甘口辛口

三島由紀夫 VS.司馬遼太郎(その1)

2010/12/5(日) 午後 2:47

(出撃前の記念写真−左端が森田必勝:「新潮45」より)

三島由紀夫 VS.司馬遼太郎

「新潮45」の十二月号に「憂国の士」三島由紀夫に関する特集記事が載っているというので、書店から買ってきた。

まず、ページを繰って行くと、もう一つ特集が掲載されていた。「問題は尖閣諸島だけではない!」と銘打った特集で、三本の記事が並んでいる。

  * 中国に狙われる国境の島々

  * 池袋が中国人に乗っ取られる

  * ロシアにもなめられ、北方領土を失う日本

毎度のことながら、右派の皆さんは、「日本が侵略される」とか、「日本が乗っ取られる」とか、被害妄想のタワごとを叫んでいれば、「愛国者」として認められると思っている。確かに、中国などのやっていることは傍若無人で、悪ガキの行動を思わせる。しかし、どこの国も、みんな「悪ガキ時代」を経過して、分別を備えた大人の国家になってきたのだ。かつての日本も、世界中から憎まれる悪ガキ国家だったが、敗戦という高価な代償を払って、ようやく分別を備えた「オトナ国家」になったのである。

「悪ガキ国家」が生まれるのは、国家が近代化して急速に国力をつけて行くときだ。教育が普及して、国民の知的レベルは上昇し始めるけれども、まだ十分ではないという段階で国家も国民もガキ化する。

為政者は、ためにするところがあって国民の優越感をくすぐるようなデマゴギーを振りまく。すると、人のいい国民は、「自分たちは世界に冠たるアーリア民族だ」とか、「万世一系の天皇をいただく神国だ」というような過信に簡単にとりつかれてしまう。そして、周辺諸国を蔑視するようになり、つまり、悪ガキ的国民になるのである。

恐ろしいのは、独裁者(あるいは支配的グループ)が、悪ガキ的国民をコントロールするようになったときだ。彼らは、理性的なグループを徹底的に弾圧して、国民を夜郎自大の独善主義者に仕立て上げる。そして、幻想にとりつかれた国民を、侵略戦争へと駆りたてるのだ。

「悪ガキ国民」の優越感情は、本当の自信に基づくものではなく、背後に劣等感を隠した優越感だから、他国民から非難されると、すぐにいきり立つ。尖閣諸島問題で中国の民衆が反日デモを展開したのも、元航空幕僚長田母神俊雄の指導下にある日本人グループが日の丸の旗を振りかざして中国大使館に押しかけたからだった。

田母神俊雄は愛国者を気取っているけれども、彼の言うこと為すことは、闘牛用の牛の前で赤い布を振り回すようなことなのである。田母神や櫻井よしこは、いたずらに「悪ガキ国家」を刺激するようなことばかりしていて、日本の国益を大きく損なっている。相手国民が暴発しても、冷静な態度を失わないことこそが、愛国的な行為ではなかろうか。

さて、悪ガキ的国民の話は他日に譲り、三島由紀夫の件に移りたい。

三島由紀夫は、学生時代に日本浪漫派の洗礼を受けて神格天皇を拝跪するようになった。そして、おのれを無にして従者として生きることのなかに、自虐的な喜びを感じるようになる。戦後に新進作家としてデビューした彼は、実存主義・マルクス主義の盛行する文壇にあって、自らの特異性を際立たせる戦術としてホモを自称するようになった。

子供時代に一家の権力者だった祖母に鍾愛された三島は、ひ弱な自分を守ってくれる強者を絶えず求め続けていたのだ。彼はボディービルで体を鍛え、エッセーなどで男性たる自身を誇示しながら、男同士でセックスするときには、女役を選んだといわれる。これは、同年の吉行淳之介が男娼を買うときには男役を演じ、大腸菌をプレゼントされたのとだいぶ違っている。

「新潮45」の三島由紀夫特集には、自衛隊市ヶ谷駐屯地の本部バルコニーで行った三島の「最後の演説」が採録されている。これは文化放送報道部が収録した音源を基礎にして活字化したものだそうで、これを読んでやっと演説の全体を知ることが出来た。

三島は、演説中に、随所で聴衆の静粛を求めている。

「静聴せい、静聴せい」

「静聴せいといったらわからんのか、静聴せい」

「おまえら聞けぇ、聞けぇ、・・・・話を聞けっ!
男一匹が、命をかけて諸君に訴えているんだぞ、
いいか、いいか」

彼の演説の中心部分は、次の部分にあった。

「・・・・しかるにだ、去年の10月の21日だ。何が起こったか。去年の10
月21日に何が起こったか。去年の10月21日にはだ、新宿で、反戦デーのデモが
行われて、これが完全に警察力で制圧されたんだ。俺はあれを見た日に、
これはいかんぞ、これで憲法が改正されないと慨嘆したんだ。

なぜか。それを言おう。なぜか。それはだ、自民党というものはだ、
自民党というものは、つねに警察権力によっていかなるデモも鎮圧でき
るという自信を持ったからだ。

治安出動はいらなくなったんだ。治安出動はいらなくなったんだ。治
安出動がいらなくなったのが、すでに憲法改正が不可能になったんだ。
わかるか、この理屈が。

諸君は、去年の10・21からあと、諸君は去年の10・21からあとだ、も
はや憲法を守る軍隊になってしまったんだよ。自衛隊が四年間、血と涙
で待った憲法改正ってものの機会はないんだよ。もうそれは政治的プロ
グラムから外されたんだ。ついに外されたんだ、それは。どうしてそれ
に気がついてくれなかったんだ」

三島は、反戦デモが激化したら、それをチャンスに自衛隊を出動させ、憲法改正を実現しようと考えていたのだ。だが、それが実現できなかった。それで、これから自分たちは国会に押しかけてクーデターを起こそうと思う。だから、自衛隊員も自分たちと一緒に大挙して国会に押しかけ、武力を背景にして憲法改正を通過させようではないかと、訴えたのだった。

三島の演説に対して呼応する自衛隊員はいなかった。そればかりか、隊員は三島に罵声を浴びせかける。三島は苛立って叫ぶ。

「諸君の中に、l人でも俺といっしょに起つ奴はいないのか。
一人もいないんだな。よし! 武というものはだ、刀というものは何だ。
自分の使命と心に対して…それでも武士か! それでも武士か!

諸君は憲法改正のために起ち上らないと、見極めがついた。これで、
俺の自衛隊に対する夢はなくなったんだ。

それではここで、俺は、天皇陛下万歳を叫ぷ」

三島は、総監室に戻って、「楯の会」の会員森田必勝の介錯のもとに切腹する。三島と森田は愛人関係にあり、二人は出陣の前に愛を交わし、三島の体内には森田の精液が残っていたといわれる。

「新潮45」の三島由紀夫特集記事で、一番おもしろかったのは、「三島由紀夫と司馬遼太郎 <二つの日本>をめぐる闘い」という文章だった。この標題の脇につけられたキャプションは、こうなっている。

「巷間知られていないが、三島が自決を遂げたとき、これにもっとも激しい批判を展開したのが、司馬遼太郎その人だった」

問題の司馬遼太郎による批判は、毎日新聞に掲載されたもので、書き出しは次のようになっていた。

「三島氏のさんたんたる死に接し、そ
れがあまりになまなましいために、じ
つをいうと、こういう文章を書く気が
おこらない。ただ、この死に接して精
神異常者が異常を発し、かれの死の薄
よごれた模倣をするのではないかとい
うことをおそれ、ただそれだけの理由
のために書く」

(つづく)