甘口辛口

芸能人の悲劇

2009/8/8(土) 午後 3:47

<芸能人の悲劇>


タレントの飯島愛が孤独死した記憶がまだ新たなうちに、今度は往年の人気女優大原麗子が孤独死をした。飯島愛は死後一週間で発見されたが、大原麗子の場合は二週間後で、発見されたときには遺体がすでに腐敗しかけていたという。

大原の死を伝えるワイドショウを見ていて印象的だったのは、彼女の庭の雑草が軒を越えるほどに伸びている写真だった。いくら放っておいたとしても、草があんなに高く茂るものだろうかという疑問も浮かんだが、とにかくそれは異様な光景だった。

一体、彼女の身に何が起きていたのだろうか。生い茂る雑草のために足を踏み出すことが出来ないほど庭を放置していたとは、どう考えても尋常ではない。

私は民放の歌番組を見たことがないし、テレビドラマもほとんど見ていない。従って、芸能人の世界については門外漢といってもいい程だが、飯島愛と大原麗子には共通した特徴があるような気がするのだ。二人とも、デビュー以前にはかなりの「不良少女」だったらしいのである。それも、知的で、ソフィスティケートされた不良少女である。不良少女には、いかにも頭の悪そうな泥臭いタイプもあれば、世俗に対する反発から不良になった知的なタイプもあるのである。

どうも「ソフィスティケートされた不良少女」が、芸能界にはいると、姉御タイプになる傾向があるようだ。飯島愛は、後輩や場慣れしていない新人の面倒をよく見ていたそうだし、大原麗子も共演する後輩に声をかけ、たえず励ましていたといわれる。だから、二人とも、仲間内での評判は極めてよかったらしい。

業界では嫌われ者だったタレントが家族に囲まれ安らかに死んで行くのに、後輩から慕われ、同輩の間でも一目置かれていた二人が、揃って孤独死をするというのはいかにも不思議である。そこには、ウチヅラとソトヅラという問題もあるかも知れない。業界の仲間には面倒見のいい姉御タイプとして通っていても、肉親に対しては冷たいところがあったかもしれないのだ。飯島愛は、肉親と断絶状態にあったらしいし、大原麗子も芸能界から引退後、一度は母を引き取って同居しながら、結局、母を老人ホームに預けてしまっている。

だが、二人が孤独死したのには、もっと別の理由があるように思われる。

大原麗子は、昔の仲間が電話すると、「遊びに来てね」というようなことを言っていたらしい。そこで訪ねて行くと、彼女は相手と会うことを断ったという。こうしたことが続けば、いくら大原を姉のように慕っていた後輩も、大原家訪問には二の足を踏むようになる。飯島愛の場合も、おそらく同じようなことがあったにちがいないのである。

大原も飯島も、引退する頃には芸能界の仲間にうんざりしていたのだ。表面では、互いに、「お疲れさま」とか、「ごきげんよう」とかいって親しそうにしている。だが、彼女らは、みなライバルなのである。腹の中に、敵意や嫉妬を隠し持った上での親密さなのだ。

それに、知的な面で頭一つ抜け出ている彼女らは、ミーハーのレベルに留まっている仲間に内心うんざりしていたのだ。先方から電話をして来れば、親しげに応対するが、それは習慣的な反応に過ぎず、直接会って話をする気はないのである。では、不良時代の仲間はどうかといえば、彼女らも芸能界の仲間と同じように愚かしく、やはりまともな対話は成立しない。それに、芸能界という特殊世界に身を投じてしまえば、心の通じ合える隣人がいても先方が敬遠して近づいてこないのだ。

飯島愛・大原麗子の悲劇は、タレントという人気商売に忙殺されて、独りになったときに自分を充足させてくれる教養を吸収するひまがなかったことだった。二人は、肉親との関係、仲間との関係を断ち切って独りになったものの、独居状態で何をしたらいいか分からなかったのである。鬱々としているうちに、二人は本格的なうつ病になり、外出することも、庭に出ることもなくなったのだ。

しかし、飯島・大原の悲劇は自ら求めた悲劇であり、覚悟の上の悲劇だった。だから、孤独死しても別に悔いるところはないにちがいない。本当の悲劇は、酒井法子の場合なのである。

酒井法子については全くといっていいほど知らない。テレビが映し出す彼女の映像を見て、「人形型の美少女だな」と感心しながら、いや、彼女も今では30代後半のおばさんになっている筈だったと思い返す程度の知識しか持っていない。

こういう清純で真面目そうなタレントが、正体不明の怪しげな男に引っかかるのはなぜだろうか。彼女の夫は自称プロサーファーで、麻薬吸引の常習者らしいのである。真相は不明だが、酒井法子は夫に誘われて夫婦一緒に覚醒剤を使用するようになったと思われる。

ミーハー型アイドルが惹かれる男性には、二つのタイプがある。一つは羽振りの良さそうな自称青年実業家で、もう一つはあまり売れていないアーティストや芸人だ。これらの男たちは、最初から相手にぶら下がって生きる魂胆の寄食者だから、外見に騙されて結婚でもすると大変な目にあうのである。

部外者の目からすれば、彼ら芸能人たちの生き方と来たら、まるで地雷原を歩くように危険なものに見えるのだ。