甘口辛口

天に口なし

2011/10/24(月) 午前 11:31
天に口なし


第二次世界大戦が終わったとき、ソ連は日本兵をシベリアに抑留して酷使した。抑留された日本兵は57万人に及び、そのうち5万人が現地で死亡している。そのほかに、満州になだれこんだソ連兵は在留邦人の住居に押し入り、金品を強奪したり、婦女子をレイプした。ソ連兵がこうした蛮行を働いたのは、ソ連軍当局が刑務所の囚人を兵士に仕立てて、満州に送り込んだからだという噂が、当時流れていた。

この噂には注釈がついていた。囚人を兵士にしたのは、ソ連軍当局が勇敢な日本兵を恐れていたからだというのである。この注釈は日本人の自尊心を満足させたから、敗戦後の日本人は、日本兵だけがシベリアに抑留されたのではないかと単純に信じ込んだ。

ところが、ソ連は「独ソ戦争」で捕虜にしたドイツ兵に対しても同じことをしていたのである。うかつにも、私はその事実を戦後50年近くたってから、初めて知ったのだった。何によって知ったかと言えば、WOWOWでドイツ映画を見たからだった。

そのドイツ映画は、シベリアに抑留されたドイツ兵が、収容所を脱走して、はるばるドイツに戻って来るというストーリーで、現実にあった事件を脚色した作品らしかった。

そして、その後、私は捕虜を重労働で酷使することを始めたのは、ソ連のスターリンではなく、ナチス・ドイツのヒトラーであることを知るようになった。それを知るきっかけになったのも、WOWOWで見た映画だった。「ヒトラー最後の12日間」という映画をWOWOWで見て興味を感じたので、手持ちの「ナチス・ドイツ第三帝国の興亡」という本を読んでみたら、そのことが明記してあったのである。

ヒトラーは、スラブ民族をユダヤ人同様の劣等民族と見ていたから、独ソ戦争の初期に優位に立つと、ロシア兵捕虜を自国領内に移し、重労働を課したのだった。酷使されたロシア人捕虜は575万人に達していたというから、ソ連が日本やドイツに対して行ったものよりも遙かに規模が大きかったのである。その捕虜の大部分は餓死などで死亡し、生存者は100万人に過ぎなかったという。この数字にも、驚かされる。

ナチス・ドイツが強制的に連行したのは、捕虜だけではなかった。ロシア国内の占領地から民間人300万人を徴発してドイツ国内に連行し、戦争で手不足になった農場や工場で働かせたのだ。その一部は、「ドイツ人主婦の家事労働を軽減させるため」に家政婦として、一般家庭に配分されている。

私は高校生に世界史を教えていながら、ソ連による日本兵捕虜の虐待という事実を追って行けば、ヒトラーの民族差別政策にたどり着くことを知らないでいたのだ。

「知らないでいた」といえば、雅子妃の問題についてもそうだった。

最近、マスコミが取り上げていた話題に、雅子妃が赤坂御用地で開かれた秋の園遊会に出席しないで、「愛子さま」との給食を優先させたという問題がある。これは、いつものように雅子妃バッシングの角度から取り上げられた話題だった。

「週刊文春」(10月27日号)には、雅子妃が園遊会よりも娘との給食を優先させた背景が書いてあった。「愛子さま」には、給食に関するトラウマがあるためだというのである。彼女のクラスには、元気のいい男の子がいて、食事の遅い級友や給食を残してしまう仲間をひやかすので、「愛子さま」も急いで食べようとして食べ物を胸につかえさせたり、もどしてしまったりしたことがあったという。雅子妃は、給食に対する娘の恐怖心を解消させるために、これまで母子で学校給食を共にしてきたというのだ。

こういう事実を知れば、雅子妃が園遊会を欠席した理由も納得できるのだが、こと皇族に関する限り、なかなか正確な情報が流れてこないのである。

これ以外にも、「愛子さま」は悪童どもから、「税金泥棒」といわれたり、下駄箱の中に顔を押し込まれそうになったことがあるという。いままで真綿でくるむように大事にされてきた「愛子さま」が、こんな目に遭えば登校することを渋るようになるのは当然だった。端的にいえば、「愛子さま」は登校拒否の兆候を示し始めたらしいのだ。それで、皇太子夫妻は、娘を励ましたり、叱ったりして来たけれども、結局は雅子妃が娘に付き添って登下校することなっていったのである。

「愛子さま」に対する悪童たちの攻撃的な態度を責めることはできない。彼らの態度は、ある意味で「天の声」を代弁するものだからだ。「天の声」とは、「天に口なし、人をして言わしむ」というときの「天の声」である。

小学生は、自分たちと何ら変わるところのない「愛子さま」が警護の役人に囲まれて登校して来たり、運転手付きのクルマに乗って帰宅するのを見て、合点がいかなかったのである。彼らも、大人たちや世間が皇族を一段高い存在として、特別の敬意を払うことを知っている。しかし、自分たちと同じ「愛子さま」が特別扱いされるのを見ると、(何だかおかしいぞ)と感じたのだ。

彼らは、「愛子さま」に特別な敬意を示す大人たちの不公正を罰するために、わざと乱暴な態度を示したのであった。そして、幼いヒロイズムを満足させたのだ。小学校の生徒たち、なかでも男の子というのは、道徳上の原理主義者であり、自分たちが公平に扱われることを求めている。そして、教師が誰かをヒイキすれば、そのヒイキされた仲間を教師の見ていないところでいじめてバランスを取るものなのだ。

民主主義社会では、人間平等という基本原則に反する事象は許されない。皇族が多数の公務員を侍らせて、安楽に暮らしているように見えたとすれば、「税金泥棒」という声が出てくるのも自然なことなのだ。そして、その声は皇族の中の一番弱い人間、小学校に通う女児に浴びせられるのも仕方のないことなのである。

日本の保守層やマスコミが、皇室を特別扱いにすることを続ければ、間違いなく今後も第二、第三の「愛子さま」が生まれてくるのだ。

為政者が隠しておきたい「不都合な真実」は、時間の経過と共にいずれ明らかになっていく。そして、天の声が子供の口などを通して語られ、真実を明らかにするのである。