甘口辛口

坂口安吾の謎(その1)

2009/9/20(日) 午後 7:09

 (初秋の畑)    

<安吾の謎>


久しぶりに坂口安吾全集を取り出して、少しずつ読み進めている。今回読了したのは、次の三作品だった。私は坂口安吾のファンなのだが、彼の薬物依存とファルス(笑劇)系作品の二つは、どうも安吾に相応しくないと引っかかっているのだ。

「精神病覚え書」
「わが精神の周囲」
「小さな山羊の記録」

坂口安吾は、昭和23、24年頃、年齢で言えば42、3歳頃に精神に異常を来して東大病院の精神科に入院している。だが、安吾が鬱病に取り付かれ、狂気を思わせる行動に出たのは、この時が最初なのではない。夏目漱石は生涯に三度、重篤な鬱状態になったとされるけれども、安吾も死ぬまでに三度の鬱状態に陥っているのである。

安吾自身の語るところによれば、最初の鬱症状は21歳の頃、神経衰弱という形で出現したという。この時に彼は耳が聞こえなくなり、筋肉が弛緩して野球のボールを10メートルとは投げられなくなった。彼は苦心惨憺、自力で鬱から脱出したと語っている。

<この発病の原因がハッキリ記憶にない。たぶん、睡眠不足であったと思う。私は人間は四時間ねむればタクサンだという流説を信仰して、夜の十時にねむり、朝の二時に起きた。これを一年つづけているうちに、病気になったようである。自動車にはねられて、頭にヒビができたような出来事もあったが、さのみ神経にも病まなかった。

・・・神経衰弱になってからは、むやみに妄想が起って、どうすることも出来ない。妄想さえ起らなければよいのであるから、なんでもよいから、解決のできる課題に没入すれば良いと思った。私は第一に数学を選んでやってみたが、師匠がなくては、本だけ読んでも、手の施しようがない。簡単に師匠について出来るのは語学であるから、フランス語、ラテン語、サンスクリット等々、大いに手広くやりだした。

・・・この方法を用いて、私はついに病気を征服することに成功した。

二十一の経験によって、神経衰弱の原因は睡眠不足にありと自ら断定して以来、もっ
ぱら熟睡につとめ、午睡をむさぼることを日課としたから、自然に病気を封じることが出来たのかも知れなかった(「わが精神の周囲})>

彼は、実際一日に4時間しか眠らず、食事と入浴の時間を除いて、あとは一日中本を読んでいた。当時の友人たちの談話によれば、その頃の安吾は精神的な威厳に溢れ、仲間のすべてに高貴な求道者という印象を与えていたという。

安吾はヨガ行者のような猛烈な修行をつづける傍ら、アテネ・フランセに通ってフランス語をマスターし、そこで知り合った仲間と同人雑誌を出して、創作に手を染め始める。そして、牧野信一に認められて、新進作家としてデビューすることになるのである。

彼は最初の精神的危機をたっぷり睡眠をとることによって克服したことを以後の指針とするようになる。三度目の鬱状態に陥った42才の時にも、彼はこの方法で鬱を乗り切ろうとして睡眠薬を使用するようになった。当時、彼は「火」という三千枚の大作に取りかかった頃で、これを仕上げるためにも十分に睡眠をとり、頭をクリアにしておく必要があったのだった。

安吾が使用したアドルムという睡眠薬は極めて強力で、十錠が致死量とされていた。だから、一錠飲めば眠ることが出来たが、彼は次第にこれを乱用するようになった。アドルム一錠で確かに眠ることが出来るが、しばらくすると目が覚めてしまうので、さらに一錠を追加する。こうしたことを続けているうちに薬に対する耐性が出来て、彼は致死量のアドルムをを服用出来るようになった。

だが、大量の睡眠薬を服用すれば、目覚めた後に薬による酩酊状態が残り、思うように頭が働かない。そこで、今度は覚醒剤のヒロポンを飲むようになった。ヒロポンで自身を覚醒させて原稿を書き、その後で眠ろうとしても寝付けない。そこで、睡眠薬の量を増やすことになり、こうして安吾は3時間ほど眠るためにアドルム20錠を常用するようになった。そしてついには日に4、50錠のアドルムを服用するようになるのである。

