甘口辛口

小林秀雄と志ん生

2011/2/18(金) 午後 2:59

小林秀雄と志ん生


前回、「小林秀雄の語り口」という題でブログをアップしたら、これが発表されるときにこの記事に関連した過去のブログが三本、参考資料として一緒に並んでいた。これを読むと、2008年にすでに小林秀雄の語り口が志ん生のそれに似ていることを、三名ものブロガーが指摘しているのである。

そのうちの一つは、小林が志ん生を愛しており、講演の際に志ん生風の感じを出すために人知れず志ん生の口跡を真似ていたというエピソードまで紹介していた。

それだけではなかった。今日、包装紙を破いて小林秀雄講演集の二巻目を開けてみたら、その付録の冊子に、「小林先生と志ん生」という短い文章が載っていた。筆者は小林の講演会を企画した小田村寅二郎という人だった。氏は小林秀雄講演集の見本カセットが届けられたとき、それを夫人と一緒に聞いたのだが、聞き終わった後で夫人がこういったというのだ。

 「いま伺った小林先生のお話は、大変平易なお言葉で、しかも、“間をおいて“
 お話なされるので、私のやうな者でもつい惹き入れられて伺つてしまひました。
 聞き終へてふと考へますと、おや、先生のお話のなさり方は、亡くなつた古今
 亭志ん生(落語家)に似てゐる、と思はれましたよ。」
 
小林の講演を聞いて、聴衆の多くが志ん生を思い出したのは、彼がひそかに志ん生の口跡を写す練習をしていたからかもしれない。そうだとしたら、彼は、「歴史を知るとは・・・・(古人)の手振り口ぶりから彼らの心をわが内面によみがえらせ、彼らと一体になることだ」という持論を成功裡に実践したことになる。

小林秀雄は、敬愛する作家や画家にのめり込み、相手に惚れ抜けば、自分もその延長線上で何かを生み出したくなるとも言っている。彼は志ん生に惚れ抜いて、その口ぶりを真似ることで志ん生と一体化し、その延長線上で独特の講演スタイルを生んだのかもしれない。