甘口辛口

父親の女児虐待(その4)

2010/10/8(金) 午後 6:41

   (円空仏 NHK日曜美術館)

父親の女児虐待(その4)


<トミーの居場所>

さて、トミーはいったいどうしてこんな男になってしまったのだろうか。

考えられることは、彼が子供の頃から自分を取り巻く社会と相性が悪かったということだ。彼は、周りの世界と水があわないと感じながら生きて来たのである。だが、生きて行くには、他者との関係を持たずにはいられないということになれば、母親にすがりついていくしかなかった。母親は自分にくっついて離れないトミーに愛情を注いだが、だからといって末っ子の彼を特別扱いしたわけではなかった。

母親は、夫が怠け者だったから、結婚後、次第に横暴な女家長へと変貌したのだった。彼女は家計を補うために、四人の幼い子供たちを足下にまとわりつかせながら、自宅で近所の洗濯物を引き受けていた。雨が降ろうと風が吹こうが、木靴を履いて裏庭に立ち、タライのなかの他人の洗濯物を洗い続けたのだ。洗濯が終わると、火力の弱い貧弱な石炭ストープを燃やして、洗濯物を根気強く乾かした。彼女の日常は、こんな具合だったから、粗暴な母親にならざるをえなかったのだ。。

「四人の幼い子供たちをおとなしくさせるために、手をあげ、大声でどなりつけ、悪態をついた。酒場にいりびたりの夫を、店から引きずりだした。一ペニーも無駄にせず、子供たちが空腹で死なないように、じやがいもやマーガリンや紅茶を買った(「復讐の家」)」

母はトミーに荒々しい言葉を投げつけて折檻したが、トミーはどんな扱いをうけても耐えて行くしかなかった。彼は結婚して妻を迎えたとき、唯一知っている母との人間関係をモデルにして、夫婦関係を構築した。ただし、今度はトミーを支配者にした人間関係だった。彼は、初夜の寝室で早くも妻を殴り倒している。

二人の子供が生まれると、トミーは子供らも暴力支配の輪の中に取り込んだ。社会という水が彼に合わなかったので、自分の生きる水を家庭の中に作り出したのである。トミーが絶対的な独裁者になるためには、妻と二人の娘を社会から切り離し、彼に依存して生きるしかない無力な存在にする必要があった。

前に記したように、トミーは妻子が隣人やクラスメートとつきあうことを禁じた。それだけでは足りずに、彼は家族が知恵をつけて自立することを恐れて、外から入ってくる情報を遮断しようとした。彼は家族が女性誌を購読することを許さなかったし、家の中に本を持ち込ませなかった。そして、彼は威圧的に宣言した。

「お前たちが知らなければならないことは、みんなこのオレが教えてやる」

しかし、彼は三人の女たちに囲まれていないと不安だった。トミーは、女たち三人がそろって外出することを禁じ、そうしなければならない時には、誰か一人を家に残し、彼のそばにいるいることを命じている。

こうして妻子を外の世界から切り離したが、トミーは彼女らの内面まで監視することは出来なかった。その不安から、トミーは長女のジューンに日記を書かせることにしたのだ。ジューンは、父の目を意識して、父を喜ばせるような日記を書かなければならなかった。

1977年6月15日の日記は、こんなふうに書かれている。

「今日は私の誕生日・・・・これ以上望むことがないくらい私は幸せだ」

癌で入院した妻が、病院からトミーにラブレターを書いているのも、トミーに命じられたからだった。家族全員が幸せに暮らしているのも、トミーのおかげだと感謝する内容のラブレターだった。トミーは、万が一、自分が人々から非難される立場になったときに、ジューンの日記や妻の手紙を公開する積もりだったのである。

