甘口辛口

孤立から低所志向へ(その4)

2010/12/19(日) 午後 7:25

 (ミレー「薪を取る女たち」)

孤立から低所志向へ(その4)


「低所志向」について語ると、必ず二つの方向から反撃を浴びせられる。一つは世の成功者からのもので、彼らは低所志向など無能な人間の負け惜しみに過ぎないと腹の中では冷笑している。が、彼らは利口だから、そういう軽侮の気持ちを公の席上で口に出すことはない。彼らだけの席で、相手を笑いものにするだけだ。

もう一つは、出世できないでいる出世主義者たちの反応で、彼らは、「アンチ出世主義者」に対して憎悪に近い攻撃を浴びせかける。彼らは出世できないでいるか、せいぜい係長程度のポストを得ているだけだが、気分的には成功者になっていて、その疑似成功者の立場から嘲笑するのである。

低所志向の教祖である老子は、周囲の侮蔑にさらされる弟子たちをこういって励ますのである。

「下士は道を聞けば、大いに笑う。笑われざれば以て道となすに足らざるなり」

愚かな人間に笑われるようなものでなければ、本当の真理とはいえないというのだ。だが人間は視野が拡がってくれば、自ずと低所志向者になるものなのである。

前にも記したように、私は戦争末期に未来を展望することで安らかな気持ちになり、戦場での犬死にを受け入れる覚悟が出来た。未来を展望するケースには、遠視的展望と近視的展望の二つがある。遠視的展望の方は、一国の将来・人類の未来を見通すものであって、この立場からすると個人はその他大勢の中に組み入れられ、国民・人類とともに低所に置かれる。

近視的展望は、私的展望を意味している。これは誰もが胸に抱いているもので、上昇志向にとりつかれているから、低所を目指すことはほとんどない。

時間軸を先へ延ばして、遠視的な見方を強化すればするほど、自分は微小な存在になる。カメラの絞りを強くすれば、個々の人間の像がどんどん小さくなって行くようなものだ。同様に空間的な視野を広げて行けば行くほど、自分は微小なものになる。

これは知的空間の拡大の場合にも当てはまる。小さな専門分野のなかに閉じこもっていれば、「斯界の泰斗」として孤高を守り得るけれども、広い世界に踏み出して行けば、彼はその他大勢の一人になり、群衆の中に埋没してしまう。

──さて、私は三十代四十代を通して、老子を読んでいたが、次第に老子をエネルギー論の観点から解釈するようになった。老子は、上昇志向の人間について、彼らはエネルギーを一点に集中させすぎるから、バランスを失っ転落するのだといっている。急いで出世しようとして嶮路を登ることをやめ、平坦な大道、つまり普通人が生きている常の道を行けば、エネルギーを浪費することなく、何時かは目的地に達することが出来るというのだ。

私は、エネルギー論の観点で老子を読むようになってから、長い間引きずってきた「光」体験に関する疑問も、このエネルギー論で解けるかもしれないと感じるようになったのだった。

だが、突発的に私を包んだ「光」は物理的な光ではなく、内的な光だったし、それがなぜ無上の歓喜や愛の感情と結びつくのか見当がつかなかったから、ずるずると解決を先に延ばしていた。何しろ、あの不思議な現象は論理で追求することも出来なかったし、科学的な実験で確かめることもできない個人の心の中での出来事だった。これを説明する理論は、あたかも手品師が空中からバラを取り出すように──無から有をつかみ出すようにしなければならないのだ。

大げさな言い方をすれば、私のやろうとしていることは理論物理学者の試みていることと同じだった。彼らは、見ることも触れることも出来ない原子の構造を、サイクロトロンを使って知り得た物質のふるまいだけを頼りに把握しようとする。

彼らは最後には鉛筆と紙を持ってベットに横たわり、次々に原子のモデルを考案する。現象の一切を一挙に説明できるようなモデルを考案できたら、それが正しいモデルなのだ。

しかし、私は始めなければならなかった。せめて、自分一人だけでも納得できる理屈をひねり出さなければならなかった。私は以前から、自分はあまり長生きはしない、六十歳まで持つだろうかと思っていたが、この時、すでに五十歳になっていたのだった。

私は夜も昼も考え続けた。学校でも授業を済ませて図書館の隅にある個室に戻ると、早速続きを考え始める。授業をしていた時の気持のたかぶりは、坐っているうちに少しずつ覚めて行く。遠くの校舎のざわめきも、授業がはじまると静かになり、室内には水道の蛇口からもれる水の滴る音しかしなくなる。蛇口の水栓は故障していて、水がたえずもれているのである。

