甘口辛口

ビッグ・ダディーの失敗

2011/10/9(日) 午前 11:16
ビッグ・ダディーの失敗


(承前)私は、これまでTVの大家族もの「ビックダディー」シリーズをずっと見てきた。

主役は林下清志という40台の整体師。この人物が男手一つで四男四女を育てる奮闘物語が、このシリーズの主軸になっている。シリーズの最初は、故郷の岩手で子育てをしていた林下清志が、奄美大島への移住を決意するところから始まる。8人の子供たち全部を高校に通わせたいと考えている彼は、奄美大島のある村が、移住してきた家族に対して高校生の学費を負担してくれるという特典を与えていることを知って、同村への移住を決断するのである。

奄美大島に移住し、男手一つで8人の子供を育てている林下清志のもとに、家を飛び出して姿を消していた前妻が、復縁を望んで合流してくる。しかも、同棲していた別の男との間に生まれた三つ子を引き連れて。かくて、林下清志は合計11人の子供を抱えて、孤軍奮闘することになるのだ。

林下は最初、奄美大島の村部に住んでいたが、顧客の数が限られているので、仕事場(診療所)を島の中心地名瀬市に移すことを決断する。このことで、林下家の家族は二つに割れてしまうのである。名瀬市には、高校に入学する年齢に達した長女と長男、それに、生活費を稼ぐために市部に移って来た妻が住み、村の家には次男以下の子供たちが残るという形態。――長女と長男が父の診療所に住み込むことになったのは、奄美大島には名瀬市にしか高校がなかったからだった。

長女と長男、それに母親が不在になったので、残された中学生以下の子供たちのリーダーは、まだ中学生の次男になった。朝早く家を出て、夜になって村の家に帰ってくる父親は、リーダーとしての次男の行動を見て、彼に信頼を寄せるようになる。林下は次男に金を渡して、生活費の支払いを彼に任せるまでになった。

林下が次男を信頼したことは、間違っていなかった。次男は父を尊敬して、父の信頼に応えようとして、立派に父の代役を果たしていたからだ。だが、父が息子を信じすぎたところに、陥穽が潜んでいたのである。

林下清志は、二つに分裂した家族を見るために、村の家と名瀬市の診療所を往復する生活を続けた。こうした日常は過大な負担を彼に課することになった。林下がバイク事故を起こして負傷したのも、無理がたたった為だった。

やがて復縁した妻が妊娠して子供を出産したので、林下は育ち盛りの11人の子供に加えて、乳児を養わなければならなくなる。名瀬市の診療所から得られる収入では、家計を支えられなくなった彼は、より高い収入を求めて島を離れることになる。愛知県の豊田市にある接骨院で、整体師として働くことになったのだ。

出稼ぎのため島を出るに当たって、林下清志は後に残る家族のリーダーとして次男を指名している。そして、出稼ぎ先から送金する金の管理も、次男に委ねることにしたのだ。これが、林下一家を狂わす原因になるのである。

林下が大家族の家長として成功してきたのは、家族を結束させれためにあれこれ知恵を絞り、様々のイベントを計画してきたからだった。彼は、家族全員で海岸に出てバーベキューをしたり、人の住まない離れ小島に家族を連れだして一夜を過ごすようなイベントを行ってきたが、それは撮影にやってくるテレビ局へのサービスであると同時に、家族全員をひとつに結束させるためだった。

彼は妻からどうしてまだ幼い三つ子までイベントに参加させるのかと問われたことがある。その時、彼はこう答えている。

「オレは、三つ子の心にオレという存在を焼き付けたいんだ」

まだ子供が三つ、四つの幼児の段階から野外キャンプに連れ出して、林下が率先してテントを張ったり、炉を築いてバーベキューをするところを見れば、一家のリーダーとしての彼の存在が幼児の頭にも焼き付いて離れないようになるというのである。

林下清志は、ちょっとしたことを決める場合にも、「最高顧問会議」と称して年長の子供たちを集めて相談している。会議は彼の思ったように進行して、結局は上意下達に終わるのだが、これも子供たちに家政への参加意識を持たせるためのイベントだったのである。

――家族は、父親が留守宅のリーダーとして次男を指名したことに異議を唱えなかった。しかし、母親や長男を差し置いて、次男が財布を握るという取り決めには、最初から無理があったのである。

林下の妻は、夫が島に戻ってくるたびに、次男をリーダーにした以前の決定を取り消すように求め続け、その要求が容れられないと分かると、三つ子と末子を連れて家を出てしまうのだ。

林下夫妻が正式に離婚したのは、今年の2月で、林下清志が28歳の女性と再婚したのは4月1日だった。林下は離婚後、間をおくことなく若い女性と再婚しているのである。その女性は5人の子持ちだったから、林下は前妻と離婚して4人の子供を失った代わりに、再婚して5人の子供を得たことになる(再婚した妻は目下、林下の子供を妊娠しているというから、やがて林下は14人の子持ちになる)。

再婚後の林下一家は、高校に在学中の次男と三男だけが奄美に残り、その他の子供たちは豊田市に移って、義母とその子供たちと同じアパートで暮らしていた。そのアパートというのは林下の勤務する接骨院の寮で、大家族にとってはあまりにも手狭だったから、再婚後の林下は、家族を引き連れて奄美大島にUターンすることを計画するようになる。

だが、奄美では林下を見る目が変わってきていた。きっかけは、彼の再婚を取り上げた女性週刊誌の記事にあった。これを読んだ村民の間に、林下へバッシングが巻き起っていたのだ。そんなこととは知らない林下は、「家族がまた大挙して戻ってくるのでよろしく」と奄美に挨拶に出かけて、区長や大家から、「いや、その話はちょっと待ってくれ」と制止されて、愕然とすることになる。

林下は、これまでに面倒を見て貰った区長や過主から、村の役員と話し合うことを勧められる。それで、話し合いの会場に行ってみると、一般の村民もたくさん来ていて会合は、林下に言わせると、「1対50」の押し問答になってしまった。

その問答を通じて明らかになったのは、村民たちが林下の行動を、「古い妻がいやになったので、若い妻に入れ替えた」と解釈しているらしいことだった。林下は、弁解に努めたが、「1対50」の力関係ではどうにもならなかった。

奄美大島を去るとき、林下は島に戻ることをあきらめてしまっていた。豊田市に帰ると、彼は自分たち家族を受け入れてくれそうな別の地区を探し始めるのだ。この見切りをつける早さが、これまで林下清志のさすらい人生を生んでいるのだが、今回の「ことの発端」を探って行けば、やはり、出稼ぎに出発する前に留守宅のリーダーとして次男を選んだ判断ミスにあるのだった。

菅直人は、民主党の代表になったとき、独断で消費税引き上げについて発言して参議院選挙に大敗し、それ以後苦難の道を歩むことになった。たった一言の発言ミスによって、彼および民主党は奈落の底に転げ落ちたのである。

林下清志もたった一度の判断ミスで、再建途上にあった林下一家を瓦解させてしまった。人間は、それとは知らずに人生の岐路で判断ミスを犯すことが多い。

菅直人の発言も、林下清志の判断も、それ自体としては正しいのである。いかに国民の反発があっても、日本はいずれ消費税の引き上げに踏み切らざるをえないし、林下家にあっては、もっとも信頼できる人間が次男であることに間違いはなかった。

しかし、だからといって、正しいことだからといって、それをすぐ実行に移していいかと言えば疑問が残る。このへんに生きて行く上でのポイントがあるのである。

(つづく)
(注)「在家仏教とは?」は、次々回にまわします。