甘口辛口

菅直人は、なぜ嫌われたか

2011/8/31(水) 午後 4:20
菅直人は、なぜ嫌われたか?

首相になってからの菅直人には、非難と悪罵が雨あられのように降り注いだ。首相在任中の彼は、あらゆるところで疫病神扱いをされていたのである。私には、それが不思議でならなかった。

震災への対策が遅々として進まないと非難されたけれども、これは政府が法案を議会に提出しても野党の自民党などが審議拒否を続けたからだった。一方で審議拒否を続けながら、他方で審議の遅れを攻撃する自民・公明両党は、道に居座って交通を遮断しておきながら、バスが動かないことを非難する「ならず者」の所業を思わせるものだった。

自公両党より、もっとひどいのは民主党内の小沢派で、陰に陽に内閣の足を引っ張って邪魔をしておいて、自党の政府を無能だと攻撃する。そして、挙げ句の果てに野党の内閣不信任案に同調して菅内閣を倒そうとしたのだから、呆れるほかはなかった。リーダーの小沢一郎などは、震災被害地から選出されているにもかかわらず、一度も現地の実情を調べに行かなかった。そのため、彼は選挙民から非難されていたのだ。これも呆れて開いた口がふさがらないような話である。

そのほか,
そのほか、菅直人が非難されたものに、言葉の軽さがある。彼は、思いつきを口にするだけで、そのあと何もしていないというのだ。これは提案型の政治家が持つ共通の欠点だから、菅直人としてもこの種の非難は素直に甘受しなければならない。だが、それにしても彼に対する政界やマスコミによる非難は、度が過ぎていた。確かに、菅への攻撃は常軌を逸していたが、それは何故だろうか?

━━菅直人が集中攻撃を受けたのは、彼の言動がエスタブリュシュメントの逆鱗に触れたからなのだ。

わが国は、近代化したとはいえ、まだ、リベラル勢力が十分に育っていない。そのために社会のいたるところにエスタブリュシュメントと呼ばれる既得権所有階層が蟠踞して、自分たちにとって不利な言論や運動をつぶしにかかっている。

既成勢力をいらだたせた典型的なものが、菅直人の提唱した発電と送電を分離させるというプランだった。先進国といわれる国では、何処でも発電部門と送電部門が分離されている。そのために他国ではこの両部門への新規参入が相継ぎ、企業間の競争が熾烈になる結果として、電気料金が安くなっているのだ。

ところが日本では全国をいくつかの地域に分割し、各地域における発電と送電を一つの電力会社に独占させているのだから、電力会社にとってこれほど具合のいい体制はない。各電力会社はこの独占体制を守るためにあらゆる手を打っている。国会議員個人に対する後援活動をはじめとして、自民党、民主党などに多額の政治資金を提供し、口うるさいマスコミ各社にも広告料という形で定期的に金を流している。地域独占を続けている電力会社には、本来、広告を出す必要などないのだが。

有力な言論人たちは、電力会社による地域独占体制の問題点を承知していながら沈黙を守っている。彼らも既成権力機構に取り込まれて、その代弁者になっているのである。ビートたけしのような「芸人」も、ある程度まで巨大な存在になるとエスタブリュシュメントがニコニコ顔でお仲間に迎え入れてくれ、黙っていても便宜を図ってくれる。そうなると、自然に反権力の牙(キバ)を納めて、物わかりのいい体制順応型に変身することになるのだ。

わが日本には、エスタブリュシュメントが背後から支えているさまざまな規範がある。これに反しない限り、表舞台での活動が許されるが、少しでもタブーを犯すと追放されるか裏舞台で細々と生きるしかなくなる(前田武彦のごとくに)。

菅直人がエスタブリュシュメントの逆鱗に触れるような政治行動を取り、そしてまた、自ら墓穴を掘るような独善的な提言を繰り返して袋叩きされてきたとしたら、彼には何か性格的な問題があるのではないか。

