甘口辛口

政界ババ抜きゲーム

2008/9/26(金) 午後 5:13

(週刊文春より)


<政界ババ抜きゲーム>


テレビで、福岡県飯塚市にあるという麻生太郎邸の映像を見ていたら、ため息が出た。邸宅を取り囲むコンクリート製の高い塀が延々と続いているのである。何しろ、敷地3万坪に及ぶという大邸宅なのだ。どっしりした塀が、果てしもないという感じで続いているのも当然かもしれない。

戦時下の東京で、これと同じような邸宅を見たことがある。
戦争中、私が入居していた学生寮は、東京の小石川にあった。小石川というところは、丘陵地帯と低地から成り立っていて、空襲であたり一帯が焦土と化す以前は、氷川下と呼ばれている低地に貧しい家々が密集して、これを見下ろす高台にしゃれたお屋敷が並んでいた。その光景は、あたかも黒澤明の映画「天国と地獄」を見るようだった。

ある日、その高台のお屋敷地区を歩いていたら、行けども行けども終わりがないという感じのコンクリート塀に囲われた屋敷にぶつかった。塀が高いので、中の建物を見ることは出来ない。だが、門構えを見れば、それが個人の邸宅であることは疑いなかった。(成る程、東京というところには、とてつもない金持ちが住んでいるんだな)と感じ入ったものだった。

しかし、戦争が終わって上京してみると、低地の貧民街も高台の邸宅群もおおかたは焼け失せていた。そして以前に見た大邸宅は、戦後の復興過程のなかで、敷地が細かに分割されていくつもの家が建ち、すっかり昔の面影を失っていた。もう戦後の東京には、あんな大邸宅はなくなっていたのである。

東京では姿を消した化け物みたいに巨大なお屋敷が飯塚市には今も残っていて、麻生太郎が住んでいるのだ。週刊誌によると、塀の内部には建坪は800坪の屋敷があり、その邸宅の部屋数は50以上あるという。麻生太郎が結婚したときには、千人の客を集めて庭で披露宴を行ったというから、庭園もまた半端ではないらしい。

夢のような話は、まだまだ続くのである。麻生太郎が学齢に達すると、父親は彼のために私立小学校を作り、一家で東京に移住するまでの三年間をここで学ばせている。この小学校の生徒は、麻生太郎を含めて4人だけで、同級生は麻生グループ企業の幹部の子供たちだった。

代議士になった父親と共に上京した麻生太郎は、学習院の初等科に転校し、以後大学を卒業するまで学習院に在籍している。その頃、彼のポケットに入っていたのは絹のハンカチだったという。とびきりのお坊ちゃんとして育った麻生太郎は、代議士になってからは品のいいボンボンと見られることを嫌って、偽悪趣味をひけらかすようになった。

衆議院議員に立候補する時、冗談めかして「私は吉田茂の七光りに父親の七光りを加えて、十四光です」と自己紹介するところまではよかった。だが、選挙民に向かって、「下々の皆さん」と呼びかけたり、それが評判が悪い知ると、「平民の皆さん」と呼びかけるようになると、これはもう悪趣味というしかなかった。

彼は回転の速い頭を持っているから、インテリ風の気の利いた一家言を披瀝してまわりを感心させたりする。けれども、学生時代の彼は、ヨットやクレー射撃に熱中し、女遊びに明け暮れていたから、学問の基本が出来ていない。だから、「日本は世界に類例のない単一民族、同一文化の国だ」といってアイヌ人から抗議され、「朝鮮人の創氏改名は、朝鮮人自身が望んだことだ」と放言して韓国民から抗議されることになる。

麻生太郎は小泉・安倍政権下に要職について問題を無難にこなして来てはいる。だが、彼は見るべきことを何もしていない。彼は耳学問で仕入れた知識・政策を振り回すけれども、見識の浅さから問題を深めることが出来ないのだ。麻生は人間としても底が浅く、その発言には弱者を侮蔑する暴言、人権無視の妄言が多い。その点、石原慎太郎と瓜二つである。

その麻生太郎が自民党の総裁に選ばれた。

総裁選挙をババ抜きゲームにたとえるなら、自民党の議員らはこのところ間違った札ばかりを引いている。つい最近も、安倍晋三というジョーカーを選んだばかりなのに、今回も麻生太郎という怪しげな札を引いてしまった。麻生太郎には「国民的な人気」があるという理由で。

昭和以降の政治史を眺めてみると、国民的人気の高かったとされる政治家たちはろくなことをしていない。彼らは首相になってから、日本国を奈落の底に突き落とすようなことをして来たのである。戦前の政治家で最も人気の高かったのは近衛文麿だが、彼は軍部の暴走を押さえてくれるのではないかという国民の期待をになって首相になったにもかかわらず、逆に軍部という虎を野に放つようなことをしてしまった。

近衛は首相として、「蒋介石政権を相手にせず」という声明を発して日中戦争を終息させる道を自ら閉ざしてしまった。そして、第三次近衛内閣を投げ出すに当たって、重臣の木戸とはかって戦争拡大派の中心人物東条英機を後継にしたのである。

戦後の政治家で一番人気のあったのは田中角栄だろう。彼も、国民の期待を裏切って日本を金まみれの土建国家にして、自らはロッキード事件で没落していった。

国民的な人気を博する政治家には、二つのタイプがある。一つは「毛並みの良さ」で輿望を集めるタイプで、近衛文麿や細川護煕、安倍晋三もこの型である。もう一つは、「陽気な庶民性」を売り物にする政治家で、田中角栄がその代表であり、麻生太郎もこのタイプに属する。

麻生太郎は吉田茂の孫で、麻生財閥の御曹司なのだから「毛並みの良さ」路線で十分やっていけるはずだったが、勉強嫌いの彼は知的エリートへの対抗意識から、マンガおたくの看板をかけて若者に取り入る作戦に出た。

毛並みの良さとか陽気な庶民性に惹かれて、訳も分からずに特定の政治家に肩入れしてしまうところに民衆の蒙昧さがある。大衆は愚かだから、常に騙され続けている。しかし、そんな大衆も何時までも騙され続けはしない。ポピュリズム政治家たちは、民衆も何時かは目を覚まして反旗を翻してきたことを忘れてはならない。