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水木しげるの怠け人生(その4)

2010/4/28(水) 午後 9:10

水木しげるの怠け人生(その4)


夏目漱石と森鴎外、二人のうち、どちらがアウトサイダーだったろうか。漱石は、もう少しで東京帝国大学の教授になるところだったのに、朝日新聞社の嘱託か何かになってしまったし、政府が文学博士に推挙してくれた時にも、即座に謝絶している。

これに反して鴎外は、すでに医学博士という肩書きを持っていたにもかかわらず、政府が彼を文学博士に推挙すると、有り難くその称号を受け取っている。こういうところを見ると、漱石がアウトサイダーで、鴎外はインサイダーだったという気がしてくる。が、アウトサイダーだったのは、実は鴎外の方だったのである。

漱石は、高浜虚子と散歩していて、「貴方は、どんな人間になりたいか」と問われたとき、「完全な人間になりたい」と答えた。彼は世の俗物を嫌悪し、しょっちゅう癇癪玉を破裂させていたから、一見、アウトサイダーのように見える。だが、アウトサイダーが、「完全な人間になりたい」などと考えるだろうか。彼は、インサイダーだったから、将来、世に裨益する人間になろうと考えていたのだ。

鴎外は、文学者としては、位(くらい)人臣を極めている。中野重治に言わせれば、彼は源実朝以来、文学者として最高の地位まで昇進した男だった。だが、鴎外にとって生きることは業苦に他ならなかった。だから、彼は、つい、「自分は生まれてこない方が良かった」とつぶやいてしまうのだ。

彼が軍医総監になり、医学博士、文学博士になったのは、卑俗な世間から自分の身を守るためだった。だが、そのためには同僚の小池正直らと出世を競わねばならなかったし、作家としては、権力に反感を持つ在野の作家たちから集中攻撃を受けなければならなかった。

だから、アウトサイダーとして生きて行くためには、鴎外は、まず、習俗と対峙して屈しない実力を持ち、それを人々に見せつけなければならなかった。

ドイツ留学を終えて帰国し、小倉に左遷されるまでの鴎外は、逍鴎論争や医事論争で連戦連勝して、その実力を見せつけている。坪内逍遙が苦心惨憺一ヶ月かかって論文を書き雑誌に載せると、鴎外は一読してその日のうちに反駁の原稿を書き上げ、雑誌社に届けるという神速ぶりだった。ほかにも、彼は自ら医学雑誌を発行して、それを舞台に旧派の医学者たちを完膚無きまでに叩き伏せている。

アウトサイダーは、最初鋭い論法で旧勢力を攻撃したり、習俗にとらわれない奇矯な振る舞いで人を驚かしているが、暫くすると方向転換を試みるようになる。「戦闘的啓蒙の時代」に、群がる敵を片っ端から切り伏せていた鴎外も、左遷先の小倉から戻ってきた時には、人が変わったようになっていた。母親の峰子などは、「林太郎は生まれ変わって帰ってきた」と驚いたほどだった。

アウトサイダーとは、世俗の外に出ることであり、「世間離れ」することだから、いずれは自分独自のモラルや生活様式を構築しなければならなくなる。だが、自己に固執し、アイデンティティーを求めることを焦ると、周囲との摩擦が激しくなって行き詰まってしまう。かくて彼らは、「世間離れ」に続いて自分に執着することを止め、「自分離れ」を計るようになる。アウトサイダーは、「世間離れ」から出発して、やがて「自分離れ」へと、カーブを切るのだ。

小倉に赴任する前の鴎外は、家族からも恐れられていた。彼が帰宅すると、家族全員が緊張してぴりぴりしていたものだった。その鴎外が、幼い息子を連れて散歩にでると、「何でもない景色を楽しむようにならないといけない」といって坂の途中で下駄を脱ぎ、その上に腰を下ろして眼下の街を何時までも眺めるようになるのである。

実際、家族にとって生まれ変わって帰ってきた鴎外は、底知れない魅力を備えた家長であった。長女の茉莉は学校で神についての説明を聞いたときに、自然に父の顔を思い浮かべたという。茉莉だけでなく、家族のすべてにとって鴎外は、この世ならぬ人になったのである。

「世間離れ」によって習俗を切り離し、「自分離れ」によってエゴイズムを切り離した後には、人間の祖型、純人間のようなものが残る。

ひるがえっって、水木しげるについて考えてみると、彼はたっぷり寝ること、食欲が旺盛であることなどで、最初から小学校ではアウトサイダーだった。毎日、二時間目から登校するような子供が、小学生仲間に受け入れられる筈はない。小学校を卒業したが、彼を受け入れてくれる上級学校がなかったから、水木はティーンエイジャーの時期を半分働き、半分ぶらぶらしているというような過ごし方をして、徴兵年齢を迎える。

軍隊に入るまでアウトサイダーとして生きてきた水木は、戦場に駆り出されても、やはりアウトサイダーとして生きるしかなかった。彼は年季の入ったアウトサイダーだったから、「世間離れ」の段階を早くに済ませ、「自分離れ」の段階に入っていた。そして、祖型人間、純人間の境地を深めつつあったのである。

水木しげるが、ニューギニアの原住民にあれほど愛されたのも、彼に日本人としての臭みがなく、人類普遍の祖型のようなものを身に体していたからだと思われる。

井上嘉浩などオウム真理教の信者は、「世間離れ」を敢行したことによって世俗的欲求を芯にして組み立てられた生活システムやモラルを捨ててしまった。だから、替わりに別の生活システムとモラルを作り上げなければならなかった。本来なら、世俗的欲求を捨てた後には、自我意識が残るので、これを礎石にして自己流の世界観を構築するのだが、オウムの信者たちは麻原の教説を取り込んでしまったから、ああした犯罪を犯すことになったのだ。

本当は、そんなに慌てる必要はないのだ。世俗的欲求を捨て去った後、急いで自己流のモラルを作らなくても、自然に生まれてくるものがあるのである。水木しげるの場合、たっぷり寝て楽しく食べることを続けているうちに、自ずと内部に人類普遍の生活スタイルやモラルが生まれてきていたのである。