甘口辛口

仮面の人・鴎外(その3)

2009/6/28(日) 午後 7:42

 (荒木志げ)

<仮面の人・鴎外(その3)>


鴎外は、再婚相手の荒木志げと小倉で暮らすこと三ヶ月足らずで、東京に帰ってきた。第一師団の軍医部長に任じられたからだ。この時、鴎外は40歳、新婦の志げは22歳だった。

鴎外夫妻は観潮楼で母の峰子と暮らすことになったが、鴎外が案じていたとおり、すぐさま嫁姑問題が勃発した。志げは姑が財布を握って、一家の財産を管理していることが気に入らなかった。それよりもっと我慢がならなかったのは、夫婦が二人でいるところに、峰子が顔を出して鴎外に話しかけることだった。それも、やむを得なかった。峰子は、鴎外が志げと結婚する以前には何でも息子と話し合っていたのである。

話題は、世の常の家事に関わる相談事にとどまらなかった。官界・医学界の情勢や文壇の動向にいたるまであらゆる問題が二人の間で話し合われていたのだ。

鴎外がまだ小倉にいた頃、友人が峰子の「裏面工作」について知らせてくれたことがある。峰子は、赤十字の総会が開かれて、日本からも代表が派遣されることになったと聞いて、息子の鴎外を日本代表にしようと思い立った。彼女は代表選任の決定権を持つ官界医界の有力者宅を歴訪して、鴎外を推挙するように訴えて歩いたのだ。

鴎外はこの話を聞いて驚き、友人に返事を書いている―――自分はそんなことを全く知らないでいた。母の行動は、まことに困ったことである。しかし、母の行動は息子のためによかれと思ってのことだし、それに他ならぬ母のしたことだから、自分としては、いかんともすることができない云々・・・・。

実はこの種の裏面工作は、峰子の得意とするところだったのである。峰子は、孫の家庭教師として大学生を雇っていた。その大学生が単位を落としたと聞くと、彼女は担当教授の私宅に乗り込んでいって.彼に単位を与えてやってほしいと直談判している。

息子の昇進のために、官界・医界の動向に目を光らせていた峰子は、鴎外の作家的地位を守るためにも努力を怠らなかった。鴎外の著書を校正するために、母と子が向かい合って夜更けまで読み合わせをするのは日常茶飯事になっていた。

まだ、鴎外が若かった頃には、息子のところに作家たちが集まって議論していると、峰子が、「私もお仲間に入れてもらいますよ」と割り込んで行くのが常だった。この峰子を追い払うために若い作家たちが工夫したのは、露骨な猥談をはじめて彼女をその場にいたたまれなくすることだった。

こうして峰子は、息子の活動のあらゆる面にタッチして来たのである。だから、彼女は何時でも息子と話したいことを山ほど抱えていた。出来れば彼女は、役所から戻った鴎外と一晩中でも話していたかったのである。だが、志げには、隙あれば夫に話しかけようとする姑は、自分から夫を奪おうとする恋敵に見えた。彼女は、峰子が用事があって鴎外のところにやってくると、さも厭わしげにその場からつと立ち去るようになった。

志げの敵意は、先妻の子の於莵にもむけられ、彼女は彼にほとんど言葉をかけなかった。彼女は又、鴎外の友人たちにも冷たい態度を取ったから、鴎外の古くからの友人たちは、峰子・於菟への同情から、志げを離婚すべきだと考えるようになっていた。

観潮楼で志げが峰子と同居するようになってから二年後に、日露戦争が始まった。

鴎外も第二軍の軍医部長として出征することになり、出陣に先立って万一戦死する場合を考慮して遺言状を書いた。その内容は、驚くべきものだった。財産を息子の於莵と母の峰子に与え、志げには一文も与えないという過酷なものだったのだ。

 予ハ予ノ死後遺ス所ノ財産ヲ両半二
 平分シ左ノ二条件ヲ附シテ一半ヲ予ノ
 相続者ノ長男森於菟二与へ一半ヲ予ノ
 母森みねこ与フべシ

志げの生活費は、於菟に分与されたものの中から於菟が一部を削って分け与えることになっていたから、志げはこれまで無視して来た先妻の遺児に頭を下げて金を貰わなければならないことになる。こうしたした意地の悪い遺言を残すことになった理由を、鴎外は遺言状のなかで次のように説明している。

