甘口辛口

米谷ふみ子のアメリカ体験(その2)

2008/11/14(金) 午後 0:10

 (米谷ふみ子のエッセー)

<米谷ふみ子のアメリカ体験(その2)>


米谷ふみ子には、「遠来の客」という作品がある。雑誌「文学界」の新人賞を受賞した作品で、これが彼女の処女作ではないかと思われる。

「遠来の客」は、こんな状況からスタートする──脳障害を持った次男のケンが、大食漢のためか、一年間に30センチも背が伸びはじめ家族の手に負えなくなったため施設に預けることになる・・・・・

手に負えなくなったとはいえ、ケンは家族全員に愛されていたから、彼が施設に入所するにあたって、家族全員が彼を施設まで送っていくことになった。かくて一同は、自家車ホンダ・アコードに乗り込むことになる。

車を運転するのは父親のジョシュ、その隣に母親の米谷ふみ子がすわり、後部座席にジョンとケンの兄弟が乗って出発するのだが、発車すると直ぐにトラブルが起きる。ケンが兄の髪を大きな手で掴み、自分の方にたぐり寄せたのである。

「ケン、やめろ!」と悲鳴を上げる兄の顔に、ケンが噛みついた。ジョンの頬にはくっきり歯形がつき、血がにじみ出てくる。しかし、ジョシュは運転中でハンドルから手が離せないし、ふみ子も非力で二人を引き離すことが出来ない・・・・

こんな修羅場を展開しながら、家族はケンを施設に送り込んだのだった。だが、長年一緒に暮らしてきた家族である。三週間が過ぎるとケンを自宅に連れて帰ることになった。施設では、入所後三週間たてば入所者の一時帰宅を許す規約になっているのだ。

ふみ子は、帰宅したケンに出来るだけのことをしてやりたいと思った。それで食事でも何でもケンを喜ばせることを優先させて、帰宅後最初の食事に彼の好物のおでんを作ってやることにした。これが、家長であるジョシュには不満らしかった。それにケンは、父親にあまり愛情を示さなかった。

先におでんを食べてしまったケンが、自分の部屋に引き下がろうとしてふみ子の頬にキスする。そこへジョシュが部屋に入ってきて、ケンに自分の頬をさしだした。そして、「ダディにもキッス」と催促した。

だが、ケンは知らん顔をして、部屋を出て行ってしまった。

ふみ子はケンが使ったフォークや皿を片づけながら、落胆している夫に、「あなたは、今日もお刺身でしょ」と声を掛ける。うなずいて自分で冷蔵庫から刺身を取り出した夫が、急にがなり立てはじめた。見れば、爛々と光る夫の目がつり上がっている。

「誰がこれにビニールを巻き付けたんだっ!」
「決まっているじゃないの、わたしよ」
「ビニールを巻き付けると、中の刺身が腐るじゃないか」
「腐っているわけがないでしょ。昨日、魚屋さんがワゴンの冷蔵庫に入れて持ってきたものを、そのままうちの冷蔵庫に入れておいたんだから」

米谷ふみ子には分かっていたのである、夫は怒る口実を探しているのだということを。夫婦の口喧嘩は延々と続き、それでも何とか収まって食事をする段取りになった。ふみ子は自室に引っ込んでいる長男のジョンを呼んだ。

ジョンには、ケンの食べたのと同じおでんを出したが、アメリカ料理を期待していた彼は不満らしかった。夫はそういう長男を見て、味方が出来たと思ったらしく、「ジョン、食事が済んだら映画にでも行こうか」と話しかける。

ふみ子は腹を立てて、思わず言った。

「まあ、あきれた! あなた達はケンと一緒にいたいので、施設から連れて帰って来たんでしょ。たった二日間だけじゃないの。自分の時間をケンのために全部与えるちゅうことでけへんの?」

