甘口辛口

大逆事件から100年(その2)

2010/8/27(金) 午後 7:30

大逆事件から100年(その2)

その頃の宮下太吉は、酒も飲まないし、バクチもしない、女を買うこともないという模範的な男だった。その上に機械工としての腕もよかったから、官営明科製材所では職工長の地位に昇格し、かなりいい給与を貰っていた。

しかし、家庭的には不幸だった。

宮下は、愛知県の亀崎鉄工所に勤めていた頃に知り合った間瀬さくという女と所帯を持ち、幸せに暮らしていたが、この間瀬さくが社会主義をひどく嫌い、夫婦げんかが絶えないようになったのだ。宮下は、この頃には社会主義者として警察からマークされ、警官の監視下に置かれていたのだった。警官は、彼の留守を狙って家にやってきて、無学なさくを相手に、宮下の思想がいかに危険なものか、こんこんと言い聞かせた。そして、その後で、家宅捜査をして行った。

神崎清の「革命伝説(3巻目)」には、こうある。

<この間瀬さくは、当時四十五歳。三十六歳の宮下にくら
べて、九つも年上で、娼妓あがりの無知な女だが、宮下に
とっては、苦労の末に手に入れた大切な恋女房であった。
夫婦仲がよかったのに、亀崎鉄工所につとめていたころ、
宮下の留守中、警察におどかされてから、急に社会主義を
きらいだした。宮下あての郵便物を勝手に溝にすてたこと
がわかって、激怒した宮下にぶたれたりけられたりしたこ
とがあった>

無知なさくは、「法律をくぐるようなわるい人では、さきの見込みがない」と思いこんで、別れ話をもちだすだけでなく、たびたび家を飛び出して姿を消してしまった。そのたびに宮下は、女を捜し出して家に連れ戻さなければならなかった。

間瀬さくは、ヒステリーの発作に襲われて暴れ回ることも多く、自分でもそれを鎮めようとして、日蓮宗の信者仲間には加わったりしていた。宮下が腕を買われて、官営明科製材所に転勤することになったときも、かたくなに夫との同行をこばみ、豊橋で奉公口をみつけて、女中に住みこんでしまった。

宮下は明科に移ってからも、さくを翻意させようとして、豊橋まで出向いて説得に努めたが、効果はなかった。かくて傷心の宮下太吉は、部下の女房に手を出すことになってしまう。

宮下太吉は、部下の清水太市郎とは、相手がまだ独身の頃から親しくしていた。清水太市郎は、旅役者あがりで口の上手な男だった。彼は、職工長と仲良くしておけば損はないと考え、宮下の意を迎えることに汲々としていたから、下宿住まいの宮下は銭湯の帰りに清水の家に立ち寄って涼んでいったり、休日には本を持って清水の家に出かけ、そこを自分の書斎代わりにして勉強して帰ってくるようになった。宮下の下宿と、清水の家とは、目と鼻の近さにあったのである。

やがて、清水は小沢玉江という下諏訪警察署の巡査の娘と結婚した。宮下は清水が結婚してからも、相変わらず清水の家を足繁く訪ねていた。

五月一日、工場の定休日に宮下が、例の通り清水の家に立ち寄った。すると、清水の姿が見えない。それで、「清水はどこへいったのか」と、尋ねると玉江が不満そうに口をとがらせて、

「今日は深志公園の開園日でしょ。清水が私を松本に連れて行ってくれると言うから、たのしみにしていたのに、清水は私をほったらかして一人で出かけてしまったのよ」

女房の存在を無視して、茶屋女や芸者と関係を持ち、女出入りの絶えない清水に不満を持っていた玉江は、男らしくて実入りの多い宮下に惹かれていた。宮下と玉江が関係するようになったのは、玉江の側から、それとなく誘いの水を向けたからだといわれている。

宮下は、五月一日の『日記』に、「非常ナル日」と書き込んでいる。その後の日記に、AとかBという文字が頻繁に現れるようになる。「A」は、壁間の性行為、「B」は、夜間の性行為を意味する暗号だった。職工長の宮下は、定刻の午後6時には帰宅するが、残業の多い清水の帰宅は午後9時になる。宮下と玉江が情を交わすチャンスはいくらでもあったのである。

部下の妻と結ばれてから、宮下は清水の顔をまともに見られないようになった。宮下は自分のやましい気持ちを解消させるには、人には言えない秘密を清水に打ち明け、自分の弱味を相手と共有する関係になるしかないと思った。それで、彼は清水と玉江の前で、「君たちのように無知な人間には分かるまいが」と前置きして明治天皇暗殺の計画を打ち明け、隠し持っていた爆弾用のブリキの筒と火薬の原料を夫婦に預けた。

神崎清の「革命伝説」には、別の話が記載されているので、それを紹介する。

<二十日の夜、清水の家をおとずれた宮下は、部屋にはい
ると、高いところにかけてある皇族閑院宮殿下の写真を見
あげて、「君たちは、こんなものをありがたがっているか
らいかん、天子という人は神様同様に思っているが、それ
は迷信だから、人がそういうように思っている迷信をとく
ために、天子が神様でないということをおれがわからせて
やる」とどなりつけるようにいって、清水夫婦をおどろか
した>

宮下太吉は知らないでいたが、警察では彼が愛知県の亀崎から長野県の明科に移ってきた段階から、宮下を社会主義者としてマークし、水も漏らさない警戒網を敷いていたのである。例えば、宮下がいる下宿屋には、警察官の姉が下宿人として入居していて、宮下が出勤後に彼が誰と文通しているかすべて調べ上げていた。

宮下に頼まれてブリキの筒を作った新田融という部下も、清水太市郎も、明科駐在所に駐在する小野寺巡査に宮下に関する情報を流しているスパイだった。だから、清水は小野寺巡査に報告する材料をもっと得ようとして、

「どういう方法で分からせるのか」

と質問して、11月の天長節の日に爆弾を投げつけるという計画を聞き出し、更に、

「お前さんが一人でやるのか」

と尋ねると、宮下はすらすらと、全部話してしまった。

「管野スガと、新村忠雄と、自分の三人でやる。管野スガは女だから、見張り役だよ」

この時期は、管野スガや新村が、爆弾の実験を早くするように宮下太吉に催促していた頃だから、長野県屋代町に実家のある新村忠雄は何度も宮下の下宿を訪問している。時には、宮下の部屋に泊まり込んでの催促になったが、宮下は小沢玉江との情事や、人妻と不倫関係を続けることの罪悪感について語るばかりで、さっぱり要領を得ない。

新村は、「人妻と肉体関係を持ったとしても、大事の前の小事だ。そんなことでくよくよするなよ」と励まして、東京に戻り、管野スガに一切を報告した。

「宮下は、女の問題で、すっかり弛んでしまっています。おまけに、奴は秘密を女の旦那に打ち明け、爆弾や火薬を男に預けているようだ」

管野は、宮下が秘密をばらしてしまったと聞いてぞっとした。虫が知らせたのか動悸が止まらなかったと第一回予審調書のなかで語っている。

新村が、「この清水という男は壮士俳優上がりで、とても軽薄らしい人間だ」とつけくわえたので、管野の怒りは火に油を注いだようになった。

「親愛な幸徳先生にさえ秘密にしていることを、そんな男に秘密の品を預けたのですか」

新村も管野の激しい言葉を聞いて、

「なるほどそうでした。」

と、はじめて心配そうな顔になった。

(つづく)