甘口辛口

皇室は、もっと世俗化を(1)

2008/12/19(金) 午後 1:36

<皇室は、もっと世俗化を>


私は週刊誌をよく読む方だが、さすがに女性週刊誌を買って読むことまではしない。けれども、新聞に女性週刊誌の広告が載っているのを見れば、その都度興味津々読んでいる。広告を見るだけで、世の女性がいま何に関心を持っているか分かるからだ。

最近、女性週刊誌の広告を読んでいて注意を惹かれたのは、皇太子夫妻に対する宮内庁長官のバッシング発言を、揃って非難しているらしいことだった。長官は記者会見で「これは私見だが」と断りながら、天皇の胃と腸にストレス性の炎症を起こさせた犯人として皇太子夫妻をあげていたのだ。

宮内庁長官が前回皇太子に対するバッシング発言をしたときには、さほど強い反発が起こらなかった。長官が天皇の意を体して発言したことは明らかだったし、バッシングの内容もまず穏当だと考えられたからだ。

だが、長官が今回、再び皇太子夫妻を非難する発言をすると様子がかわり、女性週刊誌は雅子妃擁護にまわり、男性向け週刊誌も、長官に対して、「もう、いい加減にしたらどうか」「天皇家父子の関係を悪化させるだけではないか」という否定的な反応を示すようになったのだ。女性週刊誌が強く反発したのは、長官の記者会見が雅子妃を狙い打ちするかのように、妃の誕生日当日を選んでなされたからでもあった。

しかし、長官だけを非難するのは気の毒かもしれない。長官がいくら「私見です」とか、「個人的な意見」とか断ったところで、彼が天皇の意見を代弁していることは明らかであるからだ。最初の皇太子バッシング発言などは、発言の細部まで天皇と打ち合わせ済みだったかもしれないし、今回の長官発言も、天皇が皇太子に対する苛立ちを押さえかねているのを見かねて、長官が天皇に代わってその不満を語ったに違いないのだ。

──ここで、皇太子の側から問題を眺めてみよう。

皇太子の心境は、「自分の行動に不満があるなら、父天皇はどうして直接自分に言ってくれなかったのか」ということに尽きるのではなかろうか。だが、天皇は宮内庁長官を通して、要求を伝えた。そこで皇太子は釈然としないままに口約束で、今後訪問を増やすと約束したが、その約束を怠っていたら、いきなり長官が事もあろうに記者会見の場で皇太子の違約を責めたのである。

父子の間で談笑裡に解決されるはずの内輪の話が,全国民に知れ渡ってしまったのだ。そして皇太子一人が悪者にされたのである。皇太子が宮内庁長官に対しても、父天皇に対しても、素直な気持ちになれなかったとしても、当然ではなかろうか。

こう見てくると、皇室には天皇一家の温かな家族交流を妨げる何かがあると考えざるを得なくなる。その障害とは、いうまでもなく宮内庁官僚なのだ。この壁があるために、父と長男が対立し、次男が父の応援に回って兄と不仲になるというようなことになるのである。

だいたい今の世界に、天皇に近侍する役人が数百名、皇太子に近侍する役人が百名というような非生産的な人使いをする宮廷があるだろうか。この夥しい官僚たちが、宮内庁の役人は天皇の代弁者になり、東宮の役人が皇太子の代弁者になって、互いに睨み合っているのである。

役人の数がやたらに増える原因は、宮内庁が宮廷祭祀に必要な人員を抱え込んでいるからでもあるらしい。その人員には、祭祀に先立って悪魔払いの弓を鳴らすことだけを仕事にしている役人がいるというのだから呆れる。

明治神宮をはじめ皇室ゆかりの神社には多くの神職が勤務している。宮中祭祀などは、これらの神官を宮中に集めて行えば十分なのだ。

右翼系の学者・評論家・ライターは、日本は神の国であり、天皇が宮中祭祀を実行してくれるお陰で、日本国の平和が保たれていると断言する。

アメリカの宗教右派は、進化論を否定して、一切の動植物はほぼ時を同じくして神によって一度に創造されたと説いている。これは世界中の物笑いの種になっているのだが、日本の右翼が、天皇による祭祀のおかげで日本国の平和と繁栄が保たれているなどと強弁すれば、やはり世界の物笑いになるだろう。

イスラム圏の国々は、宗教的な戒律に呪縛されて、いまだに近代化出来ないでいる。そんな中で、トルコはイスラム教国家でありながら、世俗化政策(宗教排除政策)を推進して近代国家に成長している。わが国も、「皇室の世俗化」に踏み出す時期に来ているのではなかろうか。皇室の世俗化の第一歩は、宮中祭祀を簡素化し宮内庁を解体することである。

天皇一家には、毎年、一定額の歳費を提供し、これで家計一切をまかなって貰うことにするのだ。天皇家に仕える執事や使用人なども、天皇家が民間から好ましい人物を探してきて雇えばよい。父天皇は子供たちに小遣いを与え、子供はこれで登山に出かけたり、楽器を購入したりする。これからは、皇室も国民と同様、与えられた収入の範囲内で暮らすのである。

「週刊文春」は今回の問題について、こうコメントしている。

<今回の長官会見で最も注
 目されたのは、
 「皇室そのものが妃殿下に
 対するストレスであり、ご
 病気の原因ではないか」
 との「論」があることを
指摘し、
 「皇室の伝統を受け継がれ
 て、また、今日の時代の要
請に応えて一心に働き続け
 てこられた両陛下のなさり
 ようを否定するような論に
深く傷つかれたとお見受け
 した」
 と説明したくだりだった。>

皇室そのものが雅子妃に対するストレスになっているというのは、誰かが言いだした「論」ではなく、誰もがそう思っていることであり、それは「論」ではなく世論であり常識なのだ。国民は口に出しては言わないけれども、民間から皇室に入った聡明な女性には、煩わしい宮中儀礼や伝統が強いストレスになっているにちがいないと考えているのだ。美智子皇后といい雅子妃といい、現代日本選り抜きの女性が皇室に入った後に相継いで精神障害を起こしているのである。

皇室が伝統に執着して世俗化に逆らえば逆らうほど、民間から皇室にはいった人々は苦しむし、世論は一層天皇制に冷淡になる。時代は人類普遍の方向にむかって動いている。普遍的真実に向かう流れは、今後強くなって行く一方なのだ。

天皇家は、皇室の伝統を軽視する「論」に「深く傷つ」く前に、自らを近代化し世俗化して、普遍的な真実に一致することをこそ求めて行くべきではなかろうか。