少し長くなるが、これに続く夫婦二人のやりとりをそのまま引用してみよう。アメリカ人作家の夫と日本人画家の妻が、まるで子供のような言い合いをしているのである。

<「じゃあ君は、ケンが帰って来る週末は三人共この子に付きっきりという積りかい?この子がトイレに行けば、三人共トイレに行き、風呂に入れば、三人が一緒に洗ってやるのかい?君にそういう命令をする権利はないね。自然な家庭の状態に返らすのがいいのさ。この子が帰って来ても、僕はオフィスに行って仕事をしますよ。ジョンはいつものように友達の所に遊びにも行くよ」
「そういうても、平日ケン家にいやへんのよ。文句言われへんやないの。仕事する
時間無いなんて言われへんやないの。もう口実は無くなったんよ。わたしなんか、この二日、まるまる自分の時間をケンに与えようと用意してたのに……」

又、アル(注:ジョシュ)が叫び出した。

「君に命令されるのが嫌なんだ!すぐに大声で命令するんだからっ!」

ロを閉じると、アルのこめかみが上下にびくっと動いた。道子(注:ふみ子)の声が、それを凌駕するほど大きくなった。

「大声出してんのはあなたよっー」
アルの声が小さくなった。
「君の方が先に叫び出したんだっ!」
道子も同じように声を潜めた。
「あなたの方が先に叫び始めたんよ。でもまあ、わたしが大声を出してるというんやったら、それでもよろしいわ。理由があんねんから。わたしがあなたに話しかけても何も聞いてへんから大声で話すようになったんよ。叫んでるのではのうて、聴こえるように話してんのんよ。あなたの耳の通りが悪いからやないの」
「聴きたくないから聴かないんだ」
「へえ、そうやったん。結婚した時から、この人耳聞こえへんのやろか。わたしの英語が間違いだらけで判れへんのやろかと考えたこともあったけど、二十年経ったいま、判ったことは、用を足すには大声を出すことやということやったんよっ!」>

夫婦喧嘩はようやく収まるけれども、ケンの髪を散髪する段になるとまた再燃するのである。「日米夫婦喧嘩図絵」と呼んだらいいようなこの作品は、ケンが施設に戻ることで喧嘩が収まったことを記し、ふみ子が「ケンはお客さんになったんやねえ」とつぶやく場面で終わっている。

米谷ふみ子は、日本とは違うのではないかと期待を抱いてアメリカにやってきたけれども、米国も男尊女卑の国であり、民衆の間には信じられないような蒙昧が居座っていた。米国には、産児制限に反対し、学校で進化論を教えることに抗議する宗教右派のような勢力が多数を占めていたのである。

だが、日本と違うところもあった。アメリカには大学や新聞社を拠点にするリベラルの勢力も確固と存在して、テレビなどのマスメディアを押さえている宗教右派や保守派と戦っていることだった。米国で自由な言論が花開き、人権が尊重されているのは、この両勢力が一歩も退かずに睨み合うという対抗関係を背景にしてのことなのだった。

米谷ふみ子は米国人と結婚し、アメリカで長く暮らすうちに、米国も日本も、そして世界中の国々をも、相対化して眺める目を獲得した。すると、国境を越えて、いたるところに自分の仲間がいることに気づくようになった。マルクス主義者は、世界中の労働者が連帯して資本家と戦うようになると予言したが、それより以前に、すでに現在の時点で世界のリベラリストは連帯して行動しているのである。

8年前、ブッシュが初めて大統領選挙に立候補したときからふみ子はアンチ・ブッシュの立場で活動している。世界中のリベラリストもブッシュに反対して対立候補のゴアを支援した。そして8年後の今になってみれば、ブッシュ支配のアメリカはふみ子や世界のリベラリストが予言したとおりになっている。

自国を含めてあらゆる国々を相対化して眺めるようになったふみ子は、その立場から日本の動向も眺めるようになった。彼女は例えば、日本の新聞や雑誌にこんな文章を寄せている。

<社会にタブーがあれば、明噺な報道は不可能である。日本のタブーは皇室と右翼と原子炉。日本の右翼はどうしてか皇室と結びつき誰彼なしに殺す。だから、イギリスのように自由に皇室について批判もできない(「なんや、これ? アメリカと日本」米谷ふみ子)>