それらしいものが、あるのである。

菅直人が世に知られて英雄視されるようになったのは、厚生大臣だったときに、薬害エイズ問題を鮮やかに解決したからだった。この問題の発端は、厚生省が非加熱の血液製剤を販売することを認可したために、この薬品を使った一般人の間にエイズ患者が出現したからだった。世論は有害な薬品を認可した厚生省の責任を追及し、認可に至る経過を公開せよと迫ったが、役所は関連する資料を探したが見つからなかったと白を切るばかりだった。事実、省内でも一応は資料発掘に努力をしたらしいのだが、すべて空振りに終わっていたのだ。

問題が膠着したまま時間ばかりが過ぎていったときに、厚生大臣に就任した菅直人がまるで魔法のように一件書類を探し出して、被害者に謝罪したのである。彼は、官僚の気質を利用したのだった。官僚というものは、省内に委員会を作って、競争意識を持たせれば、他の部課や他の委員会に遅れを取るまいとして本気になって動き出すものなのだ。

やがて民主党の代表になった菅直人は、国会議員の「年金未納問題」を攻撃材料にして自民党を窮地に追いつめた。そのうちに、菅自身の厚生大臣時代の年金未払い記録が明らかとなったのである。菅は、これを行政側のミスだと何度も主張したが、行政側はその都度強く否定したので、マスコミを中心とする世論の風当たりが強くなり、ついに彼は党代表を辞任しなければならなくなった。

傷心の菅直人が、自分を見つめ直すためといって四国遍路の旅に出たことはよく知られている。ところが、事件の記憶がすっかり薄れた頃になって、彼の年金はちゃんと支払われており、年金未納と言い張っていた役所側こそがミスを犯していたことが明らかになったのである。

薬害エイズ問題でマスコミを味方につけて時代の寵児になった菅直人は、年金未納問題でマスコミに叩かれて政界から追放されそうになった。彼はマスコミに踊らされる世論によって、高みに持ち上げられたと思ったら、同じ世論によって地面にいやというほど叩き落とされたのである。

こういう痛切な体験を経た彼が、「世論」なるものに不信の念を抱くのは当然のことだった。ここから彼の打たれ強さが始まる。

このところ短命の首相が続き、安倍晋三から鳩山由紀夫に至る4人の首相は、いずれも在任期間1年前後で辞任している。これら4人の首相は、何か大きな失政があったわけではない。小さなミスを重ねているうちに評判を落とし、最後は「世論」に名を借りたマスコミに叩かれて辞任したのである。

菅直人は、彼に先立つ4人の首相よりも、ずっと激しい悪評に包まれて来たにもかかわらず、辞任する様子を見せなかった。マスコミの評判の悪さという点では、宇野宗佑と森喜朗が双璧だが、菅直人はそれに匹敵する悪評を浴びながら、平然としていたのだ。この異常な打たれ強さは、彼が世論を信用していないところからきている。

世論に対し不信の念を抱いているという点では、菅夫人も同様だった。もし夫人が主婦として夫の年金支払いに当たっていたとしたら、役所のミスに誰よりも強い憤りを感じていたに違いない。彼女は夫の菅が、「世論調査で、支持率が1パーセントにならない限り辞任しないよ」といって叩かれたとき、「世論調査の結果が、マイナスになることはないのだから、がんばりなさい」と激励したのである。

しかし、世論は魔物である。

何時の時代にも、誤った世論が政治を動かして致命的な失敗を犯させることはある。世論が当てにならないとしたら、政治家は何を見ながら政治をすべきだろうか。自らの信念だろうか。

首相に就任してから程なく、客観的な将来予測に基づいて消費税の引き上げを不可避と見た菅直人は、そのことを公言したために参議院選挙に大敗して「ねじれ現象」を生むことになった。政治家は世論に盲従する必要はないが、常に世論を頭に置いて行動しなければならないのだ。

世論は赤ん坊のようなものである。世論がぐずぐず言い始めたとき、正面から逆らえば、大泣きされるのが落ちになる。菅内閣は、昨日、総辞職した。「内閣の評価は、後世に委ねる」というのが、菅直人の言葉だった。彼は、その打たれ強さによって、そして世論にも小沢一郎や鳩山由紀夫にも屈しなかった男として、後世から評価されるだろう。