勝ちそうな局面になると将棋盤を回転させ、彼我の立場を入れ替えて戦いを続行したという。彼は子供の頃から、敗色濃厚な場面から戦いを再開する訓練を積んでいたのだ。だから、彼は窮地に立っても動じることなく、とことん粘ることが出来たのである。

昔から、日本人はあきらめが早かった。平安朝時代、政争に敗れた方はすぐに頭をまるめて出家し恭順の姿勢を示したし、戦国時代には、負けそうになった城主は城に火をかけてあっさり自殺してしまった。近代以降になると、逮捕された革命家は主義主張を捨てて相継いで転向している。(だが、これは必ずしも悪いことではないかもしれない。「寿命の問題」という項で触れたように、運動量が少なすぎても、多すぎても寿命を縮めるらしいから、日本人が欧米の人間より長持ちするのは、適当なところで見切りをつけて、エネルギーの浪費を回避しているためかもしれないのだ)

7冠時代の羽生善治は、窮地に立たされても、子供の頃を思い出して局面が好転するまで一心不乱にがんばり続けた。この段階では、彼は勝ち負けにあまりこだわることがなかった。危地を脱出するために、無心になって戦い続けただけであった。

しかし、前人未踏の7冠制覇という偉業を成し遂げ、気がゆるんで負けがこみはじめると、彼は勝負にこだわるようになった。すると、勝ち筋が見えてくると、緊張のあまり全身が硬直するようになり、駒を持つ指が、おかしいほどに震え始めたのだ。

羽生ほどの天才が、駒を盤上の正しい位置に置けないほど緊張するということ──人間というものは実に面白い存在なのだ。彼がこれからどうなって行くのか、尽きせぬ興味を感じる。