甘口辛口

大逆事件と古川力作(1)

2009/2/3(火) 午後 6:50
<大逆事件と古河力作(1)>


水上勉全集を手に入れて、まず読んだのは「雁の寺」四部作だった。このうち第一部は、10歳で雁の寺に弟子入りした小坊主慈念が、住職を殺して姿を消すまでを描いている。

第二部では、それから5年後、19歳になった慈念が故郷の村に姿をあらわすところから話が始まる。彼はここで産みの親と対面するのだが、慈念は寺大工の倅ということになっているけれども、実は半盲で白痴のお菊という乞食女の生んだ子だったのだ。寺大工は、だれの胤(たね)ともしれないこの慈念をあわれんで、わが家に引き取って育てて来たのである。

第三部、第四部になると、お菊を妊娠させたのは養い親の寺大工ではないかという疑念を抱いた慈念が、他郷の工事現場にいる寺大工をたずねて真相を問いつめるところが描かれる。そして、慈念は工事中だった三重の塔の屋上で、寺大工と対決しているうちに悲劇が起きて・・・・・

「雁の寺」四部作が、すぐれた出来栄えのエンターテイメント作品であることは疑いなかった。だが、話を面白くするために作者が無理な筋立てを仮構しているところもいくつか目についた。水上勉は、主役の慈念を身長四尺二〜三寸の小男にしている。これをメートルに直せば1メートル30センチほどの背丈になり、慈念の体は小学校低学年の生徒程度の大きさしかなかったことになるのだ。

その慈念が和尚を殺して高床式の寺の縁の下にかくしておき、夜になって皆が寝静まった頃を見計らって本堂に担ぎ上げ、翌日埋葬されることになっている別の男の棺桶のなかに押し込んでおくのである。二つの死体の入った棺桶を墓穴に埋めてしまえば、慈念が疑われることはない。事実、和尚は突然失踪したものとして処理されるのだ。

しかし、ちょっと考えれば誰でもこのストーリーの非現実性に気づくはずである。僅か14歳で、身長1、3メートルの小坊主が、殺した和尚を一人で縁の下に引きずり込み、それを更に深夜、独力で本堂まで担ぎ上げることができるものだろうか。いかにミステリー仕立ての物語だとはいっても、これは少々乱暴すぎる話である。

それよりも、もっと不自然なのは、慈念が他郷の工事現場で働いている寺大工に会いに行ったら、相手が白痴のお菊と同棲して彼女に炊事その他をさせていたという筋立てだ。白痴で半分盲目の乞食女が、いかに余所の土地だったとはいえ、周囲の誰にも怪しまれることなく男と同棲し、炊事その他の仕事をこなしていたとは信じられない。作者は、寺大工がお菊を更生させ、常人にちかいまでに立ち直らせたという説明を一言つけ加えているのだけれども。

「雁の寺」四部作を読了してから、「古河力作の生涯」に移った。

水上勉は、小説のほかに一休、良寛、鈴木正一、白隠など禅宗系の僧侶の評伝を書いていて、このうちの「良寛」は毎日芸術賞を受賞している。ほかにも彼は宇野浩二の伝記を書いたり、大逆事件に連座して死刑になった古河力作の伝記を書いている。「雁の寺」を読んだ後で、「古河力作の生涯」に移ったのは、以前に大逆事件に関する本を1〜2冊読んで、古河力作に興味を抱いていたからだった。

古河力作は、「雁の寺」の慈念によく似た小男で、身長が四尺四寸、つまり1メートル33センチしかなかったが、処刑される前に周囲を驚嘆させるほどの落ち着きを示したことで知られている。彼は絞首台に上る前に、空腹だからといって饅頭を所望し、それを二つも三つも食べてから、顔色一つ変えずに処刑されたといわれている。

長い間、死刑を執行してきた刑務所の役人も、こんなに平気な顔で死んでいった囚人を見たことがないというのだ。実際は彼が食べたのは饅頭ではなく、絞首台にあがる前に連れて行かれた小部屋にあった蜜柑と羊羹だったのだが、彼はそれを平然と食べ、その後で淡々とした表情で処刑されたのだった。とにかく、大逆事件で処刑された12名のうちで、古河力作が一番落ち着いていたことは事実だったらしい。

