甘口辛口

不思議な画家

2008/11/20(木) 午後 1:21




<不思議な画家>


先日録画しておいたNHKTVの日曜美術館を再生したら、ハンマース・ホイというデンマーク人画家の作品を紹介していた。ハンマースは、百年前に一時評判になったものの間もなく忘れられ、最近になって再評価されるようになった画家だという。

──ガランとして人のいない部屋、背中だけを見せて顔を見せない女性像、そんなものを描いた不思議な絵が次々に現れる。ディスプレイ上に現れるハンマース・ホイの作品のすべてが異様で、それが又こちらに異様な感銘を与えるのである。

私たちは、これらの作品を眺めて、(この中には永遠が封じ込められている)と思う。それは、何故だろうか。これらの作品に向かい合っていると、しいんとした気持ちになり、心が浄化されたように思う。これもまた、どうしてだろうかと疑問になる。

その理由は、一つには描かれた部屋に人がいないからであり、椅子に座った女性の表情が分からないからなのだ。

心理学者が、被験者を人間の顔の写真をたくさん貼り付けた壁の前に立たせて、どの顔に目をやるか実験したら、例外なく目をつぶっている一枚の顔写真に視線を向けたという。われわれは、他者の目の前に立たされると、攻撃的エネルギーに曝されているように感じるものなのだ。だから、瞑目した顔に視線を向けるのである。

人は、未知の人間の顔から攻撃的エネルギーが放たれているように感じる。われわれが周囲の人間と親しくなり、一人でも多くの「知人」を増やそうとするのは、このためなのだ。知人が増えれば、こちらの親和的なエネルギーがその方に流れ、エネルギーバランスが取れるようになる。

周囲から流入するエネルギーが多すぎると、人は萎縮して対人恐怖に陥るし、こちらからまわりに投げかけるエネルギーが多すぎると、人々からうるさがられて集団から排除される。受け取るエネルギーと、投出するエネルギーが均衡しているときに、人間の精神は安定し、落ち着いた気持ちになるのだ。

さて、こうしたエネルギー収支という観点から眺めると、無人の部屋や顔のない女性を描いたハンマース・ホイの作品は、私たちの想像力を刺激するものを含んでおらず、つまり物語性を欠いているから、われわれに何の刺激をも与えないはずである。

実際、彼は時間の停止した世界、かすかな気配すら絶えた無音世界を描いている。どれもこれも無愛想でそっけない作品ばかりなのだ。にもかかわらず、それらの作品は通常のエネルギー収支を超えた次元で静かに私たちに語りかけ、私たちもこれらに静かに応答する。情動のレベルでのエネルギー交換を超えたところに精神によるエネルギー交換の世界があり、ハンマース・ホイの作品はこのレベルでの対話を可能にするのだ。

TV番組では、この画家の生き方を十分に紹介してくれなかったが、ハンマース・ホイは妻と二人だけでひっそりと生きていたらしい。こちらに背中を見せて座っている女性は彼の妻であり、作品の中に繰り返し現れる部屋も夫妻の住んでいたアパートのものだという。

彼は一つの作品を数年かけて完成させることもあったと聞くと、孤高の画家高野野十郎が思い出される。高野野十郎といい、ハンマース・ホイといい、精神性の高い絵を描く画家の生涯には共通したものがあるようである。

(上掲の写真のうち、一番上のものはハンマース・ホイが、デビュー時に発表した作品で、二歳年下の妹を描いたもの。この作品でも、人物は正面を向いていない)