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悲観論者の行く末は

2011/8/16(火) 午後 1:37
悲観論者の行く末は

立花隆の「百年後へのメッセージ」というテレビ番組を見た(NHKBSプレミアム)。この番組のなかで、立花隆は次代に残す貴重なメッセージをいくつか語っていたが、特に印象的だったのは、悲観論者は悲観していたとおりの未来を迎えることになるという予言だった。

立花隆も若い頃は、未来に対して暗いイメージを抱いていたと告白しながら、破滅的な未来像を描いているものは、結局は自らの予言通り破滅すると語るのである。

彼は、この反対のケースは米国人だという。米国は幾たびか危難に遭いながら、国民は未来を楽観することをやめず、最後には危機を乗り切って明るい未来を作り出して来ているという。

日本が敗戦の憂き目にあったのも、米国とは反対に軍部が終末論にとりつかれた為だった。人口過剰で資源に乏しい日本は、大陸に進出するしか生きる道はないと思いこんで、日本人は日中戦争を皮切りに、負けると分かり切っている対米戦争に乗り出して、予想通りに敗北を喫したのだった。

確かに日本は人口過剰で資源が乏しかったが、教育が普及していたから、石橋湛山がいうように、「小国主義」に徹して産業を近代化し、通商に力を注げば、明るい未来を構築できたのである。

皇道派の青年将校らも、悲観論者の悲劇を味わっている。戦中派の人間は、5・15事件とか2・26事件など、青年将校が引き起こした陰惨なテロ事件の記憶を今もなお残している。一君万民の一国社会主義国家を夢見た彼らは、天皇側近の「重臣」たちが日本を破滅に導きつつあるという危機感にとらわれ、暗い悲観論のなかで生きていた。

この危機を乗り切るにはどうしたらいいか。

青年将校らは、短絡的に、重臣らを一掃するしかないと考えてしまった。そして政界の大物を次々に暗殺していったのだが、その結果、彼らは神と仰いでいた昭和天皇を怒らせ、天皇を敵対する重臣側に追いやってしまったのだ。将校らが殺害した要人たちは、天皇にとって「朕が信頼する股肱」だったのである。

テレビで立花隆へのインタビューを見たあと、同じNHKプレミアムで放映されたケネディーの評伝を視聴した。ケネディーは大統領に在任中に、キューバ危機、ベルリン危機を始め、一歩誤まれば戦争になりかねないような危険な状況に何度も立たされている。その度に、ペンタゴンはドミノ理論を盾に大統領に圧力を加えてきたが、ケネディーは宥和主義の立場を守り抜いたのだ。

国防省は、ベトナムの共産主義化はインドシナ半島全域の共産化に発展するだけでなく、日本も共産主義国家になると強調して国民の危機感をあおり、ケネディーに本格的な出兵を強要した。当時、日本が共産主義化する可能性などゼロに近かったが、国防省は半分真面目にそうした暗い悲観論にとりつかれていたのだった。

キューバ危機の際にニクソンが大統領だったら、アメリカはソ連攻撃に踏み切って第三次世界大戦が始まったかもしれない。ケネディーがダラスで暗殺されて、ジョンソンが大統領になったために、米国はベトナムに本格的に出兵することになった。こう見てくると、一国の指導者を誰にするかは重大な問題であり、被害妄想にとらわれたタカ派に国政を委ねることほど危険なことはないのである。

立花隆は、次世代国民が解決すべき最も大きな課題をあげている。その課題とは、尖端科学を追究する学者層と、問題を専門家に任せて知的停滞に陥っている一般市民の間の距離を縮めることなのである。両者の間の距離が開けば、科学者の独走が始まり、国民は自分たちが何処に運ばれていくか分からなくなるのだ。

一般市民の知的レベルの引き上げ――今や、これが政治的な面でも、喫緊の問題になっているのである。