甘口辛口

ネズミと暮らしていた頃(その1)

2010/10/25(月) 午後 1:50

 (ルッソー「牛のいる風景」)

ネズミと暮らしていた頃


今年の猛暑がもたらしたものに、ヤブ蚊の急増という現象がある。畑の草を鎌で刈り取っていると、草むらの中に潜んでいた蚊が次々に襲ってくるのだ。こんなことは、今までになかったことである。急増したのはヤブ蚊ばかりではなかった。ネズミも又、急に家の中を跳梁するようになったのだ。

9月中旬の晴れた日のことだった。

二階の自室でパソコンに向かっていると、ドーナツを包んだ紙が風に煽られて、カサコソと音を立てはじめた。ドーナツは、二つ並べて配置してある机の、隣の机に置いてある。

カサコソという音が、いつまでも続くので不審に思って隣の机を見ると、ひどくちっぽけなネズミが紙の隙間に首を突っ込んでドーナツを食べているのだった。ネズミは、白昼、私が手を伸ばせば届くところまで接近して来て、平気でエサを漁っているのである。生まれて間もないネズミらしいから、まだ人間への警戒心を持っていないようだった。

これ以来、ちょいちょい小ネズミを見かけるようになった。真っ昼間、部屋のあちこちに出没するネズミを見ていると、精米屋の物置に間借りしていた独身時代が思い出された。その物置には、おびただしいネズミが棲み着いていたのである。

そのネズミだらけの物置を借りられるように周旋してくれたのは、Kという友人だった。級友のKと私は、東京郊外と都心を結ぶ同じ路線の電車で通学していたから、しょっちゅう顔を合わせていたが、特に親しいというわけではなかった。そのKに「どこかに部屋を貸してくれるような農家はないかな」と相談を持ちかけたのは、私が中高併設の私立学園に就職することが決まったときだった。
 
Kの家は、畑や田んぼがうち続く村部にあり、K自身の家もかなり大きな農家だったから、彼なら貧乏教員に部屋を貸してくれそうな農家を知っているかも知れないと思ったのだ。時代は敗戦から3年たったばかりで、新卒の学校教師には、高い敷金を払ってアパートを借りるような余裕がなかったのである。

すると、Kは心当たりがないではないといって、近所に隠居所を持っている精米屋があり、その隠居所は今空き家になっているから、貸してくれるかも知れないと教えてくれた。

「それは、ありがたい。オレは、卒業したら今の下宿を出ることになっているんだよ」と打ち明けると、Kはこともなげに、「だったら、オレんとこに来いよ。精米屋の方も、隠居所を貸すということになれば、あちこち手入れする必要が出てきて、すぐに入居という訳にはいかないよ。だから、うちに来て待機していればいい」というのである。

願ってもない話だったから、私は下宿をしていた知人の家を引き払って、早速、Kの部屋に移った。そして一ヶ月近くも、Kの部屋で暮らすことになったのだ。彼と同居しているうちに、裕福な農家の長男で、おっとり育てられてきたと思っていたKが、私などの及びも付かない行動的な人物であることが分かってきた。

Kの家は、立派な構えで部屋数も多かったのに、彼は母屋から離れた倉庫の突端に中二階形式の小部屋を取り付けて、そこで寝起きしていた。部屋の骨組みだけを大工に頼み、後は全部自分で作ったということで、外から見るとその部屋は宙に浮いた鳩小屋という感じだった。この部屋に入るには、まず、ハシゴを使って床の真ん中にあけられた四角な穴をくぐり抜けなければならない。そして部屋に入ったら、風呂に蓋をするように、その四角な穴を板でふさぎ、下から吹き込む風を防ぐのである。部屋は六畳の広さで、そこに机と椅子に本箱を持ち込んでいるから、室内はいよいよ狭くなる。そんなところに、Kと私は毎晩枕を並べて寝ることになったのだ。

Kがそんなにまでして家族から自分を隔離すべく努力しているのは、両親や弟妹とは異なる自己のアイデンティティーを確保するためだった。この一ヶ月間、彼は私と政治論議、思想論議を戦わせながら、自分の恋物語について話してくれた。彼が叔母の家に行って、部屋に一人でいたら、従妹が走り込んできてKを押し倒すようにして接吻したというのだ。

「おとなしい奴でね、そんなことをする娘には見えなかったんだが」と彼はため息をついたが、私からすれば温和な彼がそんな恋をしていたとは想像すらしていなかったのである。

精米屋の主人との交渉でも、Kは実務能力を発揮した。

Kは、私が彼の部屋に転がり込むと直ぐに私を引っ張って精米屋を訪ね、隠居所を貸してくれるように交渉をはじめた。だが、主人の反応はよくなかった。主人には、隠居所について何か計画があるようだった。私は直感的に、この話は見込みがないなと感じて、帰途についたときに、「よそを探した方がよさそうだな」と言ったが、Kは、「いや、何とかなるよ」と泰然自若としている。そして、暫くすると、また、精米屋を一緒に訪ねることを提案する。

気乗りがしなかったが、Kの後について精米屋に行くと、彼は隠居所の話をしないで主人と世間話ばかりしている。そして、一時間あまりすると、何の成果もないままに、あっさりと引き上げる。こんなことを繰り返しているうちに一ヶ月が過ぎ、頑なだった精米屋の主人が、隠居所はお貸しできないが物置でよければタダで貸してあげると言い出したのである。

私は勘定高そうな主人の表情を見て、これはダメだなと簡単に諦めてしまった。だが、Kの方は私を精米屋に連れて行って、私という人間を相手に馴染ませれば、主人も情に絡まれて態度を変えてくるはずだと読んでいたのである。

雨露をしのげればどんなところでもいいと思っていたが、タダで貸してくれるという物置の中に入ったときには、少なからず驚いた。まわりを土蔵のように土壁で厳重に塗り固め、入り口にも重い板戸が付いているけれども、内部には使われなくなった精米機器やら道具類がゴタゴタ押し込んであり、しかも足下には床板がなくてコンクリートの土間になっているから階下で寝起きするわけにはいかない。

二階に上がろうにも階段がなく、Kの部屋と同じで四角な穴が天井に開いているだけだった。ここでもまたハシゴを使ってこの穴から二階に上がるしかない。二階は文字通りの屋根裏になっていて、立って歩くことが出来るのは棟の下だけで端の方に行くと背中を丸めなければならなかった。その二階にも道具類が収納されていて、居住空間は窓際の四畳ほどしかないのだ。精米屋の主人は、そこに古畳四枚を敷いて、夜に寝られるようにしてくれていた。

今なら、誰でも「こんなところで暮らせというのか」と怒り出すようなところだったが、その頃の住宅事情ではあまり不平は言えなかったのだ、まして、主人はタダで貸してくれるというのだから。こうして、私の二年に及ぶネズミとの共同生活が始まったのである。

(つづく)