予ハ茲ニ右条件ノ巳ム可カラザル所
 以ヲ特二言明ス即チ森しげガ森於菟卜
 同居年ヲ越エナガラ正当ナル理由ナク
 シテ絶テ之卜言ヲ交へズ既ニシテ又正
 当ナル理由ナクシテ森みね及森潤三郎
 卜同居ヲ継続スルコトヲ拒ミ右三人二
 対シ悪意ヲ挟ミ到底予ノ遺族ノ安危ヲ
 託スルニ由ナキコト是ナリ

この遺言状を見れば、嫁姑の葛藤に対して、鴎外がハッキリと母の側に立っていたことが分かる。

私は、この遺言状について知る以前に岩波新書版で、鴎外の「妻への手紙」を読んでいたから志げに対して過酷な遺言状を見て唖然としてしまった。鴎外が戦地から志げに与えた手紙を読むと、こちらが気恥ずかしくなるほど甘ったるい言葉が連ねてあるのだ。

鴎外は、一方では妻を人非人のように非難した遺言状を書きながら、他方では頑是無い子どもをあやすような大甘な手紙を数十通も戦地から妻に書き送っている。私は、森鴎外というのはつくづく悪魔的な人物だなと思ったものである。

一方的に母の側に傾いていた天秤が、少しずつ妻の方に寄り始めたのは、志げが茉莉・不律・杏奴・類を産み、母親としての自覚を持ち始めたからだった。それに鴎外は、策略の多い母に比べて、妻の愚かしいほどの真っ正直な態度を評価し始めていた。そもそも日露戦争に出陣するに当たって、志げに不利な遺言状を書いたのも、母の意向に背けなかったからだったのだ。

峰子は前々から、鴎外にもしもの事があると心配だからと、於菟に財産を遺す旨の遺言状を書くように求めていた。鴎外もその乞いを容れ、あわせて金銭への執着の強い母の気持ちも推測して、財産を於菟と母に半分ずつ分与する遺言状を書いたのである。今日、われわれが第三者としてこの遺言状を読んでみると、一番優遇されているのは、母の峰子なのだ。

於菟は財産の半分を分与されたが、その中から義母志げの生活費を始め、祖母森きよ、叔父森潤三郎、姪茉莉の生活費や教育費を負担するように求められていた。だが、峰子は財産の半分を受け取りながら、それらの負担は一切なくて、全額を自分のため使っていいのである。

こうした母への極端な優遇策には、背景に儒教共同体としての日本で生きる鴎外の倫理意識があった。キリスト教も仏教も信じていなかった鴎外の倫理観は、強いて分類すれば儒教に基づいていたのだ。彼が軍人として公正であろうとし、子として親に孝養を尽くそうとしたのも、儒教精神からだった。

しかし、儒教的モラルに制約されながらも、母を見る鴎外の目は次第に厳しさを増していった。「半日」は、妻の反省を促すために書かれた「自家用の文学」だとされている。なるほど、この作品の中で志げのヒステリックな行動が白日下にさらされてはいる。だが、鴎外は、妻の言い分をありのままに書き記すことによって、母にも反省すべき点のあることを指摘しているのである。

鴎外には、生前に発表されることのなかった「本家分家」という作品があり、これには彼が母の行動にブレーキをかける場面が出てくる。弟の篤次郎が亡くなった直後に、その妻が貯金通帳や証券類を全部実家に持って行ってしまってたので、鴎外と峰子はその金額がいくらになるか知りたいと思った。鴎外は、直ぐにも篤次郎の妻にその点を問いただそうとしている母に釘を刺したのである。

「わたくしも猶考えてみますから、あなたは黙って聞かずにいて下さいまし」

母の独走を、「いかんともすべからず」と傍観しているしかなかった鴎外が、ここではハッキリと母にストップを命じている。

そして、不律・茉莉の安楽死問題で、ついに鴎外と母の蜜月状態は破綻するのである。

(つづく)