甘口辛口

かがみ氏のコメント

2009/6/3(水) 午後 3:20


      (玄関から前庭を望む:花の後先)


<かがみ氏のコメント>


私がブログに掲載した写真について、かがみ氏の執拗な抗議が続いている。これに対して私を弁護してくださる方の書き込みもあり、それで十分だと思っていたが、こちらも当事者として一言述べたくなった。

写真や絵画などを、無断で転載すれば処罰されることがある。撮影者が明らかになっているような芸術写真を、誰かが無断で利用したりすれば当然問題になるなるのだ。これは、よく分かる。

しかし、私がブログに掲載した盧武鉉などの写真は、新聞や雑誌がすでに天下に公表済みのものであり、また、その写真は知名のカメラマンの手によるものではない。だから、違法行為には当たらないと私は考えたのだ。別の言い方をすれば、新聞社や雑誌社は、私がブログに写真を転載したところで、実害をうける訳ではないから黙過してくれるだろうと判断したのだ。

私がブログに掲載した写真は、新聞・雑誌を出典とするもの以外に、テレビ画面から切り取ったものや、インターネットのYahooなどから取り込んだものがある。このうち、インターネットから取り込んだものは、その大半が出版社の書籍広告に載っていた写真である。これが、広告主に損害を与えるとは考えられなかった。

先ず、銘記してほしいのは、写真をブログに載せたのは当方に何か不純な目的があったからではないということだ。例えば、金子光晴について私が何か書けば、ブログを読む側では金子がどんな風貌をしていたか知りたくなるのではなかろうか。だから、そんな人たちのために顔写真を載せただけのことなのである。

私はホームページを開設してから10年以上になる。この間、作家・思想家の顔写真や画像などを何十枚もHPに掲載してきている。たが、これまで関係者はもちろん、HPの読者からもクレームをつけられたことはない。ブログを開設してからも何年かたつが、文句をつけてきたのは、かがみ氏一人だけである。

しかし、これまで誰からもクレームを寄せられたことがないとしても、私が間違っているということはありうる。本文に添えて新聞雑誌などから転載した顔写真を掲載することは、果たして処罰に値するほどの違法行為なのだろうか。

かがみ氏はこれまで私の行動を糾弾し続けたのだから、この点について事の正否を明らかにする責任がある。氏は、信頼できる法律関係者に私のブログを見せて、これが処罰の対象になるほどの違法行為であるかどうか確かめてほしい。もし、処罰の対象になるということであれば、無論、私は画像掲載をやめるつもりである。厳密にいえば違法だが、訴追するほどのものではないということだったら、私は読者の便を考えて顔写真を掲載し続けるつもりである。

次に、かがみ氏が私に向かって浴びせてきた「暴言」について、少しばかり忠告しておきたい。

私はパソコン通信をやっていた頃に、主として右翼の面々と「熾烈な論争」を戦わしてきた。そして知ったことは、彼らが感情的になるや否や、それまで隠してきたその薄汚い品性を暴露してしまうということだった。以前に、どこかに書いたことがあるけれども、私と論争した右翼の面々は、旗色が悪くなると必ずといっていいほど、私を「ジジイ」呼ばわりし始めるのである。

彼らは、口には出して言わないものの、腹の底では老人を小馬鹿にしていて、興奮するとつい本音を出してしまうのだ。

かがみ氏も、右翼とおなじである。この人は、私が反論しないことをいいことに、人間としていかがかと思われるようなことを口にしている。

だいたい、かがみ氏は私のブログをちゃんと読みもしないで、的外れの攻撃をする悪癖があるのだ。私はテレビで宮崎哲弥と某大学教授の天皇制に関する対談を見ていて、大学教授の側の主張をブログで批判したのだった。宮崎哲弥はこの対談では聞き役に回っていたから、彼の発言について触れることはなかった。

ところが、かがみ氏は私が宮崎哲弥を批判したと思い込んで、コメント欄で熱くなって彼を弁護するのである。こちらが君は思い違いしているよと注意すると、彼は自尊心を傷つけられたらしく、かっと逆上して、ますます奇妙なことを言い募る。私はこんな阿呆と対話する気がなくなったから、以後、彼を黙殺することにしたのである。

とは言っても、今は、かがみ氏に助言しておく必要も感じている。私をこき下ろすために彼が持ち出した攻撃材料には、人間として看過できないものがあるからだ。

彼は、繰り返し私の学歴が低いと嘲笑している。私の学歴が低いのか高いのか、自分にはよく分からないし、かがみ氏が他人の学歴を軽蔑出来るほど立派な学歴をお持ちかどうかも知らない。だが、学歴をタネに相手を嘲笑するような人物に、ろくな人間はいないことだけはわかるのだ。

かがみ氏はまた、私が教員だったことでこちらを軽蔑している。職業に貴賤はないというけれども、職業をタネに相手を軽蔑するのもあまり褒められたことではないのである。

教員は人々が口には出さないけれども、自分たちを内心で軽視していることを知っている。会社員の皆さんは、こどもを学校に預けている手前、表向き教員をバカにすることはない。しかし、心の中では、教員が立場上、欲望のままに行動する自由がないこと、給与の点でも昇進の点でも一定の枠以上に出られないこと、つまり教員が社会的に無力な状態に置かれていることを理由にして教員を軽く見ている。

人間の悲しいところは、相手が社会的な弱者だと知ると、つい軽侮してしまう情けない心性を持っていることだ。かがみ氏は、こういう人々が隠し持っている差別意識を武器にして、教員全体をあざけるのである、それがどんなにみっともないことかも知らないで。

つまり、彼は教員に対する世俗の「偏見」を武器にして、私を嘲笑するのだ、お前は社会的に無力な弱者のくせに、一国の首相を批判するのか、分を知れと。

私はこのブログを始めるに当たって、「権力と対峙して行くつもりだ」と書いたところ、たちまち、「無名でちっぽけなあなたが、権力と対峙するですって(笑)」という書き込みがあった。名もない弱者のくせに偉そうなことを言うんじゃないと、同じ弱者がこちらの足を引っ張るのである。私は、自分自身を含め日本人の意識の深層にある「下僕根性」と戦うために、権力に対峙する姿勢を打ち出したつもりだったが、世の「常識家」の目には、これがいかにも滑稽に見えるらしいのだ。だが、名もない庶民が権力に対峙する姿勢を忘れたために日本は敗戦の憂き目にあい、今も自民党による一党支配が続いているのである。

かがみ氏の書き込みで一番不可解なのは、彼が私の影響を受けて私のような詰まらぬ人間になることを恐れていると書いている部分だ。だったら、私のブログなど読まなければいいではないか。この人の頭は、おかしいのではないか。

最後に、思い出話を一つ。

某高校で教師をしていた頃、三年生の女生徒が一人、校内のあちこちに私に対する悪口を落書きし始めた。階段の踊り場とか、生徒昇降口とかに、チョークでバカとか、死ねとか、ブスとか書きつけるのである。私には犯人が分かっていたが、分からないのは彼女がそんなことをする理由だった。私には、全く心当たりがなかったのである。

それで知らん顔をして放っておいたが、冬になってストーブの煙突に書かれたチョークの文字を見ると、さすがにいい気持ちはしなかった。かがみ氏に対する私の気持ちは、この女生徒に対するものに似ているのである。

卒業式の日に、学校の私の机の上に封筒が乗っていた。例の女生徒が置いていったものだった。

「すみませんでした」

とあるだけで、私を攻撃した理由については、はやはり触れていなかった。