――それにしても、ジューンとヒルダは、なぜ家を出て行かなかったのだろうか。著者によれば、少女期に肉親に犯された女性は、自立する年齢になると仕事を見つけて家を出て行くという。行く当てのない娘たちは、あえて家を出てホームレスの生活を選ぶと書いている。では、ジューンとヒルダが、父に犯されながら20数年間も家に留まっていた理由は何だろうか。著者が言うようにトミーに脅迫されていたのだろうか。

確かに、ヒルダはノートにこう書いているのである。

「父さんはやるといったことはやる人です……この家で起こっていることをだれかに知られたら、わたしたち全員が死ぬことになるでしょう。もしだれかに知られたらあの人は刑務所に行くことになるかもしれませんが、あの人はまるで人が変わったようにおとなしくして、きちんと刑期を終えて出てくる。そして、わたしたちがどこへ逃げようと一生かかってでも探しだして、皆殺しにするのです」

娘たちに父親に対する恐怖があったことは疑いないけれども、彼女らが家出をしなかったのは、母と娘たちが同じ被害を受けていたからではなかろうか。家族の中で性的な被害を受けているのが一人だけだと、その娘は恥の意識に打ちのめされ、家族に事実を訴えることが出来ず、家を飛び出してしまう。だが、家族全員が被害者になっているのなら、そのことを恥じる必要はない。連帯感から互いを支え合って生きるようになるのである。

それにしても20数年間は長すぎた。

三人のなかで性格的に弱かったヒルダは30代の半ばになると、はっきり狂気の兆候を示し始めた。朝、目が覚めても起きることが出来なくなり、ジューンがベットから下ろしてやらなければならなくなった。髪をとかそうにも、腕が頭より上に上がらなくなり、、髪を洗うのがとてつもない大仕事に感じられ、そのことを考えただけで涙がこぼれた。彼女は精神病院で4回の電気ショックをうけている。母親も、癌になり難聴になっていた。

もう、限界だった。

その日の午後八時三十分ごろ、ジューンは、父親の大きな黒い瞳がかっと見ひらかれたまま、かすかにゆれているのに気づいた。呼吸も不規則になり、顔色が青くなっている。トミーは脳卒中による後遺症がある上に、テンカンの持病を持っていたから、突発的な発作に襲われ意識を失ったのだった。

キッチンからは水の流れる音が聞こえていた。母親が耳の聞こえない沈黙の世界のなかで、流しで皿でも洗っているのである。

ジューンは、椅子から立ちあがって父親の横に立ち、母親のベットを借りて横になっていた妹を呼んだ。

「ヒルダ」

妹はベットから身を起こし、父親の体を挟んで、ジューンの反対側に立った。そして呪詛するように呟いた。何時も姉を頼りにしていたおとなしいヒルダが、ジューンをリードし始めていた。

「ジューン、わたし、こんな生活耐えられない。二人で何とかしなくっちゃ。この人を撃たなければならないわ」

「でも、ヒルダ、わたし、こわい」

と言いながらも、ジューンは二階にある散弾銃を取りに行った。そして、戻ってくると、銃口を父親の胸にぴったり押し当てて引き金を引いた。難聴の母親も銃声を耳にして姿を現し、キッチンの戸口で凍り付いたように立ちすくんだ。

ヒルダが、変に落ち着いた口調で言った。

「万一と言うことがあるから、もう一度、撃った方がいいわ」
「でも、わたしは、もう出来ない」

ヒルダは、姉に向かってさとすように言った。

「この人は、いつも死にたいと言っていたじゃないの。死ぬのが望みだったのよ。苦しませちゃ、かわいそうだわ」

散弾銃の使い方を知っているのは、ジューンだけだった。彼女は弾丸をこめ、父親の体越しに銃をヒルダに手渡した。ヒルダは、ジューンの撃ったところから1センチと離れていない胸板に銃弾を撃ち込んだ。

――ジューンとヒルダは、裁判の結果、情状を斟酌されて、執行猶予2年の判決を受けて釈放されている。姉妹はその後、母と三人で穏やかに暮らしているというのだが・・・・