甘口辛口

無頼派の女流マンガ家

2010/4/30(金) 午後 1:53

無頼派の女流マンガ家


新聞のテレビ欄に、「こころの遺伝子」というタイトルが出ている。(何だか変なタイトルだな、どういう意味だろう)と、前から首をひねっていたけれども、西原理恵子が出演すると説明にあったので、録画しておくことにした。私は西原理恵子という女性について全く知らなかったが、彼女がマンガ家だと知って録画する気になったのである。

それを昨日、再生して視聴したら、思わず彼女の話に吸い込まれてしまった。西原理恵子なる女性は、地獄の火をくぐり抜けてきたようなマンガ家だったのだ。録画を見終わってから、インターネットで調べてみたら、彼女は「知識人」の間でも人気の高い「超」のつくほど有名なマンガ家らしいので、もう一度驚いた。

――生い立ちから、悲惨だった。

西原理恵子は、これまでに数知れない修羅場を踏んできている。3歳の時に父を失っているが、その父はアルコール依存症で死んだのだった。彼女が6歳になったとき、母が再婚して家に義父が入ってきた。この義父はギャンブル狂で、有り金を持ち出してはバクチに使っていた。しまいには、幼い理恵子の貯金帳まで持ち出してギャンブルに注ぎ込むようになった。そして、挙げ句の果てに首をつって自殺をしている。

母は義父の死亡保険金を受け取ると、「これで自分の人生を切り開きなさい」と、理恵子に100万円を渡してくれた。母は、打ち続く悪縁から娘を切り離してやろうと思ったのである。理恵子はそれを持って上京し、私立の美術学校に入学する。

理恵子はマンガ家を志して奮闘した。だが、なかなか芽が出なかった。そのうちに、ギャンブルをテーマにしたマンガの注文が来たので、それについて調べているうちに彼女自身ギャンブルにはまって足が抜けなくなった。理恵子はギャンブルのために年に500万円前後を使うようになっていたから、10年間の失費を総計すると5000万円ほどになる。母がせっかく娘を悪縁から解き放ってくれたのに、理恵子は自分から悪縁を呼び寄せてしまったのである。

だが、彼女をギャンブルから引き離してくれる男性が現れる。

取材のため、ミャンマーに出かけた時、現地語の通訳として彼女の前に現れた鴨志田穣が、理恵子の目を覚まさせてくれたのだ。理恵子は鴨志田を連れて、ギャンブルの賭場に出かけた。そこで大金を失っても平気でいる彼女を見せてやろうと思ったのだ。が、案に相違して、鴨志田は、つまらなそうな顔をして一向に驚いてくれない。そればかりか、彼は、「ギャンブルって、そんなに面白いの? もっと面白いものを見せてやろうか」といって、理恵子をゴミの集積場に連れて行き、そこで金目のものをあさる子供たちを見せてくれたのだ。

子供たちは、ゴミ山を這いずり回りながら、みんな生き生きとして、その目はどれも笑っている。その光景に接して理恵子は、一つの悟りを得るのである。

「どん底でこそ、笑え」

悲惨な過去を抱えて、陰鬱になるという路線以外に、それ故に過去を笑い飛ばすという路線もある。過去を忘れるためにギャンブルに走る代わりに、笑うことで過去を乗り越えるのだ。笑いには、人生を転換させる力があるのである。

ギャンブル癖を精算した西原理恵子は、32歳で鴨志田穣と結婚し、二児をもうける。が、鴨志田との結婚生活は地獄だった。鴨志田もアルコール依存症の父を持ち、その負の遺産を引きずって、自らもアルコール依存症になっている男だったのである。

酒に酔って、怒鳴ったり暴れたりする鴨志田から逃げ回りながらも、理恵子は屈することなく夫と戦い続けた。そしてその一部始終をマンガに描いた。私小説ならぬ私マンガである。彼女はテレビ番組の中で、夫との戦いをこう語っている。

「逃げ回って、逃げ回って、最後に追い出してやりました」

彼女は夫と激しいバトルを演じながら、酒浸りの夫を自分の力で立ち直らせようと7年間の結婚生活を送るのだが、自力に頼ったのは間違いだったと反省している。アルコール依存症は病気なのだから、専門医の診察を受けて「病気治療」というコースを選択しなければならなかったのだ。

家を追い出された鴨志田は、各地を放浪しながら酒を飲み続け、吐血しては病院に担ぎ込まれるという生活を繰り返していた。やがて、彼はこれでは駄目だと、自分から医療機関に入り、アルコールと縁を切って妻子のもとに戻ってくる。理恵子も二人の子供も、彼を温かく迎え入れた。だが、腎臓ガンに犯されていた鴨志田は半年後に42歳で亡くなってしまうのだ。

夫妻は残された最後の半年を、「子供たちのために、最後まで笑って過ごそう」と誓い合っている。理恵子も鴨志田も、両親が罵り合う凄絶な場面を見て育ってきた。だから、負の連鎖を断ち切るためにも、両親が争う場面を子供たちに見せてはならないと思ったのだった。

――番組が終わりに近づくと、西原理恵子は静かに涙を流し、司会の西田敏行もハンカチで目をぬぐっていた。

番組を見終わってから、インターネットで西原理恵子の項を調べたら、彼女は「無頼派」の一人に数えられていた。無頼派という言葉で、思い出したことがあった。理恵子の服のことだった。

テレビの西原理恵子は、淡々と語っており、表情にも所作にも落ち着きがあったが、そのうちにオヤと思ったのだ。秋・冬用の少し厚手のワンピースを着ているのはいいとしても、その下にはブラジャーも下着もつけていないらしいのだ。胸元からは豊かな乳房が覗いているし、足も「生足」なのである。

私が知っているもう一人の無頼派の女流作家に、中村うさぎがいる。彼女もテレビに大胆な服装で出演していたような記憶がある。

男でも、女でもそうだが、無頼派と呼ばれる作家たちは、実生活が特別に荒くれているのではなくて、自身の日常をあけすけに書くことから、そのようなレッテルを貼られているのである。例えば、川端康成などは無頼派そのものといった生き方をしていたらしいけれども、彼はそれを「告白」しなかったから、世間的には潔癖な良心的作家として通っている。

西原理恵子は、子供の頃から、「きれいごとが嫌いだった」という。彼女は自分の過去や欠点を最初から公開して、早く楽になりたがる性格だったのである。だから、テレビに出る時にも、きちんとスーツを着る代わりに、普段自分の部屋にいるときの楽で無防備な格好で登場するのである。

そういえば、インターネットに紹介されている彼女のマンガを見たら、ラフでぞんざいに描かれていた。理恵子は連載その他で月に40本ものマンガを描いているというが、この書き方なら自分を酷使することなく注文をこなして行けるだろう。

私はストイックな作家を愛する一方で、こういう「きれいごとを嫌う」無頼派の作家にも惹かれている。そのうちに、彼女の本を手に入れて、読んでみるつもりでいる。