「雁の寺」では、現実離れのした挿話を折り込んだ水上勉だが、伝記や評伝では資料を十分に読み込んだ労作を書いている。古河力作の生涯を描くに当たっても、時代背景やら大逆事件の経過などを丹念にたどり、その上で古河の薄倖の生涯を浮かび上がらせているのだ。

今日では、明治天皇の暗殺を企てたとされる「大逆事件」なるものが、ほとんど実体のないものだったことは広く知られるようになった。事の発端は、明治41年に起きた「赤旗事件」までさかのぼらなければならない。

この年、社会主義者たちは、同志の山口義三が出獄したのを記念して神田の錦輝館で演説会を開催した。演説会が終わってから、興奮した若手の大杉栄や荒畑寒村らが赤旗を振りかざして館外に押し出したので、待ちかまえていた警官らと激突して揉み合いになり、主義者たちは片っ端から逮捕されることになったのだ。これが、「赤旗事件」なのである。この時、混乱を鎮めるために渦中に割って入った堺利彦らの長老も逮捕されたから、在京のおもだった社会主義者はことごとく留置場に放り込まれる始末になった。

そこで郷里の土佐に帰省していた幸徳秋水が急遽上京して、社会主義陣営をたてなおすことになる。ところが、運動の中心になるはずの幸徳が、菅野須賀子と同棲を始めたことで同志の信頼を失い、誰も彼のところに寄りつかないようになってしまったのである。菅野須賀子は、赤旗事件で逮捕された荒畑寒村の婚約者だったから、幸徳は獄中にある後輩の女を奪った「不徳義漢」と非難され、菅野は下っ端の主義者を捨てて大物の幸徳に乗り換えた計算高い女として嫌悪されたのだ。

同志からすっかり見放された二人にも、僅かだが味方はいた。幸徳・菅野と同居して書生の仕事をしている新村忠雄と、草花栽培の園丁をしながら幸徳のもとに通っていた古河力作の二人だった。この四名が身を寄せ合うようにして、細々と運動を続けているところに明科製材所の機械工宮下太吉が訪ねてきて、大逆事件という悲劇の幕が切って落とされるのである。

幸徳宅を訪ねてきた宮下太吉は、幸徳・菅野を前にして、手投げ爆弾を天皇の馬車に投げつけてはどうかと、テロ実行のプランを持ちかけたのだ。日本人は天皇を生きている神様だと思っている、その天皇の馬車に爆弾を投じて血を流させれば、天皇もただの人間だとわかり民衆の迷夢もさめるはずだと宮下はいうのである。

宮下の提案に飛びついたのは、菅野須賀子の方だった。彼女が宮下の提案を新村忠雄と古河力作に告げると、二人も直ぐ興味を示した。が、肝心の幸徳秋水の態度は煮え切らなかった。彼は、「将来その必要もあろう、そして、そのようなことを致す人間も出てくるであろう」と言葉を濁し、宮下のプランに賛成だとも反対だとも言わないのである。

そこで幸徳秋水は自然に傍観者という立場に置かれることになり、計画は菅野・宮下・新村・古河の四人で進めることになる。幸徳は、四人が集まって相談していても、自分はそれに加わらず、別室に退いて本を読んでいた。

だが、計画はなかなか進展しなかった。

宮下太吉が製造した爆弾は、居住地近くの大足山で実験したところ見事に爆発したが、計画を実行するには改めて爆弾を作り直さなければならない。そして、新たに作った爆弾についても、念のために、ちゃんと爆発するかどうか実験しておく必要もある。宮下を除く三人は、宮下からの報告を首を長くして待っていたが、彼は信州明科の職場に戻ったきり、何の連絡もない。新村は、宮下と鉄道の駅で落ち合って爆弾製造の進行状態を聞く約束を取り付けたにもかかわらず、宮下は約束の日に駅に現れなかった。

この頃、宮下は人妻と不倫の関係になり、頭の中はそのことでいっぱいになっていたのである。相手の女というのは、宮下の下で働いていた清水太市郎の内妻小沢玉江だった。

(つづく)