甘口辛口

最近の「ひととき」欄から

2009/8/6(木) 午後 1:17

<最近の「ひととき」欄から>


私の楽しみは、朝日新聞の「ひととき」欄を読むことである。新聞を開いてここまで来ると、私の理想とする「やまと言葉」で書かれた情感豊かな文章に接することが出来るからだ。最近読んだものでは、「セミの脱皮」というのと、「<殿様>には、ささいな嘘も」というのが面白かった。

「セミの脱皮」は、次のような書き出しで始まっている。

  夏になると、庭のあちこ
  ちでセミの抜け殻を見かけ
  るが、今まで脱皮するとこ
  ろを見たことがない。

こういうさり気ないところから始めるのが、女性の文章の特徴なのだ。この女性は、セミの脱皮は早朝に行われるものと思っていたのである。同居している娘の夫もそういっていたからだ。ところが、先日、娘が、「セミが脱皮しているよ」と知らせに来たのは、夕方の6時頃だった。娘について外に出てみると、庭の青木の葉に脱皮中のセミがとまっている。

  体の両側にある緑色を帯び
  た5_ぼどの白いものは、
  羽らしい。糸のように細い
  脚が時々動いている。

娘がお隣にも見せてあげようと、その場を離れているあいだに、脱皮は更に進行する。セミは脚を殻にかけて体を曲げ、すぽっと殻から抜け出たのだ。
  
  近所の人や通りがかりの
  人が 7、8人、集まってき
  た。見ているうちに、白く
  透き通っていたセミの羽は
  すっかり伸び、茶色っぽい
  色が付いてきた。

娘は肝心の脱皮の瞬間を見られなかったけれども、とにかくわくわくするような瞬間だった。この文章は、「セミの脱皮にくぎ付けにされた1時間だった」という言葉で終わっている。

思わず目を見張ったのは、文末に記されている作者の年齢だった。

   塚本 富美子
     無職 94歳

94歳といえば、私よりも10歳年長である。私は到底その年までは生きられそうもないが、もし生きていたとしても、とてもこんなみずみずしい文章を書くことはできない。

何故この人は、老いることを知らないような若さを保っていられるのだろう。

周囲に対して何時までも好奇の目をみはり、その日その日を新鮮な気持ちで生きているからではあるまいか。自分の生きている世界に対する尽きせぬ興味が、彼女のいのちを活性化しているのである。新しい発見によって世界が深みと広がりを増せば、その分、人は豊になり若返るのだ。


「<殿様>には、ささいな嘘も・・・」は、駄々っ子のような夫と暮らす古賀和代という62歳の主婦の手記である。この人は、こう書き出している。

   バスルームから夫が呼ぶ
  声がしました。
   「バスタオル」
   体から湯を滴らせている
  彼のそばに掛かっているの
  に、自分では取らないので
  す。内心で嘆息して手渡そ
  うとすると、ぬぐってくれ
  と背中を向けました。

この夫は、直ぐそばの電話が鳴っていても、自分では受話器を取らないのである。妻がリビングで電話が鳴っているので仕事をやめて駆けつけると、夫はリビングに寝転がってテレビを見ている。電話の子機は夫が手を伸ばせば届く位置にあるのだ。

時々帰省してくる娘は、あたかも殿様にかしずくように夫の世話をする母を見て、「とうさんのしっけを間違ったわね」と揶揄する。そして、着替えは一人でするべきよ、牛乳を飲みたいなら自分で冷蔵庫から出すべきじゃないの、と、夫を甘やかす母に注意する。

すると、夫は娘に当てつけるように、わざと妻にまとわりついて見せるのである。そして、娘に威張ってこういう。

 「おれたちはラブラブだから、お母さんは喜んでおれの世話をしてくれているんだ」

娘は父親に反撃する。

 「うぬぼれている」 

夫は言い張るのである。

「おれたちは、来世でも人生のパートナーになる約束をしているんだ」 

娘は母親に確かめる。

「お母さん、本当?」

ここまで読んでくると、この家の状況がハッキリと浮かんでくる。父・母・娘の三人がまるで高校生同士のように全く対等な関係にあるのだ。父親は娘に対して、職場の仲間にのろけるように妻との関係を自慢し、娘は父の言うことを級友の自慢話を一蹴するように問題にしない。そのうちに父と娘の間で、母が来世の約束をしたかどうかで論争になり、母はどちらかに軍配を上げなければならなくなる。

   私はうなずきます。夫婦
  2人の生活です。平穏に暮
  らすにはささいなうそも必
  要です。

妻は夫を愛していないわけではないが、この駄々っ子のような相手と死後も連れ添うことには躊躇を感じている。そういう自らの感情を隠すためにも、妻は夫と娘に嘘を言わなければならなかったのだ。

父・母・娘三人の中では、母親が一番成熟しているという感じがある。こんなふうな話を読ませてもらえるから、「ひととき」から目が離せないのだ。