甘口辛口

ビッグダディの後継者(その2)

2009/4/14(火) 午前 5:34


<ビッグダディの後継者(その2)>


母が三つ子と赤ん坊を連れて出稼ぎに行くと言いだしたとき、長女・長男・次男の三人は強い口調で口々に母を非難している。四人の子供を連れて、見知らぬ土地に出かける母の無謀な行動を非難したのではない。母が子供たちの意志を確かめもせずに、勝手に三つ子を奄美から連れ出そうとしていることに腹を立てたのだ。

母に対する不満は、彼女がこれまで感情のままに行動して、子供の気持を踏みにじってきたことにあったから、長男らの口調は自然に厳しくなるのだ。だが、母の側にも言い分はあった。彼女は奄美に来てから、夫や四男四女の前で、言いたいことも言えないで来たのである。彼女がリラックスできるのは三つ子といるときだったから、奄美での生活が苦しくなると、三つ子と暮らしていた昔のことをつい思い出してしまうのだ。

━━長女・長男・次男と母親の話し合いは、お互いに言いたいことをいいあっただけで結論を見ることなく終わった。そこで、彼らは父親の決断を仰ぐために、村の借家に帰ることになった。

父親は一同の話を聞いてから、「では、最高顧問会議を開こう」と言って、中学生以上の子供を一室に呼び集めた。

林下清志は、離婚とか再婚の件は個人的な問題で子供たちに相談する必要はないけれども、母親の出稼ぎというような問題については子供たちの了解を得ておかなければならないと思っていた。「最高顧問会議」と銘打って年長の子供たちを集めたのはそのためだった。とはいっても、「会議」の実態は、父親が思うところを述べ、子供らはこれを了承するといった上意下達の場になっていた。だが、それでも子供たちは一家の問題に参加しているという意識を持つことが出来たのである。

「最高顧問会議」で林下清志は子連れで出稼ぎをすることの困難について語った。妻は夫の話を聞いて、はじめて自分の計画がいかに無謀なものだったか気づいたのだ。彼女は出稼ぎによって得た収入を奄美の家族に送金するつもりだったが、送金どころか現地での自分たちの生活を支えるだけで精一杯であることが分かったのである。

彼女にとって、もっとも痛かったのは、「三つ子が不憫だ」という夫の言葉だった。夫には、三つ子を母親の手にゆだねたら最後、救いようのない「くそがき」になることが分かっていたのだ。

夫に指摘されて、妻は自分が奄美にやってきたのは、三つ子の扱いに困り果てたからだということを思い出した。三つ子は成長するにつれて母親の言うことを全く聞かなくなった。母親は、暴れ回る娘たちを呆然と見ているしかなくなったのである。彼女が強引に奄美に押し掛けてきたのも、夫の力にすがるためだったのである。

母親は夫や子供たちの意見を容れて、単身で出稼ぎに出ることになる。出稼ぎ先は、鹿児島県知覧の製茶会社で、そこが所有する茶畑で働くことになったのである。「林下家シリーズ」の今回分は、母親が茶畑で働き始めたところで終わっている。

今回の分を見ていて救われたように思ったのは、林下家の母親が時々明るい表情を見せるようになったことだった。すっかり家族になじんだ三つ子が、兄や姉と仲良くしているのを見て、彼女は静かに微笑を浮かべる。その微笑は幸福な家族を目にしたときに、母親が自然に浮かべる満ち足りた微笑なのである。彼女は奄美にくるまで、こんな微笑を知らなかったのではないだろうか。

実際、今回の分には、これまでになかったような場面が出てきたのである。海岸で一家がバーベキューをしているときに、林下が妻にやさしい仕草を見せたのだ。TVのナレーションも、「このとき、ビッグダディが思いもよらない行動に出ました」と視聴者の注意をうながしたほどだった。網の上で焼いた魚や貝を子供らに分け与えていた父親が、箸で千切った魚の肉を母親の方に差し出したのである。

赤ん坊を抱いてその場の様子を見ていた母親にとっても、夫の行動は意外だったらしく、少し照れたようにそれを口で受けた。

中学生の娘が、思わず頓狂な声をあげた。

「あら、まあ〜」

そして母に抱かれている赤ん坊に話しかけた。

「今の、見た? 衝撃的やね」

父親は娘の頭を軽く叩いて、食べ物を子供らに分配する仕事に戻ったが、妻はうれしそうだった。本当にうれしそうだったのである。喜びが、内側からあふれ出て来るような笑顔だった。

年をとるといろいろ分かってくることがある。人はこの世に何のために生まれてくるのか。

大人になって親として、子供を育てるためなのである。幼い頃は親に育てられ、大人になったら子供を育てる立場になる、そうやって人類を絶えることなく存続させるためなのだ。人間のいっさいの営為は、人類を永続させるという一点に繋がっているのである。

「林下家シリーズ」の林下清志とその妻を見ていると、(人はこうして夫婦になり、親になる)という言葉が自然に浮かんでくるのだ。次々に子供を産むだけで、主婦としても母親としては落第だった女が、奄美の夫のもとで、夫や子供たちに鍛えられることを通して、ちゃんとした妻になり母になる。

夫も自分を裏切った妻を許し、三つ子を実子同様に育てることで、人間としてひとまわり大きくなる。

人類は、「単純再生産」して続いて行くのではない。生まれ変わり、死に変わりして、平和共存・人間平等という理想を少しずつ実現しつつあるのだ。そんな人間の歩みを、私たちは「林下家シリーズ」に描かれている一家の営みの中に見ることが出来る。

林下家の子供たちは、両親の生き方に接することで、その行動を見習いビッグダディの後継者になって行くのである。