こうなれば、幻聴や幻像が頻繁に現れて正気を保つことが出来なくなる。安吾の妻、坂口三千代は、著書「クラクラ日記」に安吾狂乱の実情を精細に書いている。三千代によると、当局の取り締まりが厳しくなり、ヒロポンが手に入りにくくなると、安吾はセドリンを代わりに飲むようになった。

<代りに用いていたものは、喘息の薬のセドリソと云う覚醒剤であった。朝から少量ずつ飲んで昼も少量飲み、それが蓄積されてやっと夕刻頃効いてくると云う薬だった。疲れて休息したい神経をむりやりたたきおこす薬で、二日でも三日でも徹夜に耐えうる神経にするための薬だ。そう云う薬で無理無態に仕事をしようとしていた。

・・・睡眠薬と覚醒剤を交互に常用しているうちに、その性能が全く本来の姿とは異り、まるでアベコベに作用するようになっていた。すなわち睡眠剤を飲めば狂気にちかくなり、覚醒剤を飲んでモーローとするようになっていた(「クラクラ日記」)>

「クラクラ日記」から、安吾の狂態を引用してみる。

<もう大分以前から彼は人に逢いたがらなかったのだが、私も彼を人に逢わせたくなかった。あさましい位、彼の外貌は変り果ててゆき、人の言葉をまともに聞くことはなくなった。すべては陰謀としか思えないらしく、私がそのあやまりを正すと悪鬼の如く、いかりたけると云うふうになり、当時の女中さんのしいちゃんは私の手下で、私としいちゃんとはしじゅぅ陰謀をはかり奸計をめぐらしていると云うふうにとるようになった。私が彼に出来ることは、彼の云いなりになると云うこと以外には何もない。>

<読まれない新聞が、彼の枕元にうず高くつまれ、ふと気がついて、彼がその新聞をとりあげ、片目をつぶり、日付を見て、こんなはずはないと云い出す。誰々が来て、それから三十分ほどねむっただけなのに、あれからもう一週間もたっていると云う法はないと云い出すのだった。新聞の日付迄、私や女中が按配すると思い込んだりした。>

<彼はいかり狂ってあばれまわり始めると、必ずマッパダカになった。寒中の寒、二月の寒空にけっして寒いとも思わぬらしかった。皮膚も知覚を失ってしまうものらしい。それで恥しいとも思わぬらしいのだが、私は恥しかった。女中さんの手前もあるし、私は褌(ふんどし)を持って追いかけていく。重心のとれないフラフラと揺れる体に褌をつけさせるのは容易ではなかった。

身につける一切のものはまぎらわしく汚らわしくうるさいと思うらしかった。折角骨をおってつけさせてもすぐにまた取りさって一糸纏わぬ全裸で仁王さまのように突っ立ち、何かわめきながら階段の上から家財道具をたたきおとす。階段の半分位、家財道具でうずまる。>

いつか酒に酔って深夜の公園で全裸になったタレントがいたけれども、睡眠剤を大量に摂取するとアルコールで酩酊したときと同じ状態になり、やたらに裸になりたがるらしいのだ。

当時、坂口安吾夫妻は二階に間借りして、階下に家主夫妻が暮らしていたのだが、安吾は何時ものように全裸になり、階下に降りていって、いきなり風呂場の戸を開けたことがあった。たまたま入浴中だった家主の奥さんはびっくり仰天して、裸のまま庭に逃げ出すという事件を起こしている。

坂口安吾に限らず、作家には睡眠薬に依存するケースが多い。芥川龍之介は薬を常用していたし、最も悲惨な例は有馬頼義だった。彼は社会派推理作家として松本清張と並ぶ存在だったが、睡眠薬の使用量が日を追って増えるため心配した家族が有馬の現れそうな薬局に出向いて睡眠薬を売ってくれるなと頼んで歩いたという。有馬はガス自殺を企て、最後に脳溢血で亡くなっている。睡眠薬を常用している作家に、自殺者の多いことは注目されてよい。

さて、坂口安吾の薬物依存とファルス創作には関係があるのだろうか。

(つづく)