甘口辛口

私は昔、独身主義者だった

2010/4/6(火) 午後 10:01

私は昔、独身主義者だった


NHKは、「無縁死」についてテレビ番組を組み、それが評判になったので、この問題の拡大増補版というべき、「無縁社会の衝撃」という番組をもう一本作っている。私はこの両方の番組を興味深く見た。これは人ごとではないと感じたからだ。

なぜ人ごとではないと思ったかといえば、私はかつて独身主義者であり、もしかすると自分もまた「生涯未婚者」として無縁死したかも知れないと思ったからだ。私は33歳の時に結婚したが、結婚したくて結婚したのではなかった。私が衷心から望んでいたのは、独居の自由だったのである。結婚して係累を増やし、子を生んで負担を加え、一家を構えることで近隣と永続的な関係に入る、こんなことは真っ平ごめんだった。

だが、長い病気でずっと実家の世話になり、三十を過ぎても未だ親・兄弟に扶養されている人間にとっては、養子に来てくれという奇特な申し出が舞い込んで来れば、それを受けて結婚するしかなかったのである。あの頃の私には、そんな方法で家族の負担を減らすことが、自分の義務だと思われたのだ。

実際、私の運命を分けたのは、20の年に結核に感染したことだった。では、病気になることがなく、独身主義を貫いていたとしたらどうなっていたろうか。

世と相容れない偏屈者の私は、世俗と悪戦苦闘したあげく野垂れ死にをすることになるかもしれないし、偏屈であると同時に小心者でもある私は適当に世と妥協して、よぼよぼの退職教員になって、安アパートで孤独死することになるかも知れなかった。とにかく、テレビの番組上に次々に現れる哀れな独居老人たちは、すべて「あり得べき私」の肖像画に他ならなかったのだ。私は、現実の自分とは違った生き方をするもう一人の自分の運命を確認するために、この二つの番組を見たのである。

テレビに登場した老人たちの中で印象に残ったのは、老人ホームで暮らしているという元銀行員で、彼は離婚して孤独の身になったのだが、今も二人の子供のことを忘れたことはないという。

「これが私の宝物ですよ」といって、彼がポケットから取り出してインタビュアーに見せたのは、キーホルダーだった。「これは、息子が修学旅行のお土産に買ってきてくれたんです」

彼は、また両親の遺骨を納めてあるというロッカー式共同納骨堂の内部で、銚子に旅行した時に見た老夫婦の話を始めた。その夫婦は座って尺八を吹いていたというのだ。

「それを見て、私も年を取ったらあの夫婦のように・・・・」

あの夫婦のように妻と仲良く暮らしたいと思っていた、と言いかけて、後は言葉にならなかった。彼は泣きそうになるのを、必死でこらえていた。

印象に残るもう一人は、周囲から「男勝り」といわれて何十年も看護婦をしていた老女だった。彼女は、自分の働きで母親を養い、母の死後は手頃なマンションを購入して一人で暮らしている。このままではあまりに寂しいので、死んだら皆と同じところに葬られたいと共同ロッカー式の墓所を予約してあるという。彼女も、未婚で終わる自分の生涯を思うと、涙が出てくると語っていた。

食べるものにも事欠いて、野垂れ死にするようにして死んでいった独居老人たちは、過去を振り返って涙するような余裕はない。だが、一応、安定した老後を迎えることが出来た老人たちは、揃って過去を省みて涙を流している。思い出すと泣かざるを得なくなるほど独居老人の生活は悲哀に充ちているのである。

私は結婚して救われたと思っている人間の一人だが、「生涯未婚」という生き方がそれほどマイナスだとは思っていない。

若い頃に「赤毛のアン」の解説を読んでいたら、北欧には生涯未婚の男女が28パーセントほどいると書いてあって驚いたことがある。当時の日本人の未婚率は一桁台だったから、あちらはその3倍以上もの未婚者がいるのだ。しかし、驚くことはないのだ、20年後の日本では生涯未婚者が男で3人に1人、女で4人に1人になっているというから、日本は、生涯未婚率でいずれ北欧を抜くことになるのである。

自分が健康に恵まれ、ずっと独身を通していたらどうなっていたろう、と考えることがある。私は教員稼業を50歳で打ち止めにして、早期退職するだろう。その頃になれば、早期退職をしても自分一人の糊口を養うだけの年金が下りる筈だからだ。退職したら、住み古した市営住宅に籠もり読書中心の日々に入る。アパートは狭いので、今のようにやたらに本を買い込むわけにはいかない。そこで、市営図書館にも通って、そこの本を読む。図書館の閲覧室が、第二のわが家になるのである。

本を読むのに飽きたら、スケッチブックを持って写生に出かける。長いこと絵を描かなかったら、碌な作品にはならないだろうが、本を読み、スケッチをしていたら、死ぬまでの時間を何とか持たせることが出来るにちがいない。

思い切って、過疎地、それも限界集落といわれるようなところに引っ越して、百姓仕事をしながら晴耕雨読の日々を送るという方法もあるし、運転免許を取ってクルマを買い、そのクルマを中で寝られるように改装して、日本中を旅して歩くというのも面白いかもしれない。

――無縁死関連のテレビ番組を見たことで、もう一人の自分の人生を仮想上で生きることが出来たのは収穫だった。