甘口辛口

「無神論バス」の出発

2009/1/26(月) 午後 4:12

<「無神論バス」の出発>


今日の新聞を見ていたら、面白い記事があった(1/26付 朝日新聞)。全文を引用すると、以下のようになる。

<【ロンドン=大野博人】
神は多分いない。くよくよするのはやめて人生を楽しもう。こんな広告を付けた路線バスが英国各地で走っている。無神論者のグループが市民から寄金を募って始めた。

発端は同じようにバスを使ったキリスト教団体の広告。劇作家アリアナシェリンさんがその広告主のサイトを見たら「キリスト教徒でなければ永遠に地獄で苦しむ」。カチンと来て反撃広告のアイデアを新聞のコラムに書いたところ無神論者のグループなどが同調。1人5ポンド(約470円)の募金で、予想を超える約14万ポンド(約1900万円)が集まった。

「無神論バス」は計800台。6日から4週間の予定で運行を続ける。「多分」とあるのは、断定すると広告類制に引っかかる恐れがあるため。ビール会社が「多分世界一やすい」とやってクリアしたのにならった。

神に限らず何かが存在しないことを証明するのは基本的に無理という事情もある。それでも宗教団体は「消費者を欺く広告」と批判。倍心深い運転手の乗車拒否も起き、神の有無がバスの運行に影響し始めている>

興味を覚えたのは、教会信者と無神論者の応酬にイギリス人らしいユーモアを感じたということもあるが、それとは別に個人的に「無神論バス」を始めた劇作家と共通する怒りを味わったことがあるからだった。

私は戦後の結核療養所で、在家仏教の活動家と親しくなったし、キリスト教徒の友人とも親交を重ねた。結核患者がばたばた死んでいく時代だったから、療養所内にはいろいろな宗教を信じる患者が多かったのである。なかでも最大勢力を擁しているのがキリスト教徒だった。

患者たちの行動を見ていると、矢張り一番ちゃんとしているのはクリスチャンの患者で、死に臨んで見苦しい振る舞いをする者はまずいなかった。こうした患者たちに接しているためか、療養所に勤務する看護婦にはキリスト教に入信する者が多く、たいていの病棟にはクリスチャンの看護婦が一人か二人いた。

私が所属していた俳句グループは20名足らずの小さなサークルだったが、クリスチャンは3人いて、そのうちの2名は女性だった。残りの一人は男性の信者で、これは実際尊敬に値する男だった。強い信仰を持っているにもかかわらず、自らの信仰について何も語らないのである。

沈黙を守る男性信者に対して、女性信者の方は俳句作品に自らの信仰をうたい込んだりしている。ある日、女性信者の一人と話をしているうちに、サークル内の仲間の一人のことに話題が及んだ。その仲間というのは、俳句は下手だが人間的にはよくできた女性で、「ああいう女性はなかなかいないね」と、その場の意見は一致したのだった。

ところが、突然、相手は歯ぎしりするような口調で言った。

「でも、あの人、天国には行けないんだわ」

一瞬、何のことだか分からなかった。だが、すぐに分かった。

彼女はクリスチャンでなければ天国に行けないと信じているのだ。彼女は話題の女性をライバル視している、そして内心、自分が人間としては相手に及ばないことを知っている、だから最後の勝負手として、天国に行けるかどうかという問題を持ち出したのだ。彼女の信仰に従えば、どんなに優れた人間でもキリスト教徒でない限り天国には行けないのである。

「天国に行こうと思ったら、わが宗門に来たれ。さもなくば、地獄に堕ちるぞよ」・・・・これ以上邪悪で愚かしい言葉があるだろうか。

信仰は、ひとを良くもするし、悪くもする。そして信仰によって悪くなった人間を糺す方法は、ちょっと見あたらないのである。精々、「無神論バス」を走らせて、狂信の徒に対抗するしかないのだ。このバスへの寄金が、14万ポンドも集まったことをみれば、隣人の盲信に怒りを感じているものは、想像以上に多いのである。