甘口辛口

夫婦の問題

2009/7/22(水) 午後 5:36

<夫婦の問題>


昔は、夫婦について考えることなどほとんどなかった。しかし、身辺の熟年離婚した友人や、妻に死なれた知人たち(いづれも男性)が相継いで死亡して行くという事態に直面すると、オヤと思うようになった。

主婦たちは、家庭にあって炊事・洗濯・掃除などをして家族の生存基盤を整え維持している。だから、家事に手を出すことなく威張っていた男ほど、妻がいなくなったときの打撃も大きくなるのだ。

「伴侶の死」を書いた加藤恭子は、わがままな夫を支えるために奮闘していた。彼女は夫と共に過ごした38年間の結婚生活を、<I have worked really hard >と総括している。

<英単語は、時折、多くのことを大まかに一語でしめくくってしまう。勉強することも、家で家事を一生懸命にすることも、仕事をすることも、努力をすることも、お金を稼ぐことも、それぞれの単語はあるものの「work」で表現することができる。

淑裕との三十八年間を振りかえり、もし一言で表現することを求められれば「I have worked really hard 」とおそらく私は言うだろう。

その「work」自体を、今さら後悔するつもりはない。ただ、(心臓に負担をかけさえすればすむことだ)と頑張ってきたその努力を、私は彼をトータルな意味でのばすため、彼の人生をより充実したものにするため、彼の「生」のために行ってきたつもりでいた。(「伴侶の死」加藤恭子)>

こういう加藤恭子の書いたものだから、男性の身にとって以下の文章が胸に応えるのである。

<(一体、私は何をしてきたというのだろう?)
 (私の人生とは、何だったのか?)
 五十代に入ってから、こういう疑問を口にする女性の友人が周囲に増えた。そのたびに
「そんなことは、決して言ってはいけないの。人間として、口にすべきではないのよ、そ んなことは」

 などと強くたしなめてきた私だったが、今は呆然と同じ問いを繰返して・・・・>

彼女は、家族のために生きてきた50代の主婦たちが自らの人生に疑問を感じはじめていると言っているのだ。――自分には、もっと有意義な仕事があったのではないか。女に生まれたからと言って、どうして自己実現のための人生を送ってはいけないのか、と。

加藤恭子はこれまで友人たちから、そうした嘆きを聞かされると、「強くたしなめてきた」。しかし、彼女もおなじ嘆きをこころに秘めて生きていたのだった。彼女は最初、夫のために自分の人生を捧げるつもりだったが、夫から勉強を続けるように激励され、アメリカやフランスの大学で仏文学の研究に打ち込んできた。そのうちに彼女は自分も学者として、教育者として、生きる自信が持てるようになっていたのである。

だが、彼女は、夫の人生をより充実したものにするのが妻の義務だという固定観念に取り付かれていた。だから彼女は、学者としても教育者としても中途半端に終わってしまったのだ。夫が一ヶ月余の病臥の後に、あっけなく亡くなってから、恭子が自分の人生とは何だったのかという疑問にとりつかれたのも自然なことだった。

貞淑に見える妻の心の中にも、思いも寄らない欲望が眠っている。

以前に「凪の光景」(佐藤愛子)という新聞連載小説を読んだことがある。古武士のような風格をそなえた祖父を中心とする平和な三世代家族が、ガラガラと崩壊して行くさまを描いた小説だった。この元小学校校長をしていた硬骨の祖父が、還暦祝いか何かの席上で人々に挨拶する場面が印象に残っている。彼が傍らに控えている妻を指して、自分たち夫婦は互いに手を携えて今後も仲良く暮らしていきたいと抱負を語ると、妻が微妙な表情を顔に浮かべるのである。

夫はこれまで通り、夫唱婦随で妻が自分についてくるものと信じきっている。だが、妻の方は小学校校長の妻という堅苦しい生活にうんざりしていて、もっと楽しい人生を望んでいたのだ。彼女は、仲間の不良老女にそそのかされ、やがて夫を裏切ってしまう。

亡き夫のために一冊の本を書いた加藤恭子も、自分にはもっと別の人生があったのではないかと考える。育ちも考え方も異なる男女が夫婦になるのだから、夫婦の何れかが結婚生活の途上で、惑いにとらわれるのは当然のことなのだ。だが、その危険な時期を乗り切ってしまえば、森鴎外の「じいさん、ばあさん」に描かれているような晩年の浄福が訪れる。男と女は、本来、対になって生きるように作られているのである。