あたりが静かになると、私は自分がこれからはじめる思念の前触れのようなものがやって来るのを感じる。畑に行って草むしりをはじめる時にやってくるものと同じものがやってくるのだ。寄せてくる潮の穂先のように、これまで思案して来たことを背後に従えて、透明な気配のようなものが先導役になってやってくる。

毎日、その思念の前触れを迎え入れ、それに運ばれて思考空間に赴き、連日、同じ作業を続けていると、自然に「山中暦日なし」という言葉が浮んで来る。その作業とは、自分の作りあげたものから脱却してそれを足下に落し、それを眺めながら新しい思考の断片を作って行く作業であった。

はじめは何処にも手がかりがなかった。手がかりがなければ、自分でそれを作るしかない。古い言葉に新しい意味を盛りこみ、自分で「定位」「逆転層」などの新しい用語を作り、仮定したり、それがうまく行かないと仮定をひっこめて元の地点に戻ったり、苦心惨憺して思考を進めて行った。今迄、一度も生きたことのない虚空で、全力を振って斗っているという感じがあった。徒手空拳で未踏の空間に押し入り、何もないところから何かを生み出し、それを足場にして更に高く進み、自分を空中に固定させる試みである。

昨日考えてうまく行ったと思ったことも、今日になれば生色を失っている。今日考えたことも、明日になれば「死に体」となるのである。泉が湧くように毎日新しい考えが浮んでくるが、本当に満足できるものは一つもない。

生物学のホメオスタシスという概念を導入したためにモデル形成が急に進んだことがある。世界はたえざる自己更新の過程にある。この自己運動を、ホメオスタシスという用語で説明すると、それ迄にぶつかっていた難問が解消するように思われた。私は気負いたって毎日ホメオスタシス概念の拡充に専念する。しかし、十日ほどすると、それ迄に考えたことのすべてが虚妄に過ぎなかったことが判明するのである。

考えていたものを消したり、また新たに描き直したりしているうちに、私は小さな室内が、自分の思念の残す光痕のようなもので一杯になるような気がした。

やがて、相互に消去し合う思考の中から、消えない部分が残るようになった。それらは私の思考の各所に、位置を変えない前提・判断としてとどまり続け、その後の思考の核となって行った。それは水面のあちこちに氷結した部分があらわれ、氷盤が次第に水面の全体を覆うようになるのに似ていた。そうなると、思考は半ば自動的に進行しはじめるのである。

自分の思考が次第に形をなしていくにつれて、何時の間にかそれを距離を置いて傍観するようになっていた。自分が作つたものを前に置き、私自身は遙か後景に退いて、特別に眺めるという意識もなくそれを眺めているのだ。この対象を眺める「私」が、これまでに知っている私とは類を異にしているのである。

「非自己」といったらいいような自己なのだ。それは日常的自我のような輸廊をそなえていない。エゴという中心点もない。それは私のうしろにひそんでいる別種の自己で、彼の職務は、ただ凝然とものを黙視することだけだという感じなのである。すべてを明らかに見て取りながら、自分の見たものによっては微塵も動かされない、玲瓏玉のごときもの、透徹して辺際を知らないもの。自分自身の所得といえるものは何も持たず、自らを虚にして万象をそこに存在せしめるもの。

それから何日かして、ある日私は古い自我の底が抜け落ち、自分がその下にあるもうlつの底に着いたという感覚に襲われた。覚醒の状態の中で、そう感じたのだ。そこは蒼古の昔から万人の心の底に横たわっているのに、未だかつて誰も足を踏み入れたことのない場所であった。そこには千万年の沈黙が降り積り、深閑として声がない。私達の意識の底深くに、宇宙と始原を同じくする内宮があり、その奥に玄室があり、その中に誰も見る者もないのにすべてを映し出している「古鏡」がある。

私はこの時、自己の本体を見たという気がした。この「古鏡」こそが、本当の自分だと感じたのだ。

実際、覚醒の世界、万有現成の世界は劫初から続いて来たかのような確実性、永遠性を持っている。自己の源底には、ゆるがぬ恒常世界があるのだ。「竹影階を払って塵動かず」という禅語は、ゆれ動く竹の影を意識の動きにたとえ、表面意識の動きによっては微動だにしない意識下の世界を石の階にたとえている。覚醒の世界は事実、盤石のように堅固な実在感をそなえているのである。

「わが心深き底あり喜びも
      憂の波もとどかじと思ふ」

という西田幾多郎の短歌も、人間的喜怒哀楽を越えて、その下に拡がる不変の世界があることを示している。

自我の底が抜け落ち、その下方にある真の自己の源底に達したという「落盤感覚」はその後も何度か体感するようになった。そして私は「古鏡」の映し出しているのが「世界」にほかならないことに気づいたのである